くりぃーむソ~ダ

気まぐれな日記だよ。

大魔人(51)

2021-07-30 19:22:47 | 「大魔人」
「――どこにいたんだ」

 いつからいたのか。いや、はじめからいたが、見落としていただけなのか。恵果が、後ろの座席に、うつむいた格好のまま、座っていた。
「怪我はしていないのかい。痛いところとか、あるのかな?」と、アマガエルが聞くと、恵果は、こくり、と頷き、また、首をわずかに振って見せた。
「今日はもう遅いから、寺に泊まって行きなさい」と、アマガエルは言った。「明日帰ったら、ご両親には、私から説明するから。無理をしないで、もう休んだ方がいい」
 バックミラーに写った恵果が、小さく頷いたように見えた。
 アマガエルは、アクセルをそっと踏むと、ゆるゆると、車を走らせた。
 ――――  
 寺に帰ると、アマガエルは客間に布団を敷き、恵果を通した。
 仕事がら、だいたいの世代が利用できる夜具やアメニティは、不自由がない程度に、揃えられていた。
 音もなく、浮かぶように歩く恵果は、車に乗っているときから、なにもしゃべらないままだった。
「ここに来る途中にあった、事務室にいますから。なにかあったら、呼びに来てください」と、アマガエルは言った。「――心配いりませんよ。ぐっすり、おやすみなさい」
 こくり、と頷いた恵果は、こちらに背中を向けて、ちょこんと座っていた。

 そして、その姿が、アマガエルが恵果を見た、最後だった。

 事務室のソファーで目を覚ましたアマガエルは、眠い目をこすりつつ、大きく伸びをした。

「ふぁぁー」

 と、いつもの習慣で、思わず電源を入れたテレビに写ったのは、深夜に起きた火災の映像だった。
 駆けつけた現場のリポーターが、息を切らせながら、なにかを必死に伝えていた。
 激しく燃え上がる映像に見入ったアマガエルには、しかし、なにも耳に入らなかった。
 見覚えがあるその建物は、子供達の家に違いなかった。
 どうして――と思いつつ、アマガエルは、恵果のいる部屋に急いだ。
「ケイコちゃん」と言いながら、アマガエルは部屋の扉を開けた。
 しかし、どこに行ったのか、恵果の姿は、どこにもなかった。まるで、布団に入った様子がないほど、敷かれたままの布団が、冷たく広げられていた。
 つん、とした空気の冷たさを鼻の奥で感じつつ、アマガエルは、上着を片手に寺を飛び出し、子供達の家に向かった。
 途中、携帯電話をかけてみたが、呼び出し音に代わって、人工的なメッセージが、事務的に聞こえてくるだけだった。
 ――子供達の家が近づくにつれ、ニュースで火事を知ったのか、ざわざわと野次馬の姿が目立ってきた。
 集まってきた人を避けつつ、家に向かうと、“子供達がいないんだって”“子供が見あたらないんだって”と、ひそひそと話す声が、あちらこちらから聞こえてきた。

「キクノさん」と、アマガエルは手を挙げて言った。

 眼帯をした、警察らしき男と話をしていたキクノさんは、アマガエルを見つけると、震える手を弱々しく挙げた。
 家のそばに来たときから、目を背けたくなるような焦げ臭い匂いが、辺りに漂っていた。
 すっかり燃え落ちた家の周りには、消火作業を終えた消防車と、パトカーが何台か残り、現場検証なのだろうか、黒く燃え落ちた家の跡を、せわしなく行き来していた。
「大丈夫ですか」と、アマガエルが言うよりも早く、キクノさんは、真っ赤な目をして、泣きながら言った。
「どうしちまったんだろう。洋子さんが火をつけたんだって。子供達が、まだ見つからないんだって。二人とも、姿が見えないんだって」
「――」と、アマガエルは、なにも言葉が出せなかった。

「私がそばにいながら、すみませんでした」と、やっとそれだけ、言うことができた。

「あんたが謝る事なんてないんだよ」と、キクノさんが言った。「私が一緒にいてあげれば、こんな事にならなかったんだ。子供達のそばにいてあげれば、助けてあげられたんだ」
「子供達のお母さんは? 父親は、ツグヒロさんは、どこにいるんですか」と、アマガエルは言った。
「二人とも、警察に行ったよ」と、キクノさんは、鼻をすすりながら言った。「洋子さんは、逮捕されたんだって。連絡をもらって来たときには、もう、捕まった後だったよ」
 うつむいたキクノさんは、持っていたハンカチで、ひしと両目を押さえた。
「――」と、アマガエルは、かすかな湯気をくゆらせる火事の跡を、歯を食いしばりながら、じっと見ていた。

 ――――……

 ニンジン達を乗せた車が、公園に戻ってきたころ。子供達の家のインターホンが、不意に鳴った。
 すっかり夜も深まり、誰もがそれぞれの居場所で、くつろいだ時間を過ごしているかもしれなかった。
 子供達のいない家の中は、不自然なほど、しん、と静まり返っていた。
 カーテンも引かず、明かりも点けていない部屋の中、窓に向かってじっと正座をしている母親が、呆けたように窓の外を見上げていた。




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