滝番小屋

新城市出沢と鮎滝の近況を紹介、その他雑感を少々。

令和の門松立て

2019年12月25日 | 出沢

『今年も色いろあったけど、令和になったことだし、
 男結びを忘れないように公民館に門松を立てるか』

親竹は高さ二メートル二十センチ、
浅谷のミッチャの竹林で一昨々日採取。
斜に竹を切るのは和之さん、縛るのはミッチャ、
お飾りの用意は・・・、毎年のことで段取りはいい。
最初のうちは能書きを垂れていて中々進まないが、
最後はやっつけ仕事になるのも例年通り。
高齢化が進む八平会だが、門松を立てる気になったのは、
まだ少しは元気が残っているということか。
               令和元年十二月二十五日

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理想と現実のハザマ

2019年12月17日 | 瑠璃光浄土

 

この牙の持ち主は120-130㎏の威厳のある立派な奴だった。
別に恨みはなかったが、何かの縁で図らずも罠にかけ、命を奪った贖罪にいつも身に付け持ち歩いている。

自分は猟師ではない、獲物を追いかけて山に入ることはない。ただ、鹿や猪が彼方此方荒らしまくり、自宅の表まで出てきて、挙句の果てに墓まで掘り返されては、ご先祖様にも申し訳が立たぬ。黙って見ている訳にはいかない。これはサバイバルなのだ。自分のテリトリーは守らねばならない。

『イノシシを殺さないでほしいな』

確かにうり坊はカワイイ、出来れば生かしてやりたい。止め刺した母親にまとわりつくウリ坊には流石に気が滅入る。だが、一年で成獣となり、二年目に子供を生む。後の被害を思うと見逃す事もできない。この地球は、環境は有限なのだ、無制限に獣を受け入れることは出来ない・・。
しかし、それはコッチの見方だ。猪にしてみれば、『よくもそんなことを!』人間の方が遥かに多すぎるじゃないか、というだろう。しかも自然を破壊していると。

猪鹿だけではない人間も生物だ。自然の掟には逆らえない。数が増え続けるのは、生物の本性なのか、あるいは生き残るための手段なのか。本性ならば、時間とともに増大するエントロピーの一翼を担っているのならば、増加を止めることは出来ない。
手段であるならば、人間にあるとされる理性で、欲望を抑え最大限の努力をすれば、持続可能な世界を構築できると信じたい。

温暖化問題も移民問題も、詰まるところは人口問題だ。COP25で話し合うべきは人口の抑制ではないのか?。宗教、人道的見地・・、困難な問題だが、人類という種の存続のために解決すべき最重要な課題だ。幸い?日本は少子化で人口が減っている。飢えや戦争で減らしているのではない、自然減?だ。見習うべき温暖化防止の優等生であり、持続可能な社会への先達ではないか。

自分はこの先も多くの鹿や猪に引導を渡さねばならぬだろうが、
人として、
『うり坊はカワイイ、出来れば生かしてやりたい』
と思う心は持ち続けたい。
ダレノガレのように。

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ナイヤガラは発電の方式

2019年12月03日 | 瑠璃光浄土

建設中の長篠堰堤(明治45年;1912)
右下に見える転流工のトンネルはつい最近まで残っていたが、
漏水対策でコンクリートを詰めて今は見えない。

 

「ナイヤガラってどこですか?」
『いまは発電所の工事中で水が落ちていないけど、あそこの堰堤のとこだけど・・』

最近、外でウロウロしていると、よく訊ねられる。
ナイヤガラと聞くと殆どの人がダムのことだと思っているが、
少ない落差を有効に利用するため、立軸の水車と発電機を使用した方式を
ナイヤガラ型というのだそうだ。
長篠発電所については、水資源機構発行『水とともに;2010-04号』の中で
詳しく紹介されている。

低落差とはいえ、堰堤の上に立つと足がすくむ。
100年も前に此処に堰堤を造り発電所を造ろうと思った人は偉い。

コメント (1)
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