例年に倣い総合公園で区民親睦のグランドゴルフ大会。
年に一度のプレイでは上手く出来るはずもない、が条件は皆同じだ。
久栄さん・實さん(91歳)が最高齢だが、参加者の殆どが高齢者のため
高齢ハンディはなし。優勝はホールインワンが効いた今泉和之さん。
その後ホタルの乱舞する出沢を目指し、カワニナ放流。
カワニナは大久保さんの世話で、牟呂用水で採取してきた。
例年に倣い総合公園で区民親睦のグランドゴルフ大会。
年に一度のプレイでは上手く出来るはずもない、が条件は皆同じだ。
久栄さん・實さん(91歳)が最高齢だが、参加者の殆どが高齢者のため
高齢ハンディはなし。優勝はホールインワンが効いた今泉和之さん。
その後ホタルの乱舞する出沢を目指し、カワニナ放流。
カワニナは大久保さんの世話で、牟呂用水で採取してきた。
区民総出で掛けた小屋で、八平神社の秋季大祭が滞りなく終了。春に境内の
整備をしたお陰で、準備が楽になった。高齢化でいつまで出来るか分からな
いが、若い人達も頑張っているので、出来る限り続けたいと思う。
只、出沢の余興に太三味の音が聞こえないのは少し寂しい。
ジャンボタニシが銭亀ビオトープに侵入!!!。
噂を聞き行ってみると、ピンクの卵が池の周りにビッシリ。
話を聞いてみると、ミッチャが鯉の餌になるかも知れんと放したらしい。
皆んな目の敵にして、駆除しようとしているのに、放流するとは・・・
ミッチャの考えは良く分からん。
それにしても、タニシは卵ではなく小さなタニシを産むのではなかったか?
調べてみると、やはり、ジャンボタニシはスクミリンゴガイといって、
タニシの仲間ではないようだ。ピンクの卵は毒があり、天敵はいないので
ほとんどが幼貝へと無事に孵化し、爆発的に増えるという。
もともと食用に日本に持ち込まれたものだということなので、八平会の
ツマミに出てくるのも時間の問題だな・・・。
■防災訓練
テントを張り、消火訓練をし、
発電機を掛け、チェーンソーを回す。
マンネリ気味の防災訓練だが、機械モノは定期的に
動かさないと掛からなくなる。
■二百十日のご信心
炊き出しが出来るのを待つ間に、氏神様にお千度詣り。
頭を下げ、榊の葉を一枚づつ捧げながらグルグルと拝殿を廻る。
宮総代さんが用意した、榊の葉千枚が終わるまで続く。
防災訓練より、もっとマンネリ化していると思うが、
まだ信心心が残っているのだろう。もうやめようという者はいない。
区長が最後の一枚を捧げ、区民揃って台風の被害が無いよう祈る。
二礼二拍手一礼。
モリアオガエルは市のカエルだ。
絶滅危惧種だそうだが、大荷場では珍しくもないごく普通のカエルだ。
別に保護をしている訳でもないのに、毎年、卵を産みに田んぼに出てくると言う。
ボタの草を刈ると産む所が無いので、石垣に卵を産み付けると聞き
それなら木の枝を挿しておけば、そこに産むかも知れんと
ミッチャとヒノキの枝をボタに挿しておいた。
次の日に見に行くと、・・ヤヤ、本当に産んだ。
しかも昼間は滅多にお目にかかれないのに、
産卵疲れか田んぼの隅に蛙が休んでいるではないか、
こりゃあ間違いなくモリアオガエルだ。
大荷場はまだ自然と共生できている。
この卵は、里山会でどこか他所の田んぼに放す予定。
お宮の参道の両側にある樫の木が枯れた。
自分が子供の時から、変わらず聳えている赤樫の巨木だ。
樹齢は定かではないが、数百年、幾世代の氏子を見守ってきた神木だ。
カシノナガキクイムシが穿入し、虫が持ち込んだナラ菌により樹勢が弱り
枯死するということだが、数百年生き延びた木が、なぜ今枯れるのか、
温暖化の影響もあるのだろうが、何か、出沢の将来を暗示しているような気もする。
広い場所にあるのなら、どうということはないのだが、樹下には、
鳥居が有り、石灯籠が並んでいる。そう簡単には伐れない。
・・・一戸あたり4万円の伐採費用は年金生活者には楽ではない。
だが、どうせ伐らなければならないなら、今しか出来ないと、
宮総代さんが音頭を取って、思い切った。
活性化の会解散
5年間続けた活性化の会だが、皆、段々と劣化し気力も衰えてきた。
もうこれ以上の活性化は望めないと、菜香でお別れ会。
・・・ところが今日が今まで一番の盛り上がり。
もう少し続けることも出来そうだが、やはり潮時か。
2月7日(日);出沢区役員改選。
出沢区 全37戸、129名。
毎年区民の顔ぶれもほとんど変わらないし、皆んな段々と高齢化してきて、
終日公民館で座っている体力も気力も失せてきた。
民主主義のルールから少し外れるかも知れんが、出来るときに、出来る人が、
出来ることをやるしかない。と、ここ2年ほど前から選挙はせず、
事前に選考委員会で根回しをして、信任投票で決定することになった。
その甲斐あって、2時間程で無事終了。
今年は
区長 内田仁
副区長 今泉博史
さんにお願いすることになった。
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出沢の代表者は昔は総代といった。今の区長とは重みが違った。
昨年、妻籠に行って本陣を観てきたが、昔の田舎は大なり小なり
あんなもんだった。封建的だとか独裁制だとか言われるが、
考えてみると、総代は、権力より義務の方が重かったように思う。
良いこと悪いこと・・の全てに責任を負っていたのだ。
それ故、受ける方も、選ぶ方も大変だった。一応選挙で決まっても
なかなか承諾してもらえず、全員、一言もものも言わずに、
真冬の板敷で夜明かししたことも一度や二度ではなかった。
全員が『お願い』をしたのが確認できるまでは返事をしなかったのである。
決まった以上、総代は全員で『お願い』をした代表なのだから、
今、流行りのリコールなどは思いも及ばなかった。
また、総代を受けることができる人(家)も、十戸に一戸位しかなかった。
その他の者は、只黙って総代に選ばれた人が承諾してくれるのを待っていた。
自分などは、昨年、何とか区長を務めたが、当時は、一生涯総代(区長)を
やることはないと思っていたのである。
その代わりに、総代を務めた人(家)は、総代様と様付けで呼ばれて、
皆に一目置かれ尊敬された。
『出沢を守るために、まず自分の出来る義務を果たす』
果たした義務の分だけ世間から認められる・・。声高に地域自治区制度が
叫ばれているが、本来自治は与えられるものではない。自分たちで考え行動
することだ。
法律より慣習との掟が優先した時代。皆に願われた総代が、責任を持って
を纏め守っていた時代。あれも民主主義の一つの形だったかと懐かしむのは、
私だけだろうか。