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鎌倉近郊を歩く33 予科練発祥の地・追浜

2016-09-02 10:00:57 | Weblog
鎌倉近郊を歩く 33
         豫科練発祥の地・横須賀追浜


(写真はクリックして見てください)
 横須賀に、予科練の記念碑があるという記事を目にして驚きました。我ら戦中派は予科練
といえば霞ケ浦を思い出します。「七つボタンは桜に錨、今日も飛ぶ飛ぶ霞ヶ浦に」と歌って
いました。でも予科練発祥の地は霞ヶ浦ではなく、横須賀なのだそうです。

歩く:京浜急行の追浜駅下車。歩いて10~15分。
   
 駅に降りて海に向かって歩くと、こじんまりとした小山がありました。小山の先は海で、
多くの人たちが釣りをしていました。人影がない小山の入り口に、「予科練誕生之記念碑、
甲飛鎮魂碑」と併記された小さな石碑がありました。

 坂を登っていくと、道の左側に「豫科練誕生之碑」と刻まれた大きな石碑がありました。
横の説明板に「豫科練とは海軍飛行豫科練習生の略称にして海軍少年航空兵とも別称す。
昭和五年六月一日第一期生入隊。以来昭和十四年二月第十期生霞ヶ浦に移るまで全国より
選ばれたる少年此の地に集い学び此の地を巣立ち日夜猛訓練の中に技倆を磨き(中略)、
南海の空に唯々国の為にと信じて(中略)大空に散華す(以下略)」とありました。
読んでいると涙がポロリ。

 登り道の右側に海軍甲種豫科練習生の「鎮魂之碑」がありました。「(略)海軍で航空機
の発達とともに今までの大艦巨砲主義から航空機へと思考を変え(略)昭和十二年九月全国
の中等学校から厳選された二百五十名が第一期生として、横須賀海軍に入隊した(略)
海原の底に散った甲種の御霊は六千七百七十八柱にのぼる(略)」。また涙がポロリ。

 碑文を読んでいると、陽気な若いアメリカ青年三人がやってきました。拙い英語で話し
かけてみました。彼らは軍に所属していて、今日は休日なのだそうです。「この碑文は読め
ますか」「ノー」「どうしてここを知ってるの?」「上官からカミカゼメモリアルが在ると聞いた」

 最近の新聞で、カミカゼ攻撃を受けたアメリカ老元水兵の談話を読んだ記憶がよみがえ
りました。乗り組んでいた艦から黒煙が上がり、消火や死傷者の収容に努めました。一段落
して黒こげのカミカゼ操縦士遺体が甲板に転がっているのに気がつき、海に蹴落とそうとしたら
上官からとめられました。丁重な海軍葬で海に沈めたのだそうです。

 新聞を読んだときアメリカはそういう国なのかと、思い直しました。そして、カミカゼ
メモリアルを訪ねてくれた三人の若者と話していると、いっそうその思いが高まりました。

 坂道を登ってゆくと、突然に視界が広がりました。午後の陽を浴びてフリーゲート艦が
次々と横須賀港に入っていく様子が眼前にありました

 いつも行ってる図書館の棚に、豫科練特攻隊の本がありました。二十歳前の若者が
「靖国で会おう」と、笑顔でカミカゼに乗り込む写真を一度見たら忘れられません。
 
 「御国のため」と信じて自ら命を捧げた若者たちの名前を、カミカゼが存在したことを、
後世の人々に伝えてあげたいと痛切に思いました。



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