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鎌倉近郊を歩く 34 大磯の高来神社 

2016-12-20 10:56:58 | Weblog
鎌倉近郊を歩く 34
           大磯の高来神社


                        (写真はクリックして見てください)

 朝日新聞(2016年10月1日)に埼玉県日高市の高麗(こま)神社の記事が出ていました。
古代、高句麗(こうくり、北朝鮮)から渡来した王族の一人・若光(じゃっこう)が、朝廷
から東国の新田開発を命じられて、同胞たちを統率して武蔵国高麗郡(埼玉県日高市、
鶴ケ島市の全域、飯能市などの周辺)を設置したのだそうです。

 神奈川県大磯町に高来(こうらい)神社が在ります。神奈川県史には、若光が大磯に上陸
して花水川を北上したとあります。明治時代に高麗寺から高来神社に名を変えたのだそう
です。

 大磯の高麗(こま)山の形は東海道を旅する人の目を惹き、江戸時代に広重などに描か
れた浮世絵で全国に知られました。その山麓に鎮座される高来神社を訪ねてみました。

歩く:JR平塚駅下車 駅前を西に20分歩くと東海道(国道1号)と合流 花水橋を渡る
  高来神社入り口(バス停)

 平塚駅を出て西に10分ほど歩くと、浮世絵でみた山容が姿を現します。東海道の花水橋
を渡りバス停から北に入ると、すぐに鳥居がみえました。広い境内に人影が見えず、鐘堂
と本堂が静かにたたずんでいました。看板に次ぎの説明がありました。

 「天智7年(668)年高句麗国が滅亡するや、高句麗王族若光は大磯の高麗に渡来して
大陸文化を伝えました。霊亀2年(716)大磯を初め各地に渡来した高句麗人が若光を郡長
として武蔵国に移され開発を命じられました」

 静かな境内に、幼い子どもたちの声が聞こえました。引率の先生に聞くと、幼稚園の年長
さんたちで、これから高麗山167mに登るのだそうです。その後について山路を登りました。
山頂に着くと、お堂の跡がありました。

 なだらかな山頂の道を行くとテレビ搭が立つ広場(千畳敷)に出ました。元気な年長さん
たちは、歓声をあげて走り回りました。広場から眺める景色は見事で、大磯の海岸線から
相模湾が一望でした。

 景色を堪能したあと、案内掲示にそって山を下り大磯駅前に出ました。少し歩くと相模湾
です。海岸には明治天皇がお立ちになった記念石碑がありました。その横に大磯海水浴場
の看板があって、日本初という説明がありました。この辺りから花水川が海に注ぐあたりは
唐ケ原と地図に見えます。高麗という地名もあります。

 唐ケ原から北を眺めると、お椀を伏せたような高麗山が見えました。若光は相模湾を航海
しているとき山容を眺めて惹かれ、花水川畔に船を寄せたところが唐ケ原だったのでしょう。
出迎えたのが先に入植していた同じ高句麗からの渡来人たちで、彼らに案内されて北上し、
朝廷から約束された地に着きました。

 大磯町史に「若光が後代に神と崇められるほど、渡来した高句麗人の拠り所となる人物
であったこと、彼を慕う高句麗人が相模国では多く大磯の地に居住していたこと、その一部
が武蔵国高麗郡に移り住んだこと、など史実とみなしてよいであろう」とあります。

 周辺と海岸線の景色がはすばらしい。下山したら、海岸まで出てみましょう。


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