鎌倉近郊を歩く 34
大磯の高来神社
(写真はクリックして見てください)
朝日新聞(2016年10月1日)に埼玉県日高市の高麗(こま)神社の記事が出ていました。
古代、高句麗(こうくり、北朝鮮)から渡来した王族の一人・若光(じゃっこう)が、朝廷
から東国の新田開発を命じられて、同胞たちを統率して武蔵国高麗郡(埼玉県日高市、
鶴ケ島市の全域、飯能市などの周辺)を設置したのだそうです。
神奈川県大磯町に高来(こうらい)神社が在ります。神奈川県史には、若光が大磯に上陸
して花水川を北上したとあります。明治時代に高麗寺から高来神社に名を変えたのだそう
です。
大磯の高麗(こま)山の形は東海道を旅する人の目を惹き、江戸時代に広重などに描か
れた浮世絵で全国に知られました。その山麓に鎮座される高来神社を訪ねてみました。
歩く:JR平塚駅下車 駅前を西に20分歩くと東海道(国道1号)と合流 花水橋を渡る
高来神社入り口(バス停)
平塚駅を出て西に10分ほど歩くと、浮世絵でみた山容が姿を現します。東海道の花水橋
を渡りバス停から北に入ると、すぐに鳥居がみえました。広い境内に人影が見えず、鐘堂
と本堂が静かにたたずんでいました。看板に次ぎの説明がありました。
「天智7年(668)年高句麗国が滅亡するや、高句麗王族若光は大磯の高麗に渡来して
大陸文化を伝えました。霊亀2年(716)大磯を初め各地に渡来した高句麗人が若光を郡長
として武蔵国に移され開発を命じられました」
静かな境内に、幼い子どもたちの声が聞こえました。引率の先生に聞くと、幼稚園の年長
さんたちで、これから高麗山167mに登るのだそうです。その後について山路を登りました。
山頂に着くと、お堂の跡がありました。
なだらかな山頂の道を行くとテレビ搭が立つ広場(千畳敷)に出ました。元気な年長さん
たちは、歓声をあげて走り回りました。広場から眺める景色は見事で、大磯の海岸線から
相模湾が一望でした。
景色を堪能したあと、案内掲示にそって山を下り大磯駅前に出ました。少し歩くと相模湾
です。海岸には明治天皇がお立ちになった記念石碑がありました。その横に大磯海水浴場
の看板があって、日本初という説明がありました。この辺りから花水川が海に注ぐあたりは
唐ケ原と地図に見えます。高麗という地名もあります。
唐ケ原から北を眺めると、お椀を伏せたような高麗山が見えました。若光は相模湾を航海
しているとき山容を眺めて惹かれ、花水川畔に船を寄せたところが唐ケ原だったのでしょう。
出迎えたのが先に入植していた同じ高句麗からの渡来人たちで、彼らに案内されて北上し、
朝廷から約束された地に着きました。
大磯町史に「若光が後代に神と崇められるほど、渡来した高句麗人の拠り所となる人物
であったこと、彼を慕う高句麗人が相模国では多く大磯の地に居住していたこと、その一部
が武蔵国高麗郡に移り住んだこと、など史実とみなしてよいであろう」とあります。
周辺と海岸線の景色がはすばらしい。下山したら、海岸まで出てみましょう。
大磯の高来神社
(写真はクリックして見てください)
朝日新聞(2016年10月1日)に埼玉県日高市の高麗(こま)神社の記事が出ていました。
古代、高句麗(こうくり、北朝鮮)から渡来した王族の一人・若光(じゃっこう)が、朝廷
から東国の新田開発を命じられて、同胞たちを統率して武蔵国高麗郡(埼玉県日高市、
鶴ケ島市の全域、飯能市などの周辺)を設置したのだそうです。
神奈川県大磯町に高来(こうらい)神社が在ります。神奈川県史には、若光が大磯に上陸
して花水川を北上したとあります。明治時代に高麗寺から高来神社に名を変えたのだそう
です。
大磯の高麗(こま)山の形は東海道を旅する人の目を惹き、江戸時代に広重などに描か
れた浮世絵で全国に知られました。その山麓に鎮座される高来神社を訪ねてみました。
歩く:JR平塚駅下車 駅前を西に20分歩くと東海道(国道1号)と合流 花水橋を渡る
高来神社入り口(バス停)
平塚駅を出て西に10分ほど歩くと、浮世絵でみた山容が姿を現します。東海道の花水橋
を渡りバス停から北に入ると、すぐに鳥居がみえました。広い境内に人影が見えず、鐘堂
と本堂が静かにたたずんでいました。看板に次ぎの説明がありました。
「天智7年(668)年高句麗国が滅亡するや、高句麗王族若光は大磯の高麗に渡来して
大陸文化を伝えました。霊亀2年(716)大磯を初め各地に渡来した高句麗人が若光を郡長
として武蔵国に移され開発を命じられました」
静かな境内に、幼い子どもたちの声が聞こえました。引率の先生に聞くと、幼稚園の年長
さんたちで、これから高麗山167mに登るのだそうです。その後について山路を登りました。
山頂に着くと、お堂の跡がありました。
なだらかな山頂の道を行くとテレビ搭が立つ広場(千畳敷)に出ました。元気な年長さん
たちは、歓声をあげて走り回りました。広場から眺める景色は見事で、大磯の海岸線から
相模湾が一望でした。
景色を堪能したあと、案内掲示にそって山を下り大磯駅前に出ました。少し歩くと相模湾
です。海岸には明治天皇がお立ちになった記念石碑がありました。その横に大磯海水浴場
の看板があって、日本初という説明がありました。この辺りから花水川が海に注ぐあたりは
唐ケ原と地図に見えます。高麗という地名もあります。
唐ケ原から北を眺めると、お椀を伏せたような高麗山が見えました。若光は相模湾を航海
しているとき山容を眺めて惹かれ、花水川畔に船を寄せたところが唐ケ原だったのでしょう。
出迎えたのが先に入植していた同じ高句麗からの渡来人たちで、彼らに案内されて北上し、
朝廷から約束された地に着きました。
大磯町史に「若光が後代に神と崇められるほど、渡来した高句麗人の拠り所となる人物
であったこと、彼を慕う高句麗人が相模国では多く大磯の地に居住していたこと、その一部
が武蔵国高麗郡に移り住んだこと、など史実とみなしてよいであろう」とあります。
周辺と海岸線の景色がはすばらしい。下山したら、海岸まで出てみましょう。