東日本大震災から3回目の3.11を迎えました。
あの日の突然の大きな揺れと、
信号なども完全に止まってしまった4号バイパスを渡り、降り出した雪の中を自宅へ向かって車を走らせたことや、
運悪くその日に東日本各地から研修に来ていた女性事務員さんたちや同行で来られていた数名の社員の皆さんと寒さに震えながら見上げた真っ暗な市内と満天の星空を思い出します。
僕は東北出身ではないので、身内や親戚に特に被害はありませんでした。
また、直接の友人や知人にもあの地震や津波の犠牲になった方はおられませんでした。
(残念ながら、家がダメになってしまったかたや、そのご親族迄入れると犠牲になったかたはおられます)
僕の仕事はエネルギー関連の機器メーカーで工事などもするので、この3年間は商売絡みとはいえ多少は被災された方々の生活の再建に役立てていたならいいなぁ と思っています。
そして、これからは災害復興住宅に関する仕事も幾つか頂いているので、それも生活再建に少しでも貢献できれば良いなぁと思っています。
3年前、色々な方に励ましていただきました。
支援もしていただきました。
Mさんご夫婦やニコちゃんには本当にお世話になりました。
一生忘れることはありません。
どうもありがとうございました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/82/4c3eec2159d6949d0ac7596cb9a3002a.jpg)
仙台や東北の沿岸部など、確かに復興バブル的な部分(業種)があることは事実ですが、実際にはまだまだ復旧すらままならず、安全な土地もなく復興なんて夢のまた夢(というか、想像がつかない)という所が圧倒的多数であるという事実もあります。
このあたりは、多分この数日の報道でも思い出したように流れているのではないでしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/f2/297d6be0affb75321961b2174aaf2ac3.jpg)
(写真はあの日から3年後の仙台市若林区荒浜団地跡です …知人の家もありました)
僕は今年の4月も人事異動がなく、少なくともあと半年は仙台に居られることになりました。
少しでも復旧復興が進むことを祈りつつ、未だ仮設住宅などで避難生活をおくっておられる皆さんが仮りではない生活に少しでも近づけるように働いていきたいと思っています。
最後になりましたが、あの震災と津波、またはそれらに起因する様々な事の犠牲になられた皆さんのご冥福をお祈りするとともに、未だ行方が分からなくなっておられる2,600余名の方々が一日も早くご家族の許へ帰られることをお祈り申し上げます。
黙祷
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