「河野談話」見直し。産経新聞の終わりの始まり!
河野談話見直し。国民を欺く産経新聞!
「河野談話」見直しの虚妄!Ⅱ産経新聞のテイタラク!
つい最近まで、従軍慰安婦に関する「河野談話」の見直しの
ニュースが新聞紙面やテレビ、そしてネットを賑わしていたが、3月
3日、菅官房長官が記者会見で「河野談話を継承する」と述べ、安倍首
相も3日の参院予算委員会で「村山談話を踏襲する」と明言したので一
先ずは一連の騒動の幕引きができたというべきだろうが、韓国の「反日
キャンペーン」が終息しない限り、保守派の政治家や論客たちの一連の
動きが鎮まることはないと思われる。
そもそも「村山談話」「河野談話」に対する保守派の政治家や論客たちの
異論や反感は発表当初から根強く、幾度となく俎上に上げられてきた。
ただ昨今の反「河野談話」の動きはとりわけ韓国との軋轢から高揚して
きたナショナリズムに乗じた傾向が強く、特に日本維新の会の所属議員
の中山成彬氏らが行なっている『「慰安婦問題」に関する河野談話の見
直しを求める国民運動』と称した署名活動をはじめ、ネット世論はネト
ウヨと思しき過激な書き込みも多く、全体として感情論が占めている。
そういう中で結いの党の江田憲司代表の「国際社会が注視しているセ
ンシティブな問題なので、根拠なくああだこうだ言うのは差し控えたい。
政府による検証を見守りたい」とのコメントは政治家として冷静な対応
をしたというべきだ。
そこで「河野談話」をもう一度ネットで調べてみた。それは1992年7月
の宮澤内閣の加藤紘一官房長官談話に続いての第二弾だっだことが解
るが、当の「河野談話」は、加藤談話を引き継いだうえ一歩踏み込んだ
内容になっている。
「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話
平成5年8月4日
いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を
進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
・・・・・慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰
安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接ある
いは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請
を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧に
よる等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に
官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。
また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいもので
あった。なお・・・朝鮮半島が大きな比重を占めていたが・・・その募集、
移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して
行われた。いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女
性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は・・・・従軍慰安婦とし
て数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべ
ての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる・・・われわれ
はこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓
として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、
このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないと
いう固い決意を改めて表明する。・・・。」
以上が河野談話の抜書きだが、不思議なことに、大騒ぎしている「強
制連行」の文言は全く見当たらない。強いて言うなら、文中の「軍の要請
を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧に
よる等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、
官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。」とい
う部分。しかし、その後の「朝鮮半島が大きな比重を占めていたが」以
下まで読み進めて、はたと気づいたことがあった。あまりにも知識が乏
しくて恥ずかしい限りだが、このくだりまで読み進めて、従軍慰安婦は
日本人、朝鮮半島出身者だけではなかったことに初めて気付いた。そ
れで、もう一度ウィキペディアで「河野談話」の詳細を見てみると「談
話発表後の記者クラブでの説明で河野は『官憲等が直接これに加担し
たこともあったこと』とは白馬事件のことを指しており白馬事件以外
には官憲等が直接これに加担した事実はなかったと説明している・・」
つまり「河野談話」は朝鮮半島出身者に限らず旧日本軍の支配下に
あった他国の女性たちにも言及した談話だったということだ。そこ
で「白馬事件」の文字をクリックするとウィキペディアの「白馬事件
(しろうまじけん)」にリンクした。ほぼ全文を以下に転記する。
「白馬事件(しろうまじけん)とは、日本軍占領中のインドネシアで
日本軍人によりオランダ人女性に対して行われた監禁・強姦事件の
こと。「白馬」の由来は、白人を白いウマになぞらえていたことか
ら。慰安所の所在地から、別名スマラン事件、オヘルネ事件。
1944年2月、南方軍管轄の第16軍幹部候補生隊が、オランダ人女性
35人を民間人抑留所からスマランにあった慰安所に強制連行し強制
売春させ強姦した容疑で、戦後、国際軍事裁判において(将官や兵
站責任者の佐官などの高級将校を含む)当該軍人・軍属(請負業者)
たちに有罪が宣告されている。
当時スマランには既に慰安所があったが、性病の蔓延から新たな慰
安所の設置が計画された。慰安所設置を要請された幹部候補生隊長
は、慰安所には自由意思の者だけ雇うようにというジャカルタの第
16軍司令部のガイドラインを無視した。(ガイドラインは未発見で
あるが証言やスマトラの第25軍の類似の通達からそのように考えら
れている。)
複数の将校と慰安所業者は、ハルマヘラ抑留所、アンバラワ抑留所、
ゲダンガン抑留所から17歳から28歳の合計35人のオランダ人女性を
強制的に集め、スマラン市内のカナリ通りの建物で日本語で書いた
趣旨書への署名を強制した後、スマランの4つの慰安所(将校倶楽部、
スマラン倶楽部、日の丸倶楽部、青雲荘)に連行した。
3月1日から営業を始め、女性達は毎日強姦された。給料は払われず、
暴行され、その上、性病を移された者、妊娠した者がいる。週に1度
医師の身体検査があったが、充分な治療はほとんど行われなかった。
しかし自分の娘を連れ去られたオランダ人リーダーが、陸軍省俘虜
部から抑留所視察に来た小田島董大佐に訴え、同大佐の勧告により
16軍司令部は、1944年4月末に4箇所の慰安所を閉鎖した。(小田島大
佐の視察は、事件と前後して抑留所の管理が軍政監部から現地軍司
令部に移管したためのもの)吉見は、軍は責任者を「少なくとも厳罰
に処してはいない」としている。
終戦後の1948年、バタビア臨時軍法会議でBC級戦犯として11人が有
罪とされた。罪名は強制連行、強制売春(婦女子強制売淫)、強姦
である。有罪者は、軍人および慰安所を経営していた日本人業者等
であり、責任者である岡田慶治陸軍少佐には死刑が宣告された。ま
た、中心的役割をはたしたと目される広島県生まれの陸軍大佐[誰?]
は戦後、日本に帰っていたが軍法会議の終了前に自殺した。裁判で
は、慰安婦にされた35人のうち25名が強制だったと認定された)。」
「強制連行」はなかったと日本維新の会の所属議員の中山成彬
氏をはじめ保守派の政治家や論客たちは騒いでいるが、このバ
タビア臨時軍法会議では、日本軍が抑留所にいたオランダ人女
性を強制的に集め連行したとあるではないか。これでも「強制
連行」はなかったと言い張るのか?もし、これも「強制連行」は
なかったと主張しているのであれば、バタビア臨時軍法会議を
否定することになり国際世論に挑戦することになる。さらに、
「河野談話」見直し論者たちは、韓国の元慰安婦の証言が曖昧
だとか、裏づけがないとか騒いでいるが1991年時点で70歳過ぎ
の元慰安婦たちが47年前(1945年)に遡って、どこまで正確に記
憶を呼び起こすことができるというのか。内閣官房外政審議室
が発表した文章では裏づけになっていないと言うのか。
ではここで「河野談話」の見直し論者たちに尋ねたい。特に
弁護士である橋下大阪市長にお尋ねする。
例えば痴漢として拘置され刑罰を受けた男性が釈放されてから、
冤罪だったとして被害者の女性を相手取って裁判に訴えた時、
被害者の女性には人的証拠も物的証拠もない。あるのは被害者
の訴えと、その訴えを中心とした状況証拠のみの場合、橋下市
長や見直し論者たちは、「物的証拠の裏づけがない」として一
蹴するのだろうか。
それと同じことを元従軍慰安婦に求めているのではないか。
いづれにしても「河野談話」の見直し論者たちは対韓国のみに
論点を絞り、この「白馬事件」を伏しているのは、あまりにも
意図的だ。日本人のナショナリズムを煽って世論をどこへ誘導
しようとしているのか?。
日米同盟に楔を打ち中国を歓喜させる行為は止めるべきだ。
以上が「河野談話」見直し論に対する第一の論点だ。
第二の論点については割愛する。
河野談話見直し。国民を欺く産経新聞!
「河野談話」見直しの虚妄!Ⅱ産経新聞のテイタラク!
つい最近まで、従軍慰安婦に関する「河野談話」の見直しの
ニュースが新聞紙面やテレビ、そしてネットを賑わしていたが、3月
3日、菅官房長官が記者会見で「河野談話を継承する」と述べ、安倍首
相も3日の参院予算委員会で「村山談話を踏襲する」と明言したので一
先ずは一連の騒動の幕引きができたというべきだろうが、韓国の「反日
キャンペーン」が終息しない限り、保守派の政治家や論客たちの一連の
動きが鎮まることはないと思われる。
そもそも「村山談話」「河野談話」に対する保守派の政治家や論客たちの
異論や反感は発表当初から根強く、幾度となく俎上に上げられてきた。
ただ昨今の反「河野談話」の動きはとりわけ韓国との軋轢から高揚して
きたナショナリズムに乗じた傾向が強く、特に日本維新の会の所属議員
の中山成彬氏らが行なっている『「慰安婦問題」に関する河野談話の見
直しを求める国民運動』と称した署名活動をはじめ、ネット世論はネト
ウヨと思しき過激な書き込みも多く、全体として感情論が占めている。
そういう中で結いの党の江田憲司代表の「国際社会が注視しているセ
ンシティブな問題なので、根拠なくああだこうだ言うのは差し控えたい。
政府による検証を見守りたい」とのコメントは政治家として冷静な対応
をしたというべきだ。
そこで「河野談話」をもう一度ネットで調べてみた。それは1992年7月
の宮澤内閣の加藤紘一官房長官談話に続いての第二弾だっだことが解
るが、当の「河野談話」は、加藤談話を引き継いだうえ一歩踏み込んだ
内容になっている。
「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話
平成5年8月4日
いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を
進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
・・・・・慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰
安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接ある
いは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請
を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧に
よる等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に
官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。
また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいもので
あった。なお・・・朝鮮半島が大きな比重を占めていたが・・・その募集、
移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して
行われた。いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女
性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は・・・・従軍慰安婦とし
て数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべ
ての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる・・・われわれ
はこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓
として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、
このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないと
いう固い決意を改めて表明する。・・・。」
以上が河野談話の抜書きだが、不思議なことに、大騒ぎしている「強
制連行」の文言は全く見当たらない。強いて言うなら、文中の「軍の要請
を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧に
よる等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、
官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。」とい
う部分。しかし、その後の「朝鮮半島が大きな比重を占めていたが」以
下まで読み進めて、はたと気づいたことがあった。あまりにも知識が乏
しくて恥ずかしい限りだが、このくだりまで読み進めて、従軍慰安婦は
日本人、朝鮮半島出身者だけではなかったことに初めて気付いた。そ
れで、もう一度ウィキペディアで「河野談話」の詳細を見てみると「談
話発表後の記者クラブでの説明で河野は『官憲等が直接これに加担し
たこともあったこと』とは白馬事件のことを指しており白馬事件以外
には官憲等が直接これに加担した事実はなかったと説明している・・」
つまり「河野談話」は朝鮮半島出身者に限らず旧日本軍の支配下に
あった他国の女性たちにも言及した談話だったということだ。そこ
で「白馬事件」の文字をクリックするとウィキペディアの「白馬事件
(しろうまじけん)」にリンクした。ほぼ全文を以下に転記する。
「白馬事件(しろうまじけん)とは、日本軍占領中のインドネシアで
日本軍人によりオランダ人女性に対して行われた監禁・強姦事件の
こと。「白馬」の由来は、白人を白いウマになぞらえていたことか
ら。慰安所の所在地から、別名スマラン事件、オヘルネ事件。
1944年2月、南方軍管轄の第16軍幹部候補生隊が、オランダ人女性
35人を民間人抑留所からスマランにあった慰安所に強制連行し強制
売春させ強姦した容疑で、戦後、国際軍事裁判において(将官や兵
站責任者の佐官などの高級将校を含む)当該軍人・軍属(請負業者)
たちに有罪が宣告されている。
当時スマランには既に慰安所があったが、性病の蔓延から新たな慰
安所の設置が計画された。慰安所設置を要請された幹部候補生隊長
は、慰安所には自由意思の者だけ雇うようにというジャカルタの第
16軍司令部のガイドラインを無視した。(ガイドラインは未発見で
あるが証言やスマトラの第25軍の類似の通達からそのように考えら
れている。)
複数の将校と慰安所業者は、ハルマヘラ抑留所、アンバラワ抑留所、
ゲダンガン抑留所から17歳から28歳の合計35人のオランダ人女性を
強制的に集め、スマラン市内のカナリ通りの建物で日本語で書いた
趣旨書への署名を強制した後、スマランの4つの慰安所(将校倶楽部、
スマラン倶楽部、日の丸倶楽部、青雲荘)に連行した。
3月1日から営業を始め、女性達は毎日強姦された。給料は払われず、
暴行され、その上、性病を移された者、妊娠した者がいる。週に1度
医師の身体検査があったが、充分な治療はほとんど行われなかった。
しかし自分の娘を連れ去られたオランダ人リーダーが、陸軍省俘虜
部から抑留所視察に来た小田島董大佐に訴え、同大佐の勧告により
16軍司令部は、1944年4月末に4箇所の慰安所を閉鎖した。(小田島大
佐の視察は、事件と前後して抑留所の管理が軍政監部から現地軍司
令部に移管したためのもの)吉見は、軍は責任者を「少なくとも厳罰
に処してはいない」としている。
終戦後の1948年、バタビア臨時軍法会議でBC級戦犯として11人が有
罪とされた。罪名は強制連行、強制売春(婦女子強制売淫)、強姦
である。有罪者は、軍人および慰安所を経営していた日本人業者等
であり、責任者である岡田慶治陸軍少佐には死刑が宣告された。ま
た、中心的役割をはたしたと目される広島県生まれの陸軍大佐[誰?]
は戦後、日本に帰っていたが軍法会議の終了前に自殺した。裁判で
は、慰安婦にされた35人のうち25名が強制だったと認定された)。」
「強制連行」はなかったと日本維新の会の所属議員の中山成彬
氏をはじめ保守派の政治家や論客たちは騒いでいるが、このバ
タビア臨時軍法会議では、日本軍が抑留所にいたオランダ人女
性を強制的に集め連行したとあるではないか。これでも「強制
連行」はなかったと言い張るのか?もし、これも「強制連行」は
なかったと主張しているのであれば、バタビア臨時軍法会議を
否定することになり国際世論に挑戦することになる。さらに、
「河野談話」見直し論者たちは、韓国の元慰安婦の証言が曖昧
だとか、裏づけがないとか騒いでいるが1991年時点で70歳過ぎ
の元慰安婦たちが47年前(1945年)に遡って、どこまで正確に記
憶を呼び起こすことができるというのか。内閣官房外政審議室
が発表した文章では裏づけになっていないと言うのか。
ではここで「河野談話」の見直し論者たちに尋ねたい。特に
弁護士である橋下大阪市長にお尋ねする。
例えば痴漢として拘置され刑罰を受けた男性が釈放されてから、
冤罪だったとして被害者の女性を相手取って裁判に訴えた時、
被害者の女性には人的証拠も物的証拠もない。あるのは被害者
の訴えと、その訴えを中心とした状況証拠のみの場合、橋下市
長や見直し論者たちは、「物的証拠の裏づけがない」として一
蹴するのだろうか。
それと同じことを元従軍慰安婦に求めているのではないか。
いづれにしても「河野談話」の見直し論者たちは対韓国のみに
論点を絞り、この「白馬事件」を伏しているのは、あまりにも
意図的だ。日本人のナショナリズムを煽って世論をどこへ誘導
しようとしているのか?。
日米同盟に楔を打ち中国を歓喜させる行為は止めるべきだ。
以上が「河野談話」見直し論に対する第一の論点だ。
第二の論点については割愛する。