ふしょうなブログ

ご不要になった詩は粗大ゴミでお出しください

夢の殻

2006年03月24日 22時23分56秒 | 
たかがでは済まされない地平線に
ひとり佇み
夢は夢のままで
あるべきことを求められ


目覚めのときは何時も
偶然を装っては
ありのままの姿を
目の前に突きつけてくる


くるり渇いた鳴声の向こうで
夢の堅い殻を食いやぶり
黄身を啜る 青白いクチバシ


舌先三寸の言い訳で誤魔化そうと
焦る喉元に触れるのは
青白いクチバシの冷たい感触




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もうちょっとかな

2006年03月24日 17時23分09秒 | 日記のようなもの



 今日は仕事の帰りがけにJR王子駅直ぐにある「飛鳥山公園」にいってきました。言わずと知れた桜の名所です。何でも江戸時代より桜の名所なんだとか。
 でも、染井吉野は今のところ2~3部咲き程度で見頃は来週ぐらいになりそうです。
 でも、お花見(ただ宴会がしたいだけ?)のグループ、子供連れで平日なのにそこそこに人出がありました。あちこちにはお花見用のゴミ箱が配置されていますが、マナーが良い訳でも無いのにスッカラカンでした。
 来週ぐらいには凄いんだろうな、人も、ゴミも(~_~;)



62のソネット 谷川俊太郎

2006年03月23日 23時04分37秒 | 書評のようなもの
 初版は詩人が22歳だった1953年12月に創元社より刊行されています。「98篇の詩より父の助言を得て取捨選択の上62篇の詩集として編んだことを覚えている」と前書きに記されています。
 全編を通じて語られているのは自分自身と世界(外界)との係わりです。世界(外界)は風景であり神の存在ともいえるものです。
 そして係わり方を追い求めることにより際立っているのは詩人の孤独感です。
 「世界が愛してくれるので/私はいつまでも孤りでいられる」「…私はひとを呼ぶ/すると世界が振り向く/そして私はいなくなる」この詩行は62篇目の詩「62」で歌われています。「ひと」とは「私にはじめてひとりのひとが与えられた」ひとであり、「私」とは心そのもの、魂そのものと解釈できます。
 孤独であること、それは世界と同一化した自らの姿であり、「私の不在」は詩人にとり安らぎの姿なのです。

 詩のスタイルは14行詩、所謂ソネットの形式を用いていますが、脚韻には特に拘っていません。しかしながら定型詩のもつ独特な存在感(小宇宙)に魅了されてしまいます。
 ただ、何れの詩もサプライズ、高揚感がやや乏しく感じるのは残念でなりません。


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三月のオフィーリア

2006年03月23日 07時17分20秒 | 
(割れ落ちた心の軋みより流れ出す)
せせらぎの音に我身を任せ
消え入りそうな意識の果てに
あなたの額より滴る汗の熱さを慕う


さよならってどこまでも悲しいのね

狂おしさは許されぬ愛のみしるし
春菜の香る岸辺を辿り
崩れ行く円環 揺らめく死化粧


嗚呼 絶望の甘いハーモニー
打ちひしがれし肢体は歓喜に震え
胸に抱いた花束は 口ずさむ祈りの歌


運命の過酷さに酔いしれて ひたすらに想う
儚き恋の顛末と流れ行く先に在るのは
二度とは逢えぬ あなたの笑顔




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テントを張る(日経夕刊より)

2006年03月22日 23時35分07秒 | 日記のようなもの
 絲山秋子さん(作家)のコラムでキャンプの話が出ていました。タイトルは「人間の巣」です。う~ん、言いえて妙だなと思ってしまいます。
 この数年はキャンプ行っていないのですが、これでもキャンプ歴は長いです。まあ、動機は魚釣りがメインなもので単独行の時はレトルト食品中心で家にいるときとあまり変わらない食事だったりしますが、何人かで行くときは結構本格的な料理を作ったりしました。
 キャンプ、特にオートキャンプではアウトドアグッズの見本市的な佇まいが多くて、タープ、テントは言うに及ばず何から何までコールマン(ブランド名)だったりします。本当は、キャンプ場では無いところでキャンプするのが一番なんだろうけど、日本国内で自由にキャンプ出来るところなんて無いし、トイレとかの問題もあるので、どうしてもキャンプ場になってしまいます。
 まあ、そんなこんなで大自然に抱かれてって雰囲気にはならないのだけども、焚火にあたりながら月を眺めたり、風の音を聴き入ったりするのは良い感じです^^
 コラムではギターを持ってくるやつがいればとありますが、うん、それも良いよね♪てか、懐かしすぎます。

 インドアでテントを張るほど、元気じゃないんだけど、そうだよな、またキャンプに行きたいな(たぶん、泊るのはテントじゃなくてコテージになるのかな、でも自炊ぐらいはしないと♪)

弘明寺まで行ってきました

2006年03月21日 23時22分11秒 | 日記のようなもの



 今日は実家の用事があって横浜は弘明寺まで行ってきました。そして時間調整で入ったマック、トレーに敷いてあるクルー募集広告に写っている5人は同一人物かいなとマックを訪れる度に思ってしまうのは自分だけでしょうか?仮に別人だとしたらカーディガンの君が一番うるわしくて好みだにゃあと朝から萌え萌えでした*´Д`)




 それから通りがかりの庭先で見つけた自然の恵み、たわたに実っていて美味しそうです。今年はひときわ寒かっただけに、春を感じる歓びは格別なものがあります。

 そして実家で観戦したWBC、キューバに勝って世界一となった王ジャパン、冬季オリンピックで男子選手の不甲斐無さばかり目立っていたので、日本男子ここにあり!を示してくれた感じで嬉しかったです。





大切にされたい思いを考えてみる

2006年03月18日 22時51分10秒 | 日記のようなもの
 今日の日経夕刊からはももえいずみ(クリエーター)の快適くらし予報「たいせつにされることの大切さ」をとりあげてみたいと思います。

 普段の生活で「大切にされること」ちょっと考えみたのですが滅多にありません(苦笑)まれに取引先の方からお茶をご馳走になったりすることはありますが、それは自分が大切にされているわけでは無く、取引自体が大切にされている訳だし、ちょっとした買い物もそんな高級店で買い物する訳でもないので大切にはされないし、食事だって券売機でチケットを買うようなお店では、そんなもの期待なんて出来ません。

 大切にする側からみていると「大切にする」のは、その対価を得たいがためなんですよね。高級なお店しかり、それなりのお金を払ってくれるからこそ、「あなたは特別」だからと大切にするのですよね。お金を払わない人なんて論外です。慇懃な態度は豹変し無銭飲食で警察に突き出されるのがオチです。

 でも、「大切にされたい」=「特別扱いされたい」思いは、普段の生活で大切にされることが滅多に無いだけに人は渇望するようです。パート・アルバイトで月10万円ちょっとしか稼げない世の中なのに湯水の様にお金を使わせるホストクラブ、何故かホストがマスコミで持てはやされていますがどうしてなんだろう?所得格差とか深刻な問題をニュースで取り上げる一方でお金の価値をないがしろにするホストをバラエティとかで持てはやす無責任さ。ホストにはまった女性がフーゾクに流れたり自己破産の地獄に落ちる現実なんて知らん顔しているのが信じられません。

 じゃあ、どうしてそんなホストクラブで身を崩してまで女性は散財するのか?やはり「大切にされたい」からだと思います。どうやら「大切にされたい」思いは人に取って危険な麻薬のようです。

 コラムでは「家族で大切ごっこをしてみる」と微笑ましい終わり方をしています。うん、お金とかの対価を抜きにした無償の大切ごっこ、心の潤いになりそうです。
 挨拶をする、それもあなたを大切にしてますよ、そんなサインにもなるのかな(^。^)





 
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香春盆夢歌(かわらぼんゆめうた)

2006年03月18日 08時02分20秒 | 
「わたしたちのからだ ここに入るのね

その言葉は 墓前に供えた白い花より麗しく
遠くに 在るもの いつか 訪れる
その日を見据えては 永久 に さすらい


「わたしたちの心 あの雲になるのね

見果てぬ空は菫色のマチエール
気まぐれに その姿を移ろい
それでいて 確かな明日を巡る 道のり


ふたり 思いやる心 が あれば
いつか 乗り越えて行ける
あの 菫色に浮かぶ 雲のように


ふたり 見つめ合い 合わす掌に
そよぐ 香の深い息遣いを感じ
恋は束の間 それでいて 夢はるか






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衝動買いしてしまいました

2006年03月18日 00時33分18秒 | 日記のようなもの






 丸善で本を2冊注文してしまいました。先日ご紹介した佐佐木幸綱の「百年の船」と、日経夕刊でみつけた「九つの銅貨」っていう本です。
 九つの銅貨は作W.デ・ラ・メアで福音館書店より出ている本です。書評を読んだ限りでは童話のようですが面白そうですし、作者の方は英国を代表する詩人で小説家とのことなので、本が届くの今から楽しみです。



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クローンって意外と身近(日経夕刊より)

2006年03月17日 23時51分11秒 | 日記のようなもの
 クローンっていうと近未来的で怖い(?)印象あるけど、あと少しすれば桜前線が北上し、満開の桜を愛でることができますが、あの染井吉野は接木というクローン技術で全国に拡がったんだとか。なんでも日本の桜の8~9割は染井吉野だそうです。
 江戸末期に現在の東京都豊島区内にあたる染井村で生まれた品種で明治33年に発祥の地の名前をとり染井吉野となったと記事(おさらいキーワード)には書いてあります。それから気候の関係で沖縄にはないとか。
 沖縄、桜は咲かないのかな?そう思ってぐぐったところ緋寒桜という品種の桜なんですね。う~ん、桜一つとっても興味深いこと多々あるようです。
 で、桜の接木はどうやるのかなと再びぐぐってみると山桜に接木するのだそうです。ってことは染井吉野の根っこの部分は山桜って訳なのかな?園芸…、趣味にしている訳では無いので確実なところは不明ですが、調べた限りではそんな感じです。
 あと、桜の接木でぐぐったところ、興味深い記事がヒットしましたので、ついでにご紹介します。
 

沖縄の桜
http://www.okinawainfo.net/sakura02.htm


桜の接木も呼吸で決まる
http://www.bm8.ne.jp/dr80/alp2002/2002-4-1.htm




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