ふしょうなブログ

ご不要になった詩は粗大ゴミでお出しください

引っ越しました

2006年04月16日 01時03分56秒 | 日記のようなもの
先ほど、引っ越しました


アクセスある限り、こちらは閉鎖しません。


短いあいだでしたが、訪問していただいた方々に感謝いたします。

ほんとうにありがとうございました

さようなら

引っ越します

2006年04月14日 22時38分16秒 | 日記のようなもの
 特に理由があるわけではないのですが、このブログから引っ越します。(gooブログ、使いにくいのもありますけど)


移転先は

緑川 ぴの「うたごよみ」
http://ameblo.jp/pino1864/

で、ついでにHNも変更しちゃいます

新しいHNは 緑川 ぴの です

(現代詩フォーラムでは来週の月曜日付けで変更する予定です)

優しさを忘れないように、柔らかい感じのHNとしました。



では、皆さんありがとうございました
おやすみなさい




もうひとつの世界へ

2006年04月14日 06時36分18秒 | 
時には詐欺師が人を欺くように
わたしはあなたを欺きたい
飲めぬ程に苦い毒薬であっても
この世に喩えようも無い甘美さを
死を迎える程耐え難い苦痛であっても
五臓六腑に熱い何かが駆け巡り


ああ そこのあなた
わたしに欺かれるなんて幸せ者よ
男冥利に尽きるわね


ブルータスよお前もか…なんて言わないで
サロメかお前は…なんて言わないで


わたし は わたし
尼寺へなんて行かないわ


詐欺師って人を欺こうなんて思っていない
彼にはもうひとりの彼がいて
もうひとつの世界の真実を語る
だから人は彼の言葉を信じて涙して
自ら進んで身を投げ出し
持てる物総てを差し出すのよ
判るかしら 総ては真実 真実が総て
寄せては返すバルトの涙が塩辛いように
あなたの流す額の汗も塩辛く
その醜い鼻は泥炭に塗れている
そうよ真実にのみ愛が在り
そして愛するが故に真実は存在している
だからこそ人は真実の為に我が身を滅ぼす


ねえ わたしに欺かれる気分は
いかがなものかしら


そろそろ身体が痺れてきて
そろそろ朦朧としてきて
見えてくるでしょ
あなたの望んだ もうひとつの世界
あと少しで辿り着く もうひとつの世界


飽くことを知らぬ潮騒に総ての言葉は掻き消され
バルトの涙に重く立ち込めた雲間より
一筋の光明 もうひとつの世界へ







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弘前のあなた

2006年04月12日 23時54分05秒 | 
わたくしはなりたい あなたに
好きからはじめる花占い
かならず好きで終わるから


弘前のあなた 今年も綺麗に咲くのね


好き
嫌い
好き
嫌い
好き


幾度やっても同じ結果なのに
止められない わたくし が ここにいます


美しい薄桃色の花弁に
見えない想いの成就を託す
ああ 何と言う快感なのでしょう


弘前のあなた 今年も見頃を迎えるのね


染井村で産まれた あなた
名も知れぬひとりの職人の手により
この世に出る


《咲いた桜は ただ 散ればよい


人知れず 無念と散った 
おんなたちの心情を
あなたは きっと 忘れたりはしない


弘前のあなた 白塗り壁の穢れなさ
汚れてしまった わたくしには 眩しすぎて
顔を上げることさえ 叶わぬままに


好き
嫌い
好き
嫌い
好き


ほら やっぱり 愛されている わたくし


立派な石垣伝いに歩いていくと
やがて大きな日時計に出会います
日陰棒に吊るされた わたくしの過去
風に舞うあなたの姿に誘われて


ねえ あのしわがれた歌声 聴こえてきますか






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たまごかけご飯

2006年04月12日 19時34分04秒 | 日記のようなもの
 今夕の日経コラム(出久根達郎-レターの三枚目)で夏目漱石の坊ちゃんが生卵を野だいこの顔面にぶつけたシーンの回顧から生卵の食べ方の話題へと発展していました。

 生卵、たまごかけご飯にするのが今流行りの食べ方のようです。確かに美味しいことは美味しいけど、掻き込む感じでよく噛まず消化に悪い感じがします。

 食べる機会も旅館に泊った際の朝食かお昼に入った定食屋さんでの食べ放題の生卵って感じです。特売の生卵だろうし、風味も乏しい気がします。

 コラムでは坊ちゃんが投げつけた生卵、投げつけるためじゃなくて、栄養補給用に蓄えていたものなのだとか。で、飲んでいたんじゃないかと出久根さんは想像しています。

 生卵を飲む、う~ん、リキは付きそうだけど、そんなにリキつけてどうすんのかと思ってしまいます。



現代詩手帳買いました

2006年04月10日 23時30分22秒 | 日記のようなもの
 なんだか久しぶりに手に入れた現代詩手帳、書店ではぱらぱらしてはいたのですが、実際にお金を払って手に入れたのは何年ぶりなのでしょうか(苦笑にもならない苦笑)
 特集が茨木さんだったもので、思わず買ってしまいました。
読む都度に涙で出てきてしまいます。掲載されている詩を読んでも、追悼のエッセイを読んでもです。

う~っ、涙もろすぎます。

 それから、ちょっと現Fで書かれていることについて言いたくなったけど、今はちょっと封印だな。さっき、ちょっとだけコメントしてしまったし。黙っていようと思うと黙っていられない性分なんとかしたいです。

スピーチ・バルーン(清水哲男研究)パート3

2006年04月10日 23時28分47秒 | 書評のようなもの

後退する。
センター・フライを追って、
少年チャーリー・ブラウンが。
ステンゲル時代の選手と同じかたちで。

これは見なれた光景である。


さて、今日は1連目について考えてみます。

後退するここはパート2で書き込みましたように、動作の後退と時空間での後退と半々ぐらいの意味合いなのかなと思います。
ステンゲル選手
 ヤンキースの名将とうたわれたケーシー・ステンゲルのことだと思います。Yockも勿論現役時代知っている訳ありません。
で、ステンゲル時代の選手ってことをぐぐってみると戦後間も無くに迎えたヤンキースの黄金時代といわれた頃の選手達のようです。
 チャーリーブラウンとヤンキースお似合いっていうか、時代的にもそんな感じなのでしょうか。

これは見なれた光景である

 この、「これは見なれた光景である」う~ん、チャーリーブラウン野球好きだったとしても、野球漫画ではないので、チャーリーブラウンが野球に興じているシーン、あまり印象に残っていません(個人的には)。
 そう考えると、見なれたと言い切ることにより普遍的なものであることを強調したかったのかな?

 つまり、ひとつのスタイルを定義するってことのようです。かなり舌足らずだけど、そんな感じがします。それから、この1連目から清水哲男らしさが出ています。文法的にも違和感無いし、すらっと読めてしまうのだけど、さて意味を捕らえようとするばするほど、ピラミッドの中に迷い込んだ気分になります。そうだな、インディージョーンズになった気分と言えばよいのかな?そんな感じがしてなりません。

明日は2連目です。


スピーチ・バルーン(清水哲男)パート2

2006年04月09日 21時04分55秒 | 書評のようなもの

 さて、今日はこの詩の全体像、主題について考えてみます。
 この詩には主題を読み解くキーワードがあると思います。それは「後退」という言葉です

1連目
>後退する。…少年チャーリーブラウンが。

2連目
>後退する。…羽月野かめが。

4連目
>われわれの後退に、

 この後退の意味、辞書では「後ろへしりぞくこと」とあります。1連目と2連目の後退は動作のしての後退なのかなとも思えますが、われわれの後退に、はどうやら違うようです。

 それを解く鍵は昨日ご紹介した詩の電子図書室別館1に記載されているように「レイ・ブラッドベリの小説『たんぽぽのお酒』(北山克彦訳・1971・晶文社)から詩人が引いたエピグラフが簡潔に言い表しているように、「成長すること、歳をとること、死ぬこと」の意味を、自分の人生に即して、愛着のある漫画のタイトルを借りながら語るというかたちになっている。」にあります。

 このエピグラフを詩集より全文引用してみます。

人生での驚きー自転車を走らせながら、彼は考える、それはなんであろうか?生まれること、成長すること、歳をとること、死ぬこと。最初のことについてはどうする余地はない。
しかしー残りの三つはどうだ?
   レイ・ブラッドベリ

 どうでしょうか?生、成長、加齢、死、何れも人の一生つまり時間の流れを現していると思います。

 つまり、後退とは時計の針の進む方向に流れる時に逆らう動きであると推測しました。で、逆らいながら遡るのでは無く、その場に留まる、時間の流れと同じ速度で後退することにより永遠の存在となる。こう考えると3連目のチャーリーに死はない、老婆に死はなと繋がり、そしてまた4連目のわれわれの後退にの意味も判ってくるようです。

 後退=永遠とも言える主題が見えてきました。チャーリーブラウン、確かに永遠の存在ですものね。でも、この詩には幾つかの伏線の存在がちらほらと垣間見えています。その存在を見逃しては、この詩の奥深さを味合うことが出来ないと思います。そこで、明日からは1連毎に解明してみます。

 余談ですが、チャーリーブラウンというと谷川俊太郎が有名です。どこかにそれを示唆する言葉がどこかに隠れていないか探っては見たのですが、今のところ見つかりません。もしかしたら見つかるのかな?




スピーチ・バルーン(清水哲男)パート1

2006年04月08日 22時25分55秒 | 








 清水哲男の第4詩集となる「スピーチ・バルーン」思潮社1975年刊、アニメのキャラクターをモチーフとした20篇の詩によって構成されていて、出版当時はかなり話題となった詩集です。
 詳細については「詩の電子図書室 別館1」を参照していただくとして、今日から暫く清水哲男の作品について自分なりの観点より徹底的に研究してみたいと思います。

 清水哲男の詩のスタイル(構造)はこの詩集あたりから今日に至るまで大きな変化は見られないと考えています。ふらふらしているYockとは大違いです(汗)

主な特徴としては:
1.話し言葉でつづりながらも意味を巧みにずらしながら
  重層的なメタファーを構成している
2.見栄えに拘らない。(字面、白行等に頼らない)
  それでいて所謂散文詩のスタイルはとらず行分けには
  拘りがあるのと、句読点の打ち方に特徴があります。
3.思想的である

以上3点だと思います。あれかれ書き込むよりも具体的に詩を読んでみたいと思います。


チャーリーブラウン(全文)

後退する。
センター・フライを追って、
少年チャーリー・ブラウンが。
ステンゲル時代の選手と同じかたちで。

これは見なれた光景である。

後退する。
背広姿の僕をみとめて、
90歳の老婆・羽月野かめが。
70歳のときと同じかたちで。

これも見なれた光景である。

スヌーピーを従えて、
チャーリーに死はない、
羽抜鶏を従えて、
老婆に死はない。
あまりにも巨大な日溜りのなかで紙のように、
その影は、はじめから草の根に溶けているから。

そんな古里を訪ねて、
僕は、二十年ぶりに春の水に両手をついた。
水のなかの男よ。それも見なれぬ…
君だけはいったい、
どこでなにをしていたのか。
どんなに君がひざまずいても、
生きようとする影が、草の高さを越えた以上、
チャーリーは言うだろう。
羽月野かめは言うだろう。
ちょっと、そこをどいてくれないか。
われわれの後退に、
折れ曲がった栞をはさみ込まれるのは、
迷惑だから、と。



「チャーリーブラウン」、初出は現代詩手帳1974年2月号と初出一覧にクレジットされています。

明日から、この詩について自分なりに分析したいと思います。(かなり適当かも知れませんので、ふんふん程度でスルーしていただけると気が楽です(^。^))
でも、わたしなら、こう読み取る、解釈するなどのご意見、ご感想は大歓迎ですので、よろしくお願いします♪



Op.17 春の気配は未だ…

2006年04月07日 22時11分16秒 | 
春の気配は未だ切れるような氷の
冷たさでコートの裾にまとわりつき
うつむいたまま
泣きべそかいているのは誰のせい


こんな街の片隅でも確かに芽生える
やるせない泣きべそ顔の奥で
見つけたもの
よわよわしくても確かなもの


木立より高く陽が昇れば
このてのひらの上で芽生えた
柔らかな想いを ふわり感じて


いつからだろう こんなにも
移ろいやすくて
待ち遠しさに心焦がして







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