ふしょうなブログ

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スピーチ・バルーン(清水哲男)パート1

2006年04月08日 22時25分55秒 | 








 清水哲男の第4詩集となる「スピーチ・バルーン」思潮社1975年刊、アニメのキャラクターをモチーフとした20篇の詩によって構成されていて、出版当時はかなり話題となった詩集です。
 詳細については「詩の電子図書室 別館1」を参照していただくとして、今日から暫く清水哲男の作品について自分なりの観点より徹底的に研究してみたいと思います。

 清水哲男の詩のスタイル(構造)はこの詩集あたりから今日に至るまで大きな変化は見られないと考えています。ふらふらしているYockとは大違いです(汗)

主な特徴としては:
1.話し言葉でつづりながらも意味を巧みにずらしながら
  重層的なメタファーを構成している
2.見栄えに拘らない。(字面、白行等に頼らない)
  それでいて所謂散文詩のスタイルはとらず行分けには
  拘りがあるのと、句読点の打ち方に特徴があります。
3.思想的である

以上3点だと思います。あれかれ書き込むよりも具体的に詩を読んでみたいと思います。


チャーリーブラウン(全文)

後退する。
センター・フライを追って、
少年チャーリー・ブラウンが。
ステンゲル時代の選手と同じかたちで。

これは見なれた光景である。

後退する。
背広姿の僕をみとめて、
90歳の老婆・羽月野かめが。
70歳のときと同じかたちで。

これも見なれた光景である。

スヌーピーを従えて、
チャーリーに死はない、
羽抜鶏を従えて、
老婆に死はない。
あまりにも巨大な日溜りのなかで紙のように、
その影は、はじめから草の根に溶けているから。

そんな古里を訪ねて、
僕は、二十年ぶりに春の水に両手をついた。
水のなかの男よ。それも見なれぬ…
君だけはいったい、
どこでなにをしていたのか。
どんなに君がひざまずいても、
生きようとする影が、草の高さを越えた以上、
チャーリーは言うだろう。
羽月野かめは言うだろう。
ちょっと、そこをどいてくれないか。
われわれの後退に、
折れ曲がった栞をはさみ込まれるのは、
迷惑だから、と。



「チャーリーブラウン」、初出は現代詩手帳1974年2月号と初出一覧にクレジットされています。

明日から、この詩について自分なりに分析したいと思います。(かなり適当かも知れませんので、ふんふん程度でスルーしていただけると気が楽です(^。^))
でも、わたしなら、こう読み取る、解釈するなどのご意見、ご感想は大歓迎ですので、よろしくお願いします♪



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