僅か0.001秒でも遡れぬ人生。時代は巡るとか、流行は繰り返すと言いますが、後戻り出来ないのが人生。悔いを引き摺りながら生きてもしかたないと思いながらも、「たられば」を考える毎日。
だったら未来を、将来について考えればよいものを結果の出ている安心感からか、考えるのは過去の事。後ろ向きなのかな?このブログをご覧の若い方には「おじん臭い」と思われる方もいらっしゃるのかな(苦笑)
始まりがあって、かならず終わりの来るもの。それは残念ならが恋愛の本質のようです。愛は永遠とも言われますが、どうでしょうか?数秒に1組離婚届の出される日々。どうも永遠ではないようです。これは若い方にも異存ないのでは?
HappyEndは続かない。楽しい分だけ、その反動もあるのかも知れません。この詩は、そんな二人の倦怠感を詩にしてみました。
偶然入った喫茶店で出されたモーニングのゆで卵。昨晩茹でたのか剥きにくい殻を無理に剥くと白身まで殻に一緒に剥けてしまい、残ったのはボロボロになったゆで卵。綺麗に剥けたゆで卵、つるんとして女性のようです。ぷりぷりして、ちょっと生々しい匂いのするゆで卵、まるで女性の肌かな。塩を振り、二口ぐらいで食べるのが王道かも♪話がちょっとずれますが、たまに塩の入った容器べたべたのお店ってありますよね。ゆで卵って手に持って食べるので、あのべたべた感、とても不衛生に思えてしまいます。
元に戻しましょう。そんなボロボロのゆで卵に男と女の倦怠期の只中を漂う心模様を託してみました。恋が愛に変わり、毎晩燃えていたあの頃とマンネリ化した近頃の二人暮し。そんな感じでしょうか。
この詩はもともと、智恵子抄の有名な出だし「智恵子は東京に空が無いという」を自分なりに詩にしてみたいという動機が以前よりありました。そこで、早速ゆで卵の話に織り交ぜてみました。でも、「東京に空が無い」の持つ言葉の重さに軽薄なYockの詩風では太刀打ちできず諦めてしまい、残ったのが東京の空というフレーズになった訳です。この東京の空のくだりで、智恵子抄を思い浮かべていただける方は残念ながらいらっしゃらないだろうなと思います。
最後に「空」、都心に住み都心の勤務先へ通っていると出会う自然は、空と猫の額ほどの公園ぐらいです。自然を取り入れようとすると、どうも身近な空になってしまうようです。その空も海沿いに立てられた高層ビル、マンションにより自然らしさを失いつつあるようですが。
現代詩フォーラムには明朝投稿予定です。詩遊会さんへは既に投稿済みです。メンバーの方々より貴重なコメントを頂戴しておりますのでご覧下さい。スレッドを辿ると頂戴したコメントをご覧になれます。
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