ふしょうなブログ

ご不要になった詩は粗大ゴミでお出しください

暖かさに誘われて

2005年09月30日 19時44分19秒 | 日記のようなもの
  今日は仕事で大島(江東区北砂)まで出かけました。業者さんとの打ち合わせも終わり、作業をお願いしている間ふらふらしていると、この陽気に誘われてかシジミ、アゲハチョウ、そして黒アゲハまで華麗な姿を見せてくれました。
  この写真の黒アゲハは以前なら関東地方で姿を見る事は難しかったのに、この地球温暖化の影響か最近では関東地方でも良く見かけるようになったと居合わせた方よりお聞きしました。
  100年後には北極海の氷も夏季には溶けてしまうとの予測をテレビのニュースにて知りました。北極海の氷はともかくも、こんな下町にも地球温暖化の影響が及んでいるとは、一体全体この地球はどうなるのかと蝶の写真を撮りながら思ってしまいました。



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秋桜

2005年09月29日 21時22分28秒 | ここだけの詩

どんなに悲しいときでも
いつものリズム
ハミングなんかしたりして
楽しげなふりをする。


野に咲く薄紅色の秋桜は
そんな君の笑顔を待っている。


どんなに悲しいときでも
涙を流さずに
悲しい顔をそっと心の引き出しに
しまい込む。


悲しいのは皆同じだよ
だからこそ、秋桜は
そんな君の笑顔を待っている。


いずれ誰もが大人になり
優しい心を無くしてしまう。
だから、今は暖かい繭にくるまれて
ひとときの夢に遊ぶ。


野に咲く薄紅色の秋桜には
そんな君の笑顔と
秋空を舞う赤トンボがよく似合う



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詩の置き場所

2005年09月29日 18時58分08秒 | 詩に関わる話
  以前詩遊会さんに投稿した「あの道この道帰り道」を今朝、現代詩フォーラムに投稿した後、考え直して1時間後に削除しました。たまにやるんです。投稿しようか迷った末に投稿した挙げ句、やはり削除する事を。

  その作品の良し悪しよりも、其々の詩には在るべき場所があるなあと思ったからです。置いてみたら、詩が何となく居心地悪そうにしている。そう思い削除しました。

  特に現代詩フォーラムのようにポイント制の場所はそうかも知れません。
詩に込めた自分の思いをポイントにより計られる、現代詩フォーラムという姿見に自分自身を映して見ることは、独り善がりに成りがちな思いを一人立ちさせる意味合いからすると、とても大切な事です。

  でも、ルナクさん、さちさんの作品へ寄せた思いを込めた詩について計られるのは、おふた方の心まで計られてしまうようで相応しく無いのかなと考えます。(この作品は投稿する為に作った訳ではなく、読書感想文のような作品ですし)

  現代詩フォーラムのような場所に投稿する以前は、自分の作品にさほど思い入れはありませんでした。でも、作品を投稿し他の方々より暖かい評価を頂くことにより一人立ちした作品は自らの手を離れ、眺める度にいとおしさは増すばかりです。

  そう分かっていても、日々、洪水のように投稿される珠玉の作品達に触れていると、つい投稿してしまう自分がいます。ある意味意地が汚いのかも(苦笑)

  自身に必要なのは強い意志と詩に対する真摯な姿勢のようです。ふらつくハンドルを握り締め、長く曲がりくねった道をゆっくりでも良いので、これからも進めたら良いなとつくづく感じた今朝の失態でした。



戻れない道(或いは恋の片道切符)Boiled Eggsについて

2005年09月26日 22時19分01秒 | 詩の背景
  僅か0.001秒でも遡れぬ人生。時代は巡るとか、流行は繰り返すと言いますが、後戻り出来ないのが人生。悔いを引き摺りながら生きてもしかたないと思いながらも、「たられば」を考える毎日。

  だったら未来を、将来について考えればよいものを結果の出ている安心感からか、考えるのは過去の事。後ろ向きなのかな?このブログをご覧の若い方には「おじん臭い」と思われる方もいらっしゃるのかな(苦笑)

  始まりがあって、かならず終わりの来るもの。それは残念ならが恋愛の本質のようです。愛は永遠とも言われますが、どうでしょうか?数秒に1組離婚届の出される日々。どうも永遠ではないようです。これは若い方にも異存ないのでは?

  HappyEndは続かない。楽しい分だけ、その反動もあるのかも知れません。この詩は、そんな二人の倦怠感を詩にしてみました。

  偶然入った喫茶店で出されたモーニングのゆで卵。昨晩茹でたのか剥きにくい殻を無理に剥くと白身まで殻に一緒に剥けてしまい、残ったのはボロボロになったゆで卵。綺麗に剥けたゆで卵、つるんとして女性のようです。ぷりぷりして、ちょっと生々しい匂いのするゆで卵、まるで女性の肌かな。塩を振り、二口ぐらいで食べるのが王道かも♪話がちょっとずれますが、たまに塩の入った容器べたべたのお店ってありますよね。ゆで卵って手に持って食べるので、あのべたべた感、とても不衛生に思えてしまいます。

  元に戻しましょう。そんなボロボロのゆで卵に男と女の倦怠期の只中を漂う心模様を託してみました。恋が愛に変わり、毎晩燃えていたあの頃とマンネリ化した近頃の二人暮し。そんな感じでしょうか。

  この詩はもともと、智恵子抄の有名な出だし「智恵子は東京に空が無いという」を自分なりに詩にしてみたいという動機が以前よりありました。そこで、早速ゆで卵の話に織り交ぜてみました。でも、「東京に空が無い」の持つ言葉の重さに軽薄なYockの詩風では太刀打ちできず諦めてしまい、残ったのが東京の空というフレーズになった訳です。この東京の空のくだりで、智恵子抄を思い浮かべていただける方は残念ながらいらっしゃらないだろうなと思います。

  最後に「空」、都心に住み都心の勤務先へ通っていると出会う自然は、空と猫の額ほどの公園ぐらいです。自然を取り入れようとすると、どうも身近な空になってしまうようです。その空も海沿いに立てられた高層ビル、マンションにより自然らしさを失いつつあるようですが。

  現代詩フォーラムには明朝投稿予定です。詩遊会さんへは既に投稿済みです。メンバーの方々より貴重なコメントを頂戴しておりますのでご覧下さい。スレッドを辿ると頂戴したコメントをご覧になれます。


ボイルドエッグ(詩遊会)→カタカナ名で投稿しました。
URL: http://oba-poe.ktplan.ne.jp/bbs/toukou.cgi?md=thread&no=7088&tp=7088&dc=



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渡れぬ河(SAGA)について

2005年09月25日 21時44分11秒 | 詩の背景
  この詩の出だし部分「男との女の間には深くて暗い河がある」は「黒の舟歌」からの引用です。ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、故野坂昭如氏の歌でヒットしました。カラオケで耳にされた方もおられるのでは?   

  暗くて深い河、三途の川にも例えられるようで、渡ったら最後帰り得ぬ彼岸は泳いで渡れるようであり、暗く深い河に阻まれ、はるか彼方にも感じられます。

  そして現世における三途の川は相容れぬ定めにある男の女の間に流れています。男と女、同じ人間の姿をしていながら、根本的に異なる生き物に思われます。そして、そんな男女だからこそ、互いに惹かれあうのかも知れません。惹かれあう、それは種の保存行為による衝動であるとしても、生理的な欲求を超えた男と女の世界があるように思います。究極的には分かり合えぬ男と女。それでも、分かり合おうとする努力が愛を育むようです。そして、その努力の潰えた時、愛の終わりを感じてしまうのでしょうか。    

  テーマは生理的欲求による男の身勝手な愛、そして、その愛を受け入れ心身ともに傷つきながらも、愛の想い出を心に抱いて生きる女の儚い人生です。なんだか、多分に演歌の世界のようです。演歌、それ自体叙情的な詩(詞)である事をYockは否定しません。日本人の生き様、考え方、それを歌に込めた演歌と詩に込める事は、同義的意味合いがあるように思います。

  この詩はありふれた言葉、表現にて綴られています。叙情的な詩の場合、このように簡潔で直接的表現にて読む人に訴える事は、間接的な表現で訴えよりも判りやすく、心に響くのかと考えます。

  尚、タイトルのSAGAは「性」をローマ字にしたものです。何となく、タイトルには愛のコリーダ的な意味合いを含ませています。

SAGA(現代詩フォーラム)
URL:http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=49983

SAGA(詩遊会)
URL: http://oba-poe.ktplan.ne.jp/bbs/toukou.cgi?md=thread&no=7072&tp=7072&dc=

-何れも貴重なコメントを多くの方より頂戴しております。ご参照願えれば幸いです。




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Boiled Eggs

2005年09月23日 06時42分51秒 | 
剥きにくい茹でたまごの殻を
無理やり剥いてやる


ボロボロに崩れた茹でたまごは
僕らの関係と一緒だな
つるんとした君の頬を愛したのは
遠い昔のお伽話
だから
「もう秋だなあ」なんて
東京の空に呟いてみる


背中のファスナーを引き下ろし
白くつるんとした君の背中に
はじめて口付けしたのは
遠い昔のちょうど今頃の季節


車窓から眺める東京の空は
あの頃のままなのに
かわったのは女ごころと秋の風



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Dance In The Dark

2005年09月22日 06時35分51秒 | 
しとやかに咲く花の雌蕊を
ひと撫で
ふた撫で
愛の甘い誘惑は
心の隙間を逃さない


あなたは踊り子になる
薄塗りのなまめかしい曲線を
チュチュの爪先でなぞれば
そこは倒錯の天蓋
絹の垂れ布越しに催淫剤は
シェードランプの灯りに揺れる


捕らわれの濡れた唇
それはあなた
心の鍵を抉じ開ける気配に怯え
ベッドに迫る足音に随喜の涙を流す


愛に餓えた淫獣の荒い息づかいは
もうあなたの枕元
シェードランプに伸びる
毛むくじゃらで節くれた指先は
捕らえた獲物にほくそ笑む



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SAGA

2005年09月21日 20時28分49秒 | 
男と女の間には
深くて暗い河があるらしいから
君の悲しい心の内を
僕は分かった振りして黙って頷く


男の情けは出したら終わりで
女は心に宿した思い出を
どこまでも抱きかかえ生きて行く


生きる事はあまりにも切ない
男は体を削り
女は心を削りながら
命の蝋燭燃え尽きるまで
悲しみに耐えて生きてゆく


君の心に宿した思い出と
僕の吐き出した情けは
暗くて深い河の流れに阻まれて
おたがいの姿すら認め合う事無く


凍える涙に霞む晩秋の星空に
ポツンと灯火瞬いた



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季節のタブロー(秋)について

2005年09月20日 21時25分51秒 | 詩の背景



  願う(い)と信じるは同義語のようで、願うは未来への希求、こうなって欲しい、こうなりたいとの可能性を求めることかなと思います。つまり、心の中で未来について確かな形となったもの、具体的な在るべき姿を描き追い求める事かなと思います。

  願う対象は空に映した自分自身、神様も自分自身の中に居るのかな?論理的に考えれば無理な事、非現実的な事でも願ってみる。その姿勢が大切なのではと考えます。

  諦めることは簡単だけど、往生際悪く生きてみる。その意味で、この詩は「名前の無い風」と対を成す詩です。「名前の無い風」は逆説的に書きましたので、コインの裏表になるのかな。

  で、この詩ですが、書いたというより、誰かに書かされた詩に近いです。誰が誰なのかは判りませんが、事実そんな感じがしてなりません。題名もそうですが、寸分の狂いもなく詩行が収まったというか、ジグゾーパズルのように動かし様の無い詩となりました。直せる詩と直せない詩、まだまだ勉強中の身ですが、稀にそう感じる詩に恵まれる事があります。


季節のタブロー(秋)現代詩フォーラム
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是非ご覧下さい。よろしくお願いします

URL: http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=49635



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季節のタブロー(秋)

2005年09月19日 21時16分56秒 | 
祈りの数だけ神がいて
祈りの数だけ願いがある


何故人は祈るのか
恐れおののく、その先の
抗いきれぬ力に前を遮られ
溜め息さえも躊躇して


祈りの数だけ花が咲き
手向けた花の数だけ願いがある


心で描いた輪郭とは
ずれた地平で生きている
それはコインの裏表
大河の流れに身を任せ
行く末を一枚のコインに委ね


それでも祈る


祈りの数だけ思いがあり
思いの数だけ願いがある


省みる為の祈りではなく
平伏す為の祈りでもない


我が心の内を大切に
思う心を大切に


空に祈ろう
巡り来る季節に心の全てをさらけ出し
流れる雲は秋の空
心に染み入る秋の気配に
背伸びのひとつも呉れてやる



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