ふしょうなブログ

ご不要になった詩は粗大ゴミでお出しください

「世界中で一番不幸せと思っている君に贈る歌」について

2006年03月08日 17時36分51秒 | 詩の背景



 「世界中で…」ちょっと乱暴な表現になってしまったけど、自分のことで悩む、それは自分自身の心の持ちようで何とかなるものなんですよね。考えつかれ諦めても良いし、ある日突然解決の糸口を見いだせるかも知れません。だけど家族、恋人、友人の悩みは自分自身では解決出来なくて主因である当人次第だし、悩みの原因として抗いようの無い大きな力が働いていたりします。
生きると言うことは、自分自身では簡単に解決出来ない悩みまで背負うことのようです。
それに比べれば、ちっぽけな自分自身の悩みに捕らわれることは、まだまだ幸せなんだなと近頃つくづく考えてしまいます。

 この詩で歌われている「君」、どうやら自分自身のようです。
遠い昔の自分勝手でいられた頃の懐かしい自分です。





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理想と現実の狭間で(五つの星と少女の鳴き砂について)

2006年03月04日 11時11分45秒 | 詩の背景
 今朝ここに投稿した「五つの星と少女の鳴き砂」、安い値段で良い商品を供給させ、快適でリーズナブルな生活を享受する日本とニーズに答え、それを供給する近くて遠い国。語り尽くせないこと多すぎるけど、以前、ネットで知ったことを詩にしてみました。
 終戦後、知識人の間で蔓延した左翼思想。それは戦前の国体を否定することであり、当時のことを思えば当然のことだったと考えます。
 けれど、その理想とした近くて遠い国の現実。何をいまさら、当然の帰結と切り捨てることも可能だろうけど、やはり理想なんてありえないのかなと思ってしまう、思わざるを得ない。そんな気持ちを詩にしてみました。
 経済の発展には常に犠牲がつき物、そうかも知れないですが、小さな悲しみを拾い上げてみる、詩に関わる者に取って必要かなと思っています。それでどうなるってことは無いとは判っていても。


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相変わらずの苦労です

2006年02月12日 17時32分15秒 | 詩の背景
 昨日投稿した「春の訪れを告げる…」どうもしっくりしないので、またまた校正(苦吟)しました。何故か一発で決まりません。まあ、良く考えれば詩について多少判ってきた(思い出してきた)部分があって、イメージの繋がりにおかしさがあったりすると、それに気付くのかなとも思えますし、悪く考えれば、往生際が悪い、さらに極論すれば相変わらず詩作の何たるかが判っていないとも言えるのかな(苦笑)まあ、情けないのは常だから、ここは良く考えて、言葉の操り方を多少なりとも覚えてきたことにしたいです。

 で、作り直した作品が「早春歌」です。早春譜にしようかなと思ったのですが、ルナクさんが「早春賦」という素敵な歌を現代詩フォーラムに投稿されているので、諦めました。



実にビミョー♪

2006年02月09日 23時05分35秒 | 詩の背景
 ラストバレンタインデー、苦労しましたけど、まあ良いかなと思われるバージョンをアップすることが出来ました^^ちょっとお笑いを取りたい時ってあるんです!

 さて、2月14日はオトコにとって嬉しい、楽しみ、恐怖、虚しいバレンタインデーです。で、女性より有り難くも畏くもいただける(かも知れない)チョコレート、義理でも何でも貰えないよりは実に嬉しいものです。でも、でも、でも、実にビミョーです。この気持ち、オトコなら誰でも判る、経験してますよね(笑)

 義理と本命の違いもさることながら、一粒1,000円かそれ以上もする高級チョコから3つで100円程度まで、家畜の品評会さながらに値付けされるオトコのナイーブな気持ち、傷つきやすいオトコ心には辛いものです。結局、お葬式、お墓と一緒で、何でもお金なんですね。そう考えると今は拘置所暮らしのあのお方のご意見けっして間違えでは無いようです。

 たとえ、ファミマのチョコでも本命チョコなら嬉しいけど、アリエネーって外野がうるさそうですよね(爆)今回のラストバレンタインデー、そんなオトコの儚さ、間抜けさ、惨めさを感じていただけたら本望です。

 尚、一作目は2連目まで話し言葉で3連目から、いきなり文語調になるのもなあと思い、改訂版をアップしてみました。どちらが良いかな?



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今日はばたばたしました

2006年02月03日 19時29分09秒 | 詩の背景
 きょうは仕事もばたばた、朝方現代詩フォーラムに投稿した詩も満足できず、ばたばたとトホホな一日でした。どうしようかなと悩みながらの「わたしは肯定する」、やはり満足出来ずに取り消してしまいました。幸い、金曜日の午前中だったせいか「こっそり」取り消すことが出来ました。で、昼休みを利用して急遽校正し直した作品が「名前の無い風」です。
 でも、後で気付いたのですが、この題名で以前詩を投稿していたんですよね。でも、詩の内容自体は異なるので、しょうがないねって感じで、取り合えず題名は「名前の無い風」のままで動かさないことにしました。
 いずれの詩でも、「肯定する」の言葉と「ゴライアス」のくだりは外せなかったので、行を入れ替えたりして体裁を繕いました。何とも恥ずかしい限りです。このブログでは、両方置いて置きますので、お暇なら読み比べていただけると嬉し限りです。
 それから、この詩はどうしても「64kbのソネット」シリーズの第1弾としたかったので、ばたばたしたにしても、何とかなったので、まあ良かったのかな(苦笑)
 そうそう、仕事の方は依然として問題解決していないんですけど♪


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冬空の輪舞曲について

2006年01月17日 22時49分41秒 | 詩の背景
 人生、Yockは遡りえぬ川を流れるささ舟だと常々思っています。ささ舟は川の流れに身を任せながら時には岸辺へと吹き寄せられ、しばしの安らぎと思い出に憩う。そして、時が来れば岸辺を離れ、再び河口へ向けての旅立ちとなるのです。
 愛する人との出会いとは、ささ舟に乗った異性と同じ流れに乗り、そして互いに惹かれ合い寄り添うように流れることだと思います。そのまま河口まで一緒に流れるかも知れないし、複雑に入り組む川筋に離れ離れとなったり、再び出会ったりする。そんなものかなと考えます。
 河口に待つもの、それは母なる海です。総ては海に還るのかな、やっぱし。




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許せない理由(ビフォーアフターについて)

2006年01月12日 19時50分46秒 | 詩の背景
 別れた人を許す事、思い入れの強いほど、愛していればいるほど、なかなか出来ないものです。
 許せない理由、相手に対して未練が残っているせいかなとも思いますが、一番の理由は自分を許せないからと思います。
 なぜなら許すってことは、相手を信じ、愛していたことを否定する事に繋がるからなのかな。詐欺に遭った人が自分が詐欺に遭った事をなかなか認めようとしない、例えは悪いかもしれないけど、そんな感じのようです。
 でも、苦しんで苦しんで、自分を許し相手を許したとき、成長したもう一人の自分を見つけられるのかも知れません。



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5番目のドアについて

2006年01月11日 19時07分57秒 | 詩の背景
 5番目の扉、それは喜怒哀楽の4つの扉の次に在る扉、真理への入り口であるようです。詩にならない叫びを、真理を追求し続けた君の姿に、在りし日の自分の姿さえ見える思いもします。
 若さ故なのか総ての事が許せない君だけど、いつしか本音の部分では許せなくても、とりあえず笑って済ませるようになるのかも知れません。そんな時は頭を掻きながら苦笑いでもするのでしょうか。
 そんな気がしてなりません。



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優しさの裏側(優しい関係について)

2005年12月07日 22時23分24秒 | 詩の背景
 
  優しさ、それは心の傷の深さに比例するようです。心の痛みを知らなければ人はなかなか優しくはなれないのかなと思います。
  特に男女の仲の場合はそうじゃないのかな?男と女が出会い恋に落ち、やがて愛し合うようになるけど何故か上手くいかなくなって傷つけあい、そして別れの時を迎える。
  残ったのは楽しかった思い出と心の傷。どうしてあの時あんな態度を取ったのだろう、どうしてあんな付き合い方をしたのだろう。悔いとも言えると思いますが、そんな傷を負いながら傷の癒える間も無く再び出会いがあり、恋に落ちていく。そんな事の繰り返しが優しさを育むのかも知れません。
  まあ、愚かというか愚かなのでしょうが、愛さずにはいられないのが人(特に男性だったりして)の哀れな性なのかな?「優しい関係」はそんな男の優しさを詩にしたものです。愛し愛された女性と別れた事に贖罪の念にかられ、また別れた事への後悔の気持ちが今付き合っている女性への優しさとなる。学習効果ってやつかも知れませんし、良く言われるように男のほうが未練がましいのかな。だから、世の女性は優しい男性には気をつけた方が良いのかな、その優しさは貴方に向けたのではなく、彼の心に映る元カノの残像に向けられたものなのかも知れませんよ(苦笑)

優しい関係(現代詩フォーラム)
URL: http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=56704



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「笑う」について

2005年11月18日 22時27分51秒 | 詩の背景
  笑いには幾つかの種類がありますよね。お愛想笑い、ひきつり笑いとか、でも、心から笑う事って少ないような気がします。どうもコントの影響って訳じゃ無さそうですけど、人の失敗を笑うとか笑いの動機、仕組みが単純というか卑屈な気がします。

  心から笑う、心の底から笑える、思わぬ幸せに恵まれた時とか、満足出来た時の笑いなのかなとも思うけど、どうなんだろう

  この詩は、そんな笑いとはちょっと異なって『不条理』な笑いを表現したくて書いた詩です。不条理、辞書で引いてみると『人生に何の意義も見いだせない人間存在の絶望的状況』とあります。お酒を飲めば飲むほどに覚醒する意識、感情を表に出してしまった事への自己嫌悪、何故なんだという思いを隠すように理性の仮面を被ってみる。そして陽の差すベンチに腰掛け理性の仮面を外したとき、意外と背中に背負ったものをすっと降ろせる、無我の境地になれるのかなと思います。

  今までの優しい表現から趣を変えた表現方法にしてみました。なんだか自分にあってないような気がしないでもないので、どうしようかなって迷っています。

笑う(現代詩フォーラム)
URL: http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=55064

(詩遊会)
URL:http://oba-poe.ktplan.ne.jp/bbs/toukou.cgi?md=thread&no=7894&tp=7894&dc=




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