佐伯祐三展の興奮も冷めやらぬまま、練馬駅より池袋駅を経由し山手線にて渋谷駅に向かいました。目的はBunkamuraザ・ミュージアムにて開催中のギュスターヴ・モロー展です。渋谷、東急東横線元住吉駅近くに住んでいたときには良く通った街です。特に道玄坂を少し登ったところにあったロック喫茶で暇を弄びながら店内に流れるロックに耳を傾けていた懐かしい思い出の街です。どうも今回は思い出巡りの感があります。
ギュスターヴ・モロー、1826年パリに生まれ1898年、後に国立モロー美術館となるラ・ロシュフーコー街のアトリエでなくなるまで幻想的な絵画を描きつづけた画家として有名です。初期はサロンを中心として活躍し、1892年にエコール・デ・ボザール(官立美術学校)の教授となったモローはルオー、マティス、マルケなどの若い天才達を見出し世に送り出しました。また終生結婚はしませんでしたが、生涯をともにした恋人、アレクサンドリーヌの存在はモローに少なからず影響を与えた事と思われます。
さて、Yock自身の感想を述べてみたいと思います。
1)神秘への誘い
モローと言えば「幻想的」「象徴主義の先駆者」と冠されるように、主な作品は
ギリシャ神話、聖書の物語など見に見えぬもの(不可視的なもの)をモチーフ
としており、昨日レポートしました佐伯祐三の目に見えるもの(可視的なもの)
をモチーフとする姿勢とは対極の画家であると考えます。
このことは詩作においても言えることで、目に見えぬもの(心模様)を直接
的に訴える詩風と、目に見えるもの(自然風景)を通し間接的に訴える詩風
いずれかの方法があります。どちらがどうとは一口で言える問題ではありません
が、詩作においては、どのスタンスで、どのアプローチで心の起伏を描くのか
常に考えるべきテーマだと思います。
さて、今回の展覧会でYockの心を捉えたのは「一角獣」、「サロメ」、そして
ギリシャ神話に登場する詩人達を扱った作品群です。美しき登場人物達、
目に見えぬものを華麗に、そして荘厳に、見る者の眼前に提示するモローの
作品はギリシャ神話、聖書にはさほど詳しくないYockさえも心を奪われ
それらの作品の前で立ち尽くすより術はありませんでした。
また、ドレスデン国立美術館展にて鑑賞したレンブラントの宗教画とも
異なった物語性を感じました。モローも自身について「あまりにも画家としては
文学的にすぎる」と語っています。しかし、この物語性こそ、モローを
近年再評価する由来に思います。
2)青の世界
プルシャンブルー、インクブルー、透明感のある青色系を効果的に用いている
と感じました。青は幻想への扉なのでしょうか、背景に用いられた青は
神話の語り部として存在しているようです。吸い込まれそうな、その語り部の
語り口はテーマとなる神々の存在を際立たせ、耳を傾ける者に至福の時を
齎すのでしょうか。
3)水彩と油彩
今回の展覧会では水彩画も数多く出展されていました。掌ほどのサイズながら
水彩画とは思えぬほど精緻に描かれていました。また、油彩においても絵具を
重ねるようなタッチではなく、青の場合と同様に透明感を強調していました。
モローにとっては水彩と油彩、画材の違いを越えて求めたのは、あくまでも
先に述べたような物語、目に見えぬものを見える形として提示する手段として
であり、それぞれの画材の持つ特性では無いように思われました。
まとめ
今回の展覧会にて、じかに出展作にふれるまでは、Yockはモローの事を良く知りませんでした。どちらかと言うと食わず嫌い、先入観より敬遠していたきらいがありました。しかし、今回の展覧会を通じモローの心にふれ、モローについてもっと知りたいと興味が湧いてきました。
また、メインストームとされている画壇の動きより外れた孤高の画家とも言えるモロー、主流派の立場に拠る事が果たして個々の芸術家に取って幸福なのかどうかを我々に黙示しているように思います。そして、弟子であるルオー、マティスに引き継がれた彼の志は時空を超越し、彼の作品を見る者総てを夢幻の世界へと導くのです。
Bunkamuraザ・ミュージアム(ギュスターヴ・モロー展)
URL:
http://www.bunkamura.co.jp/museum/event/moreau/
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