【例題】Xは、所有する甲地を、資材置き場の目的でYへ賃貸した。ところが、Yは約定に反してゴミ様の物品を甲地内に置くようになり、近隣からも苦情がきている。
[引渡し・明渡し・収去・退去]
・物一般の引渡し:民法や民事執行法の法文では、物の占有が移転することを「引渡し」と呼称する(民法178条、182条1項、民事執行法38条1項、168条1項など)。動産の引渡しが典型だが、不動産も「引渡し」の対象となる(※)。□条解1513
主文例「被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の動産を引き渡せ。」
※吉田(3)1600は「所有物返還請求権は・・・目的物が動産である場合には引渡請求、不動産である場合には明渡請求と呼ばれる。」と断言する(民事執行法を念頭に置いていないのか?)。たしかに、債権者は「不動産の明渡し」のみを求めれば実務的には足りるだろうが、講学上は「不動産の引渡し」も観念できる。
・不動産の明渡し:引渡しの一態様として、不動産上の占有者を退去させたり、物品を除去した上で、債権者に完全な支配を移転させることを、執行法上「明渡し」と呼称する(民事執行法168条1項)。□条解1513、提要261
主文例「被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の建物を明け渡せ。」
・建物の収去:明渡しを求める土地の上に建物が存在し、当該建物の所有者である相手方が当該建物を所有している場合。土地明渡しを実現するためには当該建物の取壊し(収去)も要する。裁判実務は1個の土地明渡請求権の態様(手段)として主文に建物収去が明示されるにすぎない(明示がないと建物収去の執行ができない)、と理解する(旧1個説)。□徳岡20-4、提要269、淺生21
主文例「被告は、原告に対し、別紙物件目録記載2記載の建物を収去して同目録1記載の土地を明け渡せ。」
・建物の退去:明渡しを求める土地の上に建物が存在し、当該建物の非所有者である相手方が当該建物を占有している場合。建物収去土地明渡請求と同様に、執行方法を表現するために、1個の土地明渡請求権の態様として主文に建物退去を明示する必要がある。ここでいう「退去」は、建物に対する占有者の占有が排除された状態を指すにとどまる(債権者への占有移転までは含まない)。□徳岡28-30、条解1514、淺生21
主文例「被告は、原告に対し、別紙物件目録記載2記載の建物を退去して同目録1記載の土地を明け渡せ。」
[不動産の占有とその移転]
・民法180条にしたがえば、占有(権)は「物の所持」と「自己のためにする意思」から構成される。□吉田(3)1376
・所持:民法180条にいう「所持」とは「社会通念上、その物がその人の事実的支配に属するものというべき客観的関係にあること」をいう(最三判平成18年2月21日民集第60巻2号508頁)。□吉田(3)1382
・建物の場合:建物を所持しているか否かは、「現実の利用(居住、営業など)」「カギの保持」といった事情で決せられる。「社会通念上」という物差しによってある程度の観念化は肯定されており、「空き家の裏口を常に監視して他人の侵入を容易に制止し得る状況であった」という具体的事情を理由に隣家居住者に空き家の所持を肯定した事案もある(最三判昭和27年2月19日民集第6巻2号95頁)。建物の占有の移転と言えるためには、カギの交付が重要となる。□吉田(3)1387-8、渡辺783、金子42
・土地の場合:土地の所持については、「宅地、農地、山林、原野」等の用途よって事実的支配の態様が異なる。特に使用されていない更地については、宅地や農地であれば相当強度の管理があって初めて所持が肯定されるだろうし、原野であればその程度を減ずることが許容されるだろう。土地の占有の移転は、現地での確認をもって行うことが多いか。□吉田(3)1388-9、金子42-3
・他人土地上の建物所有:一般的に、他人の土地に自己所有の建物を所有する場合、土地(敷地)の占有まで肯定される。もっとも、広大な土地の一部にのみ建物が存在する場合、土地全体の占有までは認められないこともあろうか。□吉田(3)1389、徳岡23-4
・占有意思:有力説にかかわらず、判例は、占有の成立に「自己のためにする意思」をいまだ要求している(最三判昭和27年2月19日民集第6巻2号95頁)。現在の通説によれば、占有意思は、占有するに至った客観的事情の性質によって決定される。□吉田(3)1393、金子18
[明渡しと原状回復の関係]
・民法(改正債権法)では、賃貸借契約の終了に伴う賃借人の次の義務を規定する。
[1]目的物返還義務(民法601条)。
[2-1]原状回復義務(民法621条本文)。
[2-2]附属物収去義務(民法622条、599条1項本文)。
・1個説的な理解:上述した「明渡し=目的物の'完全な支配'の移転」を強調すれば、建物内の動産類や附属物(造作)を除去した上で占有を移転することにより、初めて明渡しが達成される。換言すれば、単にカギを返すだけでは足りない。以上の結論は、「原状回復した上で明け渡す」と約定されている場合にはいよいよ強化される。□森田227,534-6、渡辺785-6、島本61
・2個説的な理解:「明渡し=目的物の占有の移転」という程度に捉えれば、占有移転と、原状回復(附属物収去も含む)は観念的に区別される。例えば、「建物は返還されたが(賃料相当損害金の発生はなくなる)、原状回復がされていない」という事態はありうる。→《破産管財人による事業用賃借物件の処理》□森田535、渡辺785-9
・私見では、「賃借物件を明け渡せ」という言い回しそれ自体に、「賃借物件をキレイにして元通りにした上でカギを返せよ」というニュアンスが多分に込められている(民事執行法上の用語法からは、正しい使い方である)。この点はともかく、「残置物が置かれたままでは明渡しは完了しないのか?」という論点において、下級審裁判例も割れている(渡辺783-93に詳しい)。結局は、当該契約の特約の有無(約定の規定ぶり)、契約終了間際や終了後の賃貸人や賃借人の行動、残置物や造作の程度、等の具体的事情によって決まるか。
島田佳子「建物賃貸借契約終了時における賃借人の原状回復義務について」判例タイムズ1217号56頁[2006]
徳岡由美子「不動産明渡請求」伊藤滋夫総括編集『民事要件事実講座第4巻』[2007]
最高裁判所事務総局民事局監修『執行官提要〔第5版〕』[2008]
淺生重機「建物の占有と土地の占有」判例タイムズ1321号20頁[2010]
伊藤眞・園尾隆司編集代表『条解民事執行法』[2019]
渡辺晋『〔改訂版〕建物賃貸借』[2019]
金子敬明「第180条」「第182条」小粥太郎『新注釈民法(5)物権(2)』[2020]
吉田克己『物権法3』[2023]
森田宏樹「第601条」「第621条」森田宏樹『新注釈民法(13)1債権(6)』[2024]