古代出雲王朝ゆかりの地や神話を尋ねて

紀元前4世紀から十七代続いた古代出雲王朝ゆかりの地や神話を尋ねます。

日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)を訪ねて その2 2022年12月9日

2023年02月12日 18時10分16秒 | 古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて

日光二荒山神社 その2 

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去年末の甲州武州下野(しもつけ)山旅の最後に 日光二荒山神社本社を訪ねました。

                             2022年12月9日

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神社入り口です。全体がうっそうとした森です。

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ここが大鳥居で、ここから参道が始まります。

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大鳥居の足元には、大黒様がいらっしゃいます。

つまり主祭神の大国主こと古代出雲王朝第八代主王八千矛王です。

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神門をくぐると

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正面に拝殿があります。

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拝殿の右奥に本殿の屋根が、少しだけ見えています。

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望遠で覗いた本殿の屋根です。

檜皮葺はなく、瓦葺きです。大社造りとは、程遠いお寺の建物の感じがします。

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広い境内です。

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建物がたくさんあり、どの建物が何なのか分かりません。

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さて日光二荒山神社の公式ホームページには、以下のように書かれています。

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御祭神 二荒山大神 (ふたらやまのおおかみ)
     ⇒親子3神を祀る
      大己貴命   (おおなむちのみこと)     父
      田心姫命   (たごりひめのみこと)     母
      味耜高彦根命 (あじすきたかひこねのみこと) 子

古くより、霊峰二荒山(ふたらさん・男体山)⇒標高2,486㍍を
神の鎮まり給う御山として尊崇したことから、御山を御神体山と
仰ぐ神社で、日光の氏神様でもあります。

境内は、日光国立公園の中枢をなす、日光連山をはじめとて、
御神域は、3,400㌶におよぶ広大な境内地です。

  華厳の滝や下りのいろは坂、重要文化財の神橋など

 日光市内に3社鎮座しています。
  男体山山頂⇒ 奥宮
  中禅寺湖畔⇒ 中宮祠
  山内(市内)⇒ 御本社

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古代出雲王朝初期の系図です。

(※斉木雲州先生の本をはじめ大元出版のすべての本を参考にして私が書きました)

古代出雲王朝第八代主王、八千矛(やちほこ)王の奥方は、多岐津姫(たぎつひめ)であり田心姫(たごりひ

め)ではありません。皇子は、確かに味鋤高彦ですが 奥方の名前が違います。

田心姫は 第七代主王 天之冬衣に嫁がれ 第八代副王 八重波津身(事代主)のご母堂です。

何故このような間違いを堂々と主張しているのでしょうか。

この神社を造営したと思える下野国の国造家が 出雲族ではないからこんな単純な間違いをするような

気がします。

ヤマトには 大国主や事代主を祀る神社が多数現存していて そのすべては ヤマトに移住した出雲王家

の皇子たちにより 作られました。主祭神は八千矛王か少彦の八重波津身です。

主祭神の出雲の王族の名前を間違うことはありません。

詳しくはこのブログの9.10.11.12をご覧ください。

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名実ともに ヤマトの大王となったイクメ大王(垂仁)の皇子忍代別(おしろわけ)大王(景行)は

九州と東国の遠征をおこないます。その東国への遠征に旧出雲王国の向家に出兵を要請します。

ヤマトに出雲系の磯城王朝があった時に 豊国軍がヤマトへなだれ込んで 出雲系の加茂氏を山城の国に

追いやったことがあり 向家は豊国軍に反感を持っていました。そこで東国にのがれた豊国軍を

探し出すため その要請を受け入れて 旧出雲王国軍はまず三河の国周辺で 旧豊国軍の残党を

探し出して東へ追い払いながら 関東に進み そこで豊国軍の残党を 上毛野国(かみつけぬくに)と

下毛野国(しもつけぬくに)に追い払った後 肥沃な関東平野南部に住み着き開拓し 関東平野南部の

秩父、武蔵、相模、安房、須惠などの国造家となりました。

(※詳しくは 大元出版斉木雲州著「出雲と蘇我王国」をご覧ください)

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つまり出雲勢により大和から三河へ追い払われ、更に上野国、下野国まで追い払われた豊彦の子孫たち

豊国勢は すぐ近くの関東南部に住み着いた出雲族たちからあまり睨まれないように 出雲の神様を

祀る神社を造ったのではないでしょうか。それで 建物は大社造りとは全く事なり お寺のような建物

になり 神社の主祭神も母神を間違えている。これは私個人の 勝手な想像ですが。

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日光二荒山神社 おわり

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