古代出雲王朝ゆかりの地や神話を尋ねて

紀元前4世紀から十七代続いた古代出雲王朝ゆかりの地や神話を尋ねます。

諏訪湖地方を開発した出雲族  その1

2019年12月21日 23時45分35秒 | 古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて
このブログにコメントを頂いた方のご両親と祖父が信州諏訪のご出身と書いてありました。

諏訪といえば 出雲王家の建御名方(たてみなかた)が開拓したことで知られています。

その辺のことをもう少し詳しく述べてみたいと思います。
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諏訪湖地方を開発した出雲族  その1
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徐福の渡来と秦国人による 出雲王国の主王、副王の殺害
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紀元前三世紀末、徐福は大勢の海童たちを引き連れて 最初島根県の太田市五十猛海岸に上陸し 和名を「火明かり(ほあかり)」
と名乗ります。事前に忠実な部下の「矛卑ホヒ」を出雲王朝に使わして 上陸の許可を取り付けるという周到な悪巧みをしてからです。

ちなみにホヒの子孫が今の出雲大社宮司です。上陸した徐福は出雲に住み、出雲王家の高照姫を娶り 長男が生まれ 五十猛(いそたけ)」
と名付けます。徐福の父の名が徐猛と言ったので 「猛」を付けたのでしょう。

自分が出雲王国の王 つまり和国の王となるつもりでやってきた徐福は 当時の出雲王国の主王と副王を亡き者にします。

当時の出雲の 主王八千矛(役職名は大名持で 記紀では大国主とか大黒とか大名持、大汝と書かれた)と副王の八重波津身
(役職名は少彦で記紀では事代主とか少名彦名と書かれた)をホヒや海童たちに命じて誘拐幽閉して殺害し
自分が出雲の王になろうとしますが 王国の組織がしっかりとしていて それが果たせずに いったん秦国へ帰国します。
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五十猛海岸の地図です。
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付近の地名には 駅名をはじめ小学校、交差点など多くの五十猛があります。
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五十猛海岸の神島です。
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神島の説明看板です。
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※徐福が上陸した石見五十猛海岸訪問記事は 2014年4月24日の記事に載せています。
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猪目洞窟の地図です。ちなみに 園の長浜とは 記紀の作り話で大国主が小舟をひっくり返してその中に隠れてしまったという砂浜です。
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猪目洞窟です。説明看板には あの世の世界「黄泉の国」への入り口だと書かれていました。
ほんとのことを書くと 出雲大社の宮司が困りますからねえ。
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粟島の地図です。八重波津身(事代主)は美保関の沼川姫の御屋敷にいたところを矛卑たちに誘い出されて、
つまり大名持が行方不明だから すぐ来てくれと 誘い出され 王の海(今の中海)を西へ向かったまま 
行方不明になったと 向家に伝わっているそうです。
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志都の岩屋洞窟の前には鳥居が建っています。今も聖地なのです。
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大汝(おおなんじ)とは出雲王朝主王の役職名大名持のことです。少彦名(すくなひこな)とは副王の役職名少彦で
記紀では 意図的に間違え表記しています。

万葉集の時代までは 大国主(第八代の八千矛王)と事代主(第八代の八重波津身副王)が洞窟に幽閉されて殺されたことを
人々は知っていたのですね。奈良時代の都の貴族豪族の大半は出雲族でしたから、あたりまえですけどね。
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※大名持が幽閉殺害された猪目洞窟と少彦が幽閉殺害された志津の岩屋の訪問記事はこのブログの2013年3月18日の記事です。
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出雲王国の皇子たちの大和への移住
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徐福、その部下穂日、穂日の息子夷鳥(ひなどり)や海童たちに幽閉殺害された
八重波津身副王(記紀では事代主と書換えられました)の后の一人活玉依り姫(いくたまよりひめ)は皇子の奇日方(くしひかた)
を連れて実家の三島(今の大阪府三島郡島本町)に帰ります。

そして奇日方は三島の人たちや大勢の出雲族とともに葛城地方(今の奈良県葛城氏、御所市)に移住し登美家を名乗ります。

そして 同じく徐福や穂日らに幽閉殺害された 八千矛王(記紀では大国主と書換えられました)の皇子 
味鋤高彦(あじすきたかひこ)も大勢の出雲族を引き連れて葛城南部に移住し 高鴨家を名乗ります。

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出雲王国内で暴れまわる海童たち秦国人たちとの共存を嫌い、葛城地方(今の金剛山、大和葛城山の山塊の東側)に
移住した 出雲王家の皇子たちの勢力図です。

しかし徐福の息子の五十猛も丹波地方に移住して 「香語山」と名乗ります。そして香語山は 父徐福と九州宗像家の市杵嶋姫との
間に生まれた穂屋姫(つまり香語山の母違いの妹)と結婚します。

そして香語山と穂屋姫との間の長男が「天の村雲」で 出雲王家に遅れて大和葛城地方へ乗り込んできました。

大和入りした徐福の孫の天の村雲たち秦国からの渡来グループはヤマトで強大な勢力となります。
紀元前2世紀の当時では 数千人規模の海童たちは すごい数の勢力なのです。

そこで 出雲王族の二人、味鋤高彦と奇日方は ともに天の村雲が初代大和大王になるのを助けて支持します。

初代大和大王(おおきみと呼ばれていました。天皇と呼ばれたのは天武から後のことです。)の皇后となったのが
奇日方の妹「踏鞴五十鈴姫(たたらいすずひめ)」です。そして生まれたのが皇子の「沼川耳(ぬなかわみみ)」
で二代目大和大王となります。

※ 記紀は天の村雲の名前を消して「神武」という架空の名を作りますが 二代目の沼川耳、三代目の玉手看(たまてみ)などは
そのまま記紀に名前が書かれています。しかしイクメ大王(垂仁)前後からは記紀の大王名はむちゃくちゃになります。
このブログの記事でも詳しく取り上げて訪ねています。

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天の村雲達が建てた 葛城坐火雷神社(かつらぎにいますひといかづちじんじゃ)通称笛吹神社です。
火と雷とは製鉄法の踏鞴(たたら)のことです。

海童たち秦国人の子孫は故郷を偲び 陶塤(とうけん)と呼ばれる土笛を吹いていました。
それで笛吹神社とも呼ばれるのです。

陶塤はオカリナの仲間の楽器で掌で握る卵形の楽器で 七つの穴が開いている土笛です。
海童の子孫のハタ族と呼ばれる秦国人の子孫たちが住んだ地域から たくさん発掘されています。

松江市の西川津や古浦砂丘の遺跡から多数発掘されていて ハタ族の住んだ長門地方、また徐福の長男香語山
(五十猛)が移住した丹後半島、などでも多数出土しています。
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鴨都波神社は東出雲王家の向家の皇子奇日方(くしひかた)が中心になり移住開拓し、高鴨神社や一言主神社を建てました。
主祭神はもちろん事代主です。彼らは後に登美家と名乗るようになります。
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高鴨神社は西出雲王家の神門臣家の味鋤高彦(あじすきたかひこ)を中心として出雲族が移住開拓して
高鴨神社を建てました。

祭神はもちろん父親の八千矛王のはずですが なぜか事代主です。それと下照姫です。
下照姫は父八千矛王と八神姫との姫皇女で味鋤高彦の母違いの妹です。

彼らは高鴨家とか賀茂家と名乗ります。ちなみに古代出雲では 神のことを「かも」と発音し
後に鴨の字があてられました。
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※大和葛城地方へ移住開拓した出雲族の足跡を訪ねる記事は 2013年2月13日に載せています。
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諏訪湖地方を開発した出雲族  その2へ続く
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