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玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

共産党が消えていく、かも。

2022-11-16 13:40:59 | 時事

先日、たまたま共産党の宮本たけしの国会委員会質問を見ていた。なんか共産党らしくなかった。

総務大臣を少し虐めた後、えんえんと大阪の夢洲の企業への貸付価格の鑑定評価を聞いていたが、単に国機関からの法的な解釈や説明を聞いているだけだった。

そんなの国会で聞くな、自分で調べろ、と思った。一々官僚が奥の席からノロノロ歩いて来て、「おこたえします」といって、条文を答えているだけだった。全く鋭さも、落ちも無い、単に与えられた質問時間を費消しているだけのような気がした。

何だろう、あのヤル気のなさは。自民党が既に金属疲労を起こしているように、共産党もなんか怠惰やお座なりな姿勢が感じられる。

今回、アベ事件でパンドラの箱が空いた。統一教会の選挙協力がなければ、前回の衆議院選挙は立民と共産の共闘は成功したという仮説も成り立つ。

がしかし、悲しいことに立民の右傾派は根っから共産党が嫌いなようだから、二度と共闘はできまい。

もう共産党もドン詰まりではないのか。そろそろ党名を変えたら。

志位さんは長過ぎる。近頃は小池氏のパワハラ問題も浮上した。

若手にもいい議員がいる。代表選挙をやって党首を変えて、赤旗も名前を変えて左傾の新聞にしたらイメージが変わって、きっと生まれ変わると思うのだが。

藤沢のワイワイ広場から。今や金儲け主義の生協よりいいかも。

 

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遠山の金さんは何処に?

2022-11-15 13:41:34 | ブツブツ

何処かで、多くの人が、期待をしているが、もうアベのフタは閉まったのかもしれない。誰が閉めたかはわからない。あまり犯人を詮索する気にもならないが、こうして、国家は、又も延々と隠蔽を繰り返していく。

ロシアのウクライナ侵攻を見て、国家は鵺のような独裁者の為に動くが、国民の為には動かない。そして軍隊は国民を守らない。そういうのがよく見えてくる。かつての此の國も、昔そうだったんだな、と納得してくる。

東京地検と云うのも、こうなってみると、全く小伝馬町の牢屋のような人権無視の場所で、瓦版屋を使って庶民を大騒ぎさせて、お上の力をチラッと覗かせるだけで、すぐに頬かむりをしてしまう陰険な役所だと思う。

若狭弁護士がテレビで言っていた通り、元皇族は捕まらなかった。

初めから信用はしていなかったが、元首相二人も捕まらなかった。

派遣社員の社会を造った学者まがい?の元総務大臣も捕まらなかった。

結局、みなし公務員を全く理解していない電通の実力者と、「オリンピック」という経済の祭りの幻想を信じた一部の企業家が賄賂を公務員紛い?の人に渡したという犯罪を上げただけだった。

大山鳴動して小鼠数匹、・・・。今となっては可哀想なネズミさんたち。

こうしてみると、特大企業を潰さないように、特大政治家となれば、これも潰せない、所詮、「遠山の金さん」は時代小説の中にしか生きていない。

此の神社の近くには「義経の首洗い井戸」というのがあるが、・・・。自民党の先生のように、「コメントを避けたい。」

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説明責任の安さ

2022-11-14 14:15:52 | 雑感

最近、岸田首相は「政治家は各自で説明責任を盡して欲しい」という言葉が多い。

些か耳にタコができてきた。歯が浮いてくる言葉である。

背後には「アカウンタビリィティ」という、これもカタカナ英語?で意味の解らん経営の概念らしきものがあるのだろう。

庶民の側からすれば、簡単に『何の誰べえと云う、政治家としての、責任を説明して欲しい』のである。

つまり「責任をとってやめるか、辞めない場合は、その責任をどうかんがえているか」を聞きたいだけである。

その場合、日本語では「責任説明」というべきではないか。

どうも「説明責任」とは、つまり記者に向かって何かしらアーとかウーとか言葉さえ発すればよい責任=義務のように聞こえてしまう。

もっとも、それすらしない衆議院議長が居るのだから、この國の国会は極めて民主主義を標榜するうえでヘンテコな形になっているということになる。

確かこの議長の選挙には対立候補に同名の女性が忽然と出てきた不思議な選挙区でもあるが、次回はきっと落選するだろう。

単に洒落た壁だけど。先日久しぶりに行った吉祥寺の街で。

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瓶のふた

2022-11-11 13:43:17 | 政治

少し前のことだが、「瓶のふた」理論というのがあった。政治学の世界では、単にマスコミ情報の一つであるが、1990/3/37付ワシントンポスト紙で、在日米軍海兵隊ヘンリー・スタックポール司令官(少将)が次のように云ったとか。

「もし米軍が撤退したら、日本は相当な能力を持つ軍事力を更に強化するだろう。誰もが日本の再軍備を望んでいない。だから我々(米軍)は(軍國化を防ぐ)『瓶のふた』なのだ」

単に、米軍基地の重要性をオーバーに言ったに過ぎないが。

果たして、「防衛費2倍論」「敵基地攻撃能力」を騒いでいる自民党の右傾派とやらは、これとどう係わるのか、の答えを用意していない。

いずれにせよ、米軍は「瓶のふた」に現在も成っているのだろうか。米軍は、実際に日本を、沖縄を守ってくれるのだろうか。単に太平洋の防衛境界線の最先端の島々としての砦と考えているのではないだろうか。

時代遅れの戦闘機やミサイルを借金まみれ落日の國に高額で買わせておいて、最後は、グアム島で待機していて、沖縄も本国四島も、時間稼ぎのアラモ砦にするのではないのか。もう事実上「瓶のふた」は開いた。

この國の政治はあたりまえに「隠蔽」と「虚偽」が表裏一体となって進んでいく.。

がしかし、古臭い自民党は、その内実は「宗教政党、カルト集団に支えられて政権を死守してきただけの政権」に過ぎなかった。

これからの新自由主義世界の中で、「名誉ある地位をしめて行く」為の国家を運営していく「行動力」「先見性」が、何よりも「戦略性」があるのだろうか。

境川遊水池にて

鷺が近づいてくる、…ちょっと恐い。

ひょとしたら鶴かも?小ぶりなのでサギとしました。

鶴なら、詐欺かも。

 

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日米戦争 ―兵士の日記がない―⒄

2022-11-10 11:13:41 | 近現代史

軍人の日記は戦後著名な軍人たちの回想録とともに相当刊行されている。しかし、一兵士の日記は極めて少ない。

その理由は、⑴軍の生活は徹底した階級社会で、絶対服従の中で個人の時間も空間もないこと。②日本の敗戦とともに厠などで隠れて書いていた手に収まる程の小さな日記類も戦争責任の証拠となるとして焼却を命令されたそうだ。

したがって、世に残った軍人の日記は大将や司令官、高級参謀と云った高官の日記ばかりであるとか。満州事変の時の司令官だった本庄繁の日記を読んだことがあったが、あまり記憶には残っていない。南次郎の日記はあまりの高額で買えなかった。宇垣一成の日記は明らかに後で自分を飾って創られた日記なので、途中で読むのをやめた。

時に、一般の学生でも憲兵に目を付けられて、日記の内容を調べられることもあった。全体主義と云うのは日記を書く自由も奪うものらしい。

ところで、最終の日米交渉に行き詰った日本大使館の寺崎英成一等書記官は、来栖全権駐米大使の了承を得て、俗にいう「ルーズベルト親電」の送付をメソジスト派教会のスタンリー・ジョンソン博士に頼み込んだのだが、結果は時期が遅れてしまい、失敗に終わってしまった。

戦後、彼は宮内省御用掛となって天皇とマッカーサー元帥の通訳を勤めることになる。寺崎の死後遺された遺品の中に、天皇の戦争へのお話を綴った原稿があり、昭和天皇の崩御した後の1991年に文芸春秋社から、所謂『天皇独白録』として刊行された。

それに寄稿した寺崎の娘のマリコの『ある外交官の挫折と栄光』の中に、「いつも必ず日記を書いていた父なのに、1948年2月15日以降の日記が無い」と書いている。

寺崎が死んだのは、1951年8月。とすると約3年半分の日記が無いということになる。この間に、恐らく彼が関係したであろう仕事は、昭和天皇の「沖縄メッセージ」ということになるのか。

それこそが、天皇が新憲法における「象徴」という立場を超えて、国家「元首」として振舞った証拠になってしまう日記なのかもしれない。誰かに燃やされたか、或いは、持ち去られた可能性も否定できない。日記は事実の証明や証拠になり得るモノなのだ。(次回へ)

【参考文献:『昭和二十年八月十五日 夏の日記』角川文庫、『昭和天皇独白録』文春文庫】

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