元 黒龍江大学日本語教師   

元黒龍江大学日本語教師としての思い出などを写真を交え、日記風に綴っていくもの。(No.812からは、故郷新潟から発信中)

No.1.309  「《新潟杯》日本語スピーチコンテスト」のお話。

2013年11月25日 | 日記

「《新潟杯》日本語スピーチコンテスト」のお話。           黒龍江大学日本語教師の大島先生から11月23日黒龍江大学で開催された≪「新潟県・黒龍江省友好県省議定書」締結30周年記念事業≫として行われた「《新潟杯》日本語スピーチコンテスト」が成功裡に終了したというニュースが私宛に届けられた。1983年に新潟県と黒龍江省との間で「友好県省議定書」が締結され、今年で丁度≪30周年≫の節目の年を迎えた。

このコンテストは「新潟県国際交流協会」、「黒龍江省人民対外友好協会」、「黒龍江省翻訳協会」、「黒龍江大学」の4団体が主催者となり、運営は黒龍江大学東語学院が担当した。参加した学校は「黒龍江大学」を始め「ハルビン医科大学」、「ハルビン工業大学」、「ハルビン理工大学」、「東北林業大学」、「ハルビン師範大学」、「黒龍江外国語学院」、「牡丹江師範大学」、「佳木斯大学」の9大学。各大学からそれぞれ2名の代表選手が出場し、総勢18名でコンテストが開始された。

大島先生のお話によると、審査員は黒龍江省人民政府の翻訳担当者など専門家を交えた7人で構成され、「発音・イントネーション=20点」、「文法=20点」、「内容構成=30点」、「表現力=30点」の各項目の合計点数のうち最高、最低点数をカットした5人の審査員の平均点を選手の獲得点数とする方式がとられ、公正かつ厳格な仕組みが採用された。優勝者は3人。黒龍江大学4年生の孫琳娜さんが、最高得点≪90.4点≫をマークし、優勝者の1人に選ばれた。高得点をマークした約半数の選手の実力は拮抗しており、甲乙つけがたくハイレベルなコンテストであったという。

大島先生は「息の長い交流が日中友好関係を確固たるものにしていく。日本語を学ぶ多くの中国の学生に未来を託したい。」と述べておられた。優勝した孫琳娜さんや2位に入った候蕊さんは私の教え子でもある。30年前、新潟県職員として「友好県省議定書」の締結業務の一部を担当していた私としては≪30周年≫の節目の年に「《新潟杯》日本語スピーチコンテスト」が成功裡に終了したことに感慨深いものがあった。

「《新潟杯》日本語スピーチコンテスト」                    (写真提供 : 黒龍江大学 大島先生)

「《新潟杯》日本語スピーチコンテスト」       優勝者3名と新潟県国際交流協会中山理事長。

「《新潟杯》日本語スピーチコンテスト」     入賞者と記念写真。 新潟県大連経済事務所渡辺所長さんも出席。

私の古い友人である黒龍江省人民政府外事弁公室日本処長の李勝彬氏(中央)も出席。

「《新潟杯》日本語スピーチコンテスト」   あいさつをされる黒龍江大学東語学院・陳百海院長。

「《新潟杯》日本語スピーチコンテスト」        コンテスト参加者の成績が発表された。

「《新潟杯》日本語スピーチコンテスト」       コンテストに参加した各大学の代表選手。

「《新潟杯》日本語スピーチコンテスト」

「《新潟杯》日本語スピーチコンテスト」

黒龍江大学4年生の孫琳娜さんが、最高得点≪90.4点≫をマークし、優勝者の1人に選ばれた。

ご来賓の中に黒龍江大学・何穎副校長、黒龍江省人民政府・王英春先生などの懐かしい顔も見られた。

私の教え子も「《新潟杯》日本語スピーチコンテスト」の司会進行役をやられていた。

「《新潟杯》日本語スピーチコンテスト」        黒龍江大学の代表選手。

「《新潟杯》日本語スピーチコンテスト」終了後の懇親会。あいさつは新潟県国際交流協会・中山理事長。

「《新潟杯》日本語スピーチコンテスト」終了後の懇親会。あいさつは黒龍江大学東語学院・陳百海院長。

「《新潟杯》日本語スピーチコンテスト」終了後の懇親会。  中央は黒龍江大学東語学院の陳百海院長。

優勝した黒龍江大学の出場選手などを指導をされた大島先生(左から2番目)と丸山先生(右)。

「《新潟杯》日本語スピーチコンテスト」

「《新潟杯》日本語スピーチコンテスト」       「黒龍江外国語学院」の纐纈先生(右から2番目)も出席。

「《新潟杯》日本語スピーチコンテスト」        懐かしい教え子の顔も見られた。

「《新潟杯》日本語スピーチコンテスト」       優勝者を囲んで乾杯。

「《新潟杯》日本語スピーチコンテスト」       陳百海院長(左)と優勝者を囲んで記念写真。    

「《新潟杯》日本語スピーチコンテスト」      司会進行役を務めた学生(左の2人)と三浦先生(右から2番目)。

「《新潟杯》日本語スピーチコンテスト」     黒龍江大学日本語学科の先生方のお顔も。

「《新潟杯》日本語スピーチコンテスト」     ハルビン理工大学日本語学科の佐藤先生(右から2番目)のお顔も。

「《新潟杯》日本語スピーチコンテスト」

追伸

2011年8月20日付けの私の「ブログ」⇒No.470号「スピーチコンテスト」のお話で記載した私のひとつの夢が実現した。参考までに当時の「ブログ」を添付しました。優勝した3人は来年3月に新潟県へ招待されることになりました。 

「スピーチコンテスト」のお話。 写真は昨年、開催された「スピーチコンテスト」の優勝者に贈られたトロフィー。高さも70㎝ほどあり、大きくてなかなか立派なものだ。贈り主は「北海道旭川市長」と「旭川市日中友好協会長」のおふたり。北海道旭川市はハルビン市との間で「友好都市提携」を結び、昨年「友好都市提携15周年」を記念し、旭川市をテーマにした「スピーチコンテスト」を開催し、黒龍江省内の多くの大学生が参加した。その結果、大学生の間で、旭川市の知名度が“グーン”と高まったと聞いている。

費用対効果などを考えてみても、多くの若い大学生から日本を理解してもらえる取り組みとしては、素晴らしい企画だと思う。「新潟県」と「黒龍江省」は、1983年に「友好県省議定書」を締結しており、2013年に「友好県省議定書締結30周年」を迎える。また「新潟市」と「ハルビン市」は1979年から友好都市となっており、友好交流、経済交流、スポーツ交流、文化交流など各種交流事業を活発に実施しておられる。

今年、山形県はハルビン市に事務所を開設し、3人の職員を配置し、友好交流や経済交流などを促進させるという。是非、新潟県や新潟市も節目の年や各種交流事業を記念し、「新潟県知事賞」「新潟市長賞」「新潟県日中友好協会長賞」などの大きなカップやトロフィーを提供し、新潟県や新潟市をテーマにした「大学生スピーチコンテスト」などを黒龍江大学などを会場に実施してはどうだろうか。優勝者を“新潟”へ招待すれば参加者もぐっと増える。黒龍江省内の若い大学生から“新潟”を理解してもらえる絶好のチャンスと考えるが…。

優勝者に贈呈されたトロフィー



「北海道旭川市長賞」



「旭川市日中友好協会長賞」

黒龍江大学の日本語学科「展示室」に飾られている「カップ」、「トロフィー」、「賞状」