パンダとそらまめ

ヴァイオリン弾きのパンダと環境系法律屋さんのそらまめによる不思議なコラボブログです。
(「初めに」をご一読ください)

国会改革と国家基本政策委員会

2006-02-22 23:22:26 | Weblog
振り返ることちょうど6年前?「国会審議活性化法」(国会審議の活性化及び政治主導の政策決定システムの確立に関する法律)が制定されて、
①政府委員制度の廃止
②政務次官に代えて、副大臣・政務官の創設
③国家基本政策委員会の創設による党首討論の実施
という柱の「国会改革」が行われました(確か当時の自由党の強い意向だったハズ)。
 
これによって、
①政府委員制度が廃止され、官僚は原則国会で答弁できなくなる、国会議員同士の議論が展開される とか、
②①に従って政治家の負担が増えることもあり、政治任用を増やす必要がある とか、
③党首同士が、国家の基本的な政策について「討論」を行い切磋琢磨するだとか、
全般的にそれなりに意義深いものであったと評価されていたように思います。
 
 実務家として、「ごもっともだけど、うまくいくのかな?」という懸念を持ちましたし、特に先輩であればあるほど強い懸念(疑念か?)を持っていたように思います。今では笑い話でしかありませんが、実務家の特に①に対する懸念の対応として「質問通告は2日前までに出すことにする」とか与野党で申し合わせされたような記憶もありますし。②についても新しい「副大臣」「政務官」という役割についても、とりわけ導入当初は、実際に任に就かれる方と事務方との間で理解の齟齬があったようにも思います。③クエスチョンタイムの運営も最近は存じ上げませんが、導入当初は期限○時間後などとシステマティックに答弁を準備することもなく、前日夜中の27時一人の職場で総理秘書官の電話を取ってしてしまったこともあったっけ。最近ではそういう混乱がなくなってきたのは(いや残っているのかな)、ひとえに「国会改革」以前の状況に戻ってきてしまったということで、例えば「政府参考人が答弁するなんてケシカラン」と叱責を受けることも減り、党首討論は行われること自体減ってしまったようです。
 
 何でこんな(小)昔話を始めたかというと、「党首討論ってメールがガセかどうか議論する場だったっけ?」ってことで、誤解を受けたくないのですが「どっちがどう」というつもりは全くなく、「非常に新しい民主国会の姿に変貌していくのではないか」という当初の期待とは似ても似つかないナレノハテの姿がただただ悲しく、とりわけクラスメートに借りた人権イシューの本を読んで心を痛めていただけに(そのうち書きます)、また時折今国会への提出法案を眺めていただけに、さらに昨日書いたように米国憲法なんか勉強しちゃったりして政府の役割を考え直していただけに、余計にその悲しみが増幅されてしまいました
 Is this what we wanted them to do?

※実はパンダさんが疲れでダウンしかけてしまって、夜になってちょっとよくなったところ。しっかり休んでね