l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

開山無相大師650年遠諱記念 特別展「妙心寺」

2009-03-31 | アート鑑賞
東京国立博物館 平成館 2009年1月20日-3月1日

  初期に入手したチラシ

  後期に入手したチラシ

前売り券2枚を購入し、年初から楽しみにしていた妙心寺展だが、なんとか前期、後期と1回ずつ足を運ぶことができた。40点ほど入れ替えがあり、前・後期それぞれに大きな目玉があるので、やはり両方観ないわけにはいかない。

もうとっくに閉会してしまったが(実は後期は閉会日に駆け込んだ)、学んだことや印象に残った展示品を記しておきたいと思う。

本展の構成は以下の通り:

■第1章 臨済禅 ―応燈関の法脈―
■第2章 妙心寺の開創 ―花園法皇の帰依―
■第3章 妙心寺の中興 ―歴代と外護者―
■第4章 禅の空間1 ―唐絵と中世水墨画―
■第6章 妙心寺と大檀越 ―繁栄の礎―
■第7章 近世の禅風 ―白隠登場―
■第8章 禅の空間2 ―近世障壁画のかがやき―

*本来、400年遠諱の再現を試みた第5章があるそうだが、東京では展示室の構造上、第1・2・4章に振り分けられれているとのこと

では、それぞれの章で印象に残った展示物を挙げていく:

第1章 臨済禅 ―応燈関の法脈―

『関山慧玄坐像』 吉野右京種次作 江戸時代(1656) 妙心寺

入り口でこの像に出迎えられる。木彫に彩色、玉眼。垂れ目気味の、端正な顔立ち。とはいえ、慧玄は自分の肖像を造ることを許さなかったので、実際の容姿は不明(ちなみに慧玄は臨終に際して頂相を描かないよう弟子に遺言、よって無相大師)。いずれにせよ、この像はプロポーションもよく、着物や袈裟の襞、模様なども美しい。何となくフィレンツェのバルジェッロ博物館にある、ドナテッロ作とされるテラコッタの胸像を想起した。また、この慧玄像の前には『銅三具足』(江戸時代・1664)も置かれていた。 三具足とは、仏前への供養の基本となる香、花、燈を供えるための、香呂、花瓶、燭台を一具としたもの。鳳凰がデザインに使われている燭台が装飾的に美しかった。

『六代祖師像』 西礀子曇賛 鎌倉時代 13世紀

禅宗の初祖達磨から六祖慧能までの六代祖師の頂相。これら六人の祖師が中国禅宗の源流をなすとみなされ、六代祖師をセットとしてまとめて描くことは、南宋時代から元時代に盛んに行われたそうだ。私がこのような頂相を観ていてどうしても気になるのは、僧の靴の脱ぎ方。たまに履いたままの人もいるが、たいてい脱いだ靴が足台(正式な名称わからず)の上に載っていて、揃っている人もいれば左右がバラバラに明後日の方向へ向いている人も。ここにも何か意味があるのだろうか?

『宗峰妙超墨蹟 「関山」道号』 鎌倉時代・嘉暦4年(1329)

この道号(禅僧が本師や恩師から授与される称号)は、宗峰妙超が弟子の慧玄に与えたもの。妙超48歳のときの墨蹟で、この道号により、慧玄蔵主は「関山慧玄」と名乗れるようになった。関の字の左側がしなっているのが印象的な、骨太で力強い筆致。慧玄と妙超の印可状も出展されていたが、かすれ気味で柔らかく、どちらかというと女性っぽい慧玄の筆致に比べて、妙超の墨蹟はくっきりしていて男性的。

『絡子 関山慧玄料』 南北朝時代・14世紀

絡子とは五条袈裟の一種で、いわば労働着。この飾り気のない、疲れた風合いの絡子を慧玄は愛用していたのだろう。形式にこだわることを嫌い、ひたすら弟子の指導に心血を注いだという慧玄の、質実剛健な人柄がしのばれる。

『瑠璃天蓋』中国 明時代・15~16世紀

ガラスの小玉(どちらかというと、色とりどりの不揃いのビーズといった感覚)で出来た天蓋。円筒の形をした内蓋の外側に、六角形の外蓋がかぶさるように出来ている。外蓋は、花など様々な形に編み込まれた長い「ビーズ作品」が、まるでアクセサリーのように上部の六か所のフックから吊り下げられているように見える。銅針金にビーズを通しているので、真っ直ぐ下がらず、全ての線、形が微妙に歪んでいるのがいい。柔らかい照明に照らされ、下の台に投影されていたガラス小玉の濃淡の影が、これまた幻想的で良かった。

■第2章 妙心寺の開創 ―花園法皇の帰依―

『山水楼閣人物図螺鈿引戸』中国 明時代・16世紀

精巧な螺鈿細工で描かれた山水楼閣人物図がはめ込まれた、絢爛たる引戸。それぞれ異なる絵図を持つ引戸は4枚並び、1枚180cmx72cmもある。螺鈿細工には夜光貝の薄貝を使っているそうだ。楼閣のきっちりした線、人物や山水、木々などの細かい描写に目を瞠る。すごい仕事ぶり。

■第4章 禅の空間1 ―唐絵と中世水墨画―

『菊唐草文螺鈿玳瑁合子(きくからくさもんらでんたいまいごうす』 朝鮮 高麗時代・12~13世紀

「洲浜形」と言われる、円を横に三つ並べて左右をちょっと下にずらしたような形の合子。高麗時代の希少な作品。横幅9.3cm、高さ3.5cmのとても小ぶりな入れ物だが、繊細な細工で黒地に朱色の花がたくさん散りばめられ、典雅。

『瓢鮎図(ひょうねんず)』 大岳周崇等31名賛、如拙筆 室町時代・15世紀

元旦から観るのを楽しみにしていた国宝。「丸くすべすべした瓢箪で、ねばねばした鮎をおさえ捕ることができるか」を主題に、足利義持が如拙に描かせたもの。空気遠近法ともいえる遠方にかすむ山並み、手前のしなる竹。やはり実作品でないと、絵の風格がわからないものだ(瓢箪の持ち方が変ではあるが)。絵の上には、五山の名僧31人による賛があり、「鮎は竹竿に上る」という故事に言及していると思われるものもある。いずれにせよ、いくら絵を観つめたところで私なんぞには何の考えも浮かびませんでした。

『鍾呂伝道図』 伝狩野正信筆 室町時代・15世紀

呂洞賓(りょどうひん)が、鍾離権(しょうりけん)から仙術の指南を受ける図。でっぷりした体格の鍾離権は色が黒く、目がギョロギョロしていて、足もとを崩してでんと座る。対峙する痩せた呂洞賓は、きちんと正座し、手もとの巻物に目を落とす。右手の人差指で呂洞賓を指しながら語っている鍾離権の様子は、「なぁ、よく聞けよ」と口調が荒っぽそうなイメージ。背景の松の木の描写は見事。

『浄瓶てき倒図』 狩野元信筆 室町時代・16世紀

「唐の懐海(えかい)禅師が、霊祐(れいゆう)禅師に瓶を示し、「これを瓶と呼ぶべからず。では何と呼ぶか」と問うたのに対し、霊祐は無言でその瓶を蹴り倒して去った」という故事を描いた作品。人の作ったこの世の概念など意味がないという禅の悟りをあらわすのだそうだ。倒れて転がる瓶の後ろで「おやおや」といった風情の懐海たちを尻目に、霊祐は目を吊り上げ、頬を膨らまし、口をへの字に曲げて憤然と去っていく。禅の悟りというと、あらゆる感情を克己した穏便な精神世界をイメージしていたので、プンプン怒りの感情を露わに足早に去っていく霊祐の表情が意外でおもしろかった。

■第6章 妙心寺と大檀越 ―繁栄の礎―

『玩具船』 安土桃山時代・16世紀

豊臣秀吉と側室淀殿(茶々)との間に、秀吉が50歳を過ぎて初めて授かった待望の息子が棄丸。ところが、棄丸は2歳2ヵ月という可愛い盛りに亡くなってしまう。その棄丸の葬儀が行われたのが妙心寺。

この玩具船は、その棄丸のために作られたもの。本体は木でできており、漆箔や彩色も施された、立派な作り。船の上の前後に社のような屋根の装飾がされ、真ん中にちょうと幼児が座れるようなスペースが設けてある。この船は車輪のついた台の上にしつらえられており、引っ張って動かせる仕組み。ふと、イギリスの某サッカー選手が息子に買い与えたという、高価なミニチュアのレーシング・カーを思い出してしまった。もとい、秀吉の息子に対する溺愛ぶりを如実に物語る玩具であり、またこの小さなスペースを見ると夭折した幼い棄丸の姿が偲ばれ、切なくもなった。

『桐竹雪文様打敷』 安土桃山時代・16~17世紀

橙色の地に、苔色や水色で刺繍された桐紋と笹の葉、間に白い雪が散る安土桃山のイメージにピッタリな文様。褪色が激しく、橙色に見えるのは本来紅色だったようだが、今の落ち着いた色彩、特に橙と苔色の対比がいかにも和的な色彩の調和を見せ、美しいと思った。

『瑠璃天蓋』 中国 明時代・16~17世紀

ガラス玉と針金で作られた六角形の天蓋。一つ目の天蓋と比べるとガラス玉の粒がそろっていて、六面それぞれが同色で固められていたり、色の配列が規則的だったりとより洗練された印象。ガラスというのはきれいなものだ。

『春日局消息』 江戸時代・17世紀

ほとんど読めないが、しなやかで勢いのある線がアートを感じさせる筆跡で、印象に残った。

■第7章 近世の禅風 ―白隠登場―

『雲居希膺墨蹟 法語』 江戸時代・17世紀

日常を後悔のないように生きよ、と平易な十の条文で戒める法語。誰が見ても読みやすい文字で、整然と十行。その条文の後に「万事一失悔不回」、後悔先に立たず。セネカの『人生の短さについて』までも思い出し、胸に染み入った。

『達磨像(だるまぞう)』 白隠慧鶴筆 江戸時代・寛延4年(1751)

縦222.8cm、横136.3cmの大画面にドンと墨で描かれた達磨の上半身像。大きな目玉は左上方をギョロリと見据えている。首から上はほぼ右半分に納まっているが、蛇行する川のように右から左へ太い筆で力強く引かれた線一本で見事に表された衣服の線は、左端まで届く。空間表現が効いた、ダイナミックな達磨像。

■第8章 禅の空間2 ―近世障壁画のかがやき―

『楼閣人物螺鈿座屏』伊勢谷直七 江戸時代・嘉永2年(1849)

美しく装飾された台足および透かし彫りの額に、精緻な螺鈿細工の飾り板がはめられた一対の座屏風。エメラルド、ルビー、サファイヤの如く、緑、ピンク、青の魅惑的で微妙な光を放つ楼閣や人物たち。つま先立ちしたり、しゃがんだり、斜めから観てみたりと、しばしその魔法のように美しく色を変える螺鈿の世界を堪能した。

『枯木猿猴図』 長谷川等伯筆 安土桃山~江戸時代・16~17世紀

マニエリスムのように引き伸ばされた猿の肢体。チョンチョンと描かれた顔。子を肩車する親の猿は笑っているし、一人で木にぶら下がって戯れる猿は、まるで次のいたずらを考えているようなヤンチャな顔。フサフサと柔らかそうな毛並みのデリケートな表現と、木の枝の流れるような筆捌きが印象的。

『龍虎図屏風』 狩野山楽筆 安土桃山~江戸時代・17世紀

妙心寺の図屏風は、標準サイズの屏風に対して縦25cm弱大きいそうだ。図録に京都国立博物館の山下氏の「ふつうの屏風のつもりで持ち上げようものなら、ぎっくり腰を起こす危険さえある」というご苦労話が載っているが(前任者に「妙心寺図屏風をひとりでかかえられるようでないと、京博の近世担当は勤まらない」と言われたとのこと)、購入する際に販売員の方が「重いのでお気をつけてお持ち下さい」と手渡してくれた図録の重さに驚いている場合ではないのである。25cmと言われてもピンとこないが、実際に対面するとかなり大きいのがわかる。その大画面を遺憾なく活用し、大迫力で迫ってくるのがこの『龍虎図屏風』。右隻には、天からまるで隕石が落ちてくるような疾走感で降りてくる龍の頭部。左隻には虎のつがいがいて、雄は背後の雌を守るがごとく、首をねじりながら龍に向かって目をむき、大きな口を開けて咆哮している。繊細な筆遣いで描かれた毛並みに目をこらし、しなる背中を背後から目で追って、牙をむき出す顔に行き着いたとき、ゾクゾクした。

『花卉図屏風』 海北友松筆 安土桃山~江戸時代・17世紀

左隻には苔むした岩を前景に、左に梅の木が立ち、上へ伸びる梢はいったん画面上では寸断されながら、中央で再び枝が下りてくる。梅の木の周りには椿の幹、花をつけた枝。右隻には、たわわに開花した牡丹の花が画面一杯に咲き誇る。『龍虎図屏風』と共に、チラシに使われていたもう一つの作品。ちょうど近くにあった、同じ作者による『寒山拾得・三酸図屏風』と比べると、金地の色がより濃く、黄土色に近いのに気づく。まさに装飾の美。

『寒山拾得・三酸図屏風』 海北友松筆 安土桃山~江戸時代・17世紀

様々な作品で見かけるちょっと異様な風貌の寒山と拾得の二人は、中国唐時代末頃に天台山清寺に住んだ隠者。この作品では、寒山が両腕をいっぱいに広げて持つ、U字型にたわむ経巻を、背後から箒を持った拾得が覗き込んでいる。もう一つの『三酸図屏風』共々、ほぼ全面に渡って金箔で覆われた中に墨で人物や背景が描かれており、普通は平面性が強調される金箔の中に奥行きが出ている。

『老梅図襖』 旧天祥院障壁画 狩野山雪筆 江戸時代・17世紀 アメリカ・メトロポリタン美術館蔵

苔の貼りつく幹や枝が、あり得ない角度であたかも増殖していくように画面左方向へ伸びていく。山という字のごとく、90°にカクカクと生える枝ぶりは強烈な印象。今にも画面からこちらの方角へニョッキリ枝が出てきそうだ。瀕死の老木が最後の力を振り絞り、執念で花を咲かせているようでもあり、あるいは絡みつくような妖気を発する老木の精霊であるようにも感じた。