天国は、海におろして様々のものを集むる網のごとし。(マタイ13:47)
「雑魚」と書いて「ざこ」と読む。優雅な魚釣りなら、一本釣りで「大物」ねらう。しかし、漁を生業とする漁師は、よっぽどの「大物ねらい」なら別であろうが、普通は漁網を海に降ろして引き上げる。すると、名もないいろいろな魚が上がる。大物もあれば、小物もある。名もない小物をまとめて雑魚と呼ぶ。金になる大物は市場に出すが、雑魚は漁師が家に持 . . . 本文を読む
人はその時を知らず、魚の禍の網にかかり、鳥の鳥羅(とりあみ)にかかるが如くに、世の人もまた禍患の時の計らざるに臨むに及びてその禍患にかかるなり。(伝道の書9:12)
魚釣りは高尚な趣味であると言われる。確かに、かなり費用もかかり、時間的にもゆとりがなければ、できないであろう。その意味では「贅沢な趣味」である。しかし、人間の仕掛けに引っかかって釣られる魚の立場から、その不運を考えたことがあるのだろう . . . 本文を読む
2005年 逝去者記念聖餐式 (2005.10.30)
座るのも立つのも 詩編139:1-24
1. 葬送式と逝去者記念で用いられる詩編
祈祷書には葬送式や逝去者記念礼拝、あるいはそれに関連する諸式において用いられるにふさわしいものとして11編の詩編が選ばれている。ちなみに、番号だけ紹介すると、23編、27編、42編、46編、90編、106編、116編、118編、121編、130編 . . . 本文を読む