続・弓道の極意

私が一生をかけて極めようとしている弓道について、日々の気づきを積み重ねていくブログ

角見と詰合いは表裏一体 二.

2009年06月18日 | 極意探求
では、詰合いと角見の関係とはいったいどういうものなのだろうか?

正面打起しの場合で具体的に考えてみよう。

正面打起しの場合、手の内の完成は大三の完成と同時に行われる。すなわち、打起した後、大三に向け弓手を開いていくのと同時に、円相をなしていた弓手の手首を腕の中筋に対してまっすぐに伸ばしていく。

そして、大三の完成した時点で、手首は腕に対しまっすぐ延長線上にあり、手指もまた、まっすぐに張り伸ばされている(「朝顔の手」参照)。

これが大三における手の内の完成である。(したがってこの時点では天文筋と弓とがまっすぐにはならないことに注意。まっすぐにするには手首を曲げる必要がある※)

そして、ここから引分け、会、離れに至っては、手の内を崩すことも、手首を曲げることも許されない。つまり、大三でまっすぐに詰め合った弓手(手の内を含め)は、残身に至るまで全く形を変えないということである。

では、なぜこれで角見が利くのであろうか?これには角度と弓力(弾性)が関係している。

まず、角度については、身体の真上から見たとき、両肩のラインを0度とする。そうすると、打起しのとき弓手の角度は90度に近く、残身のとき0度である。

大三のときで弓手はおそらく30度くらい、そこから会に近づくにつれ、角度は段々小さくなっていく。

一方、弓と弦は、真上から見たとき肩のラインと並行に移動し続けるので、弓手との角度はまた30度(大三から会までで)ほどの変化が起こる。

この角度の変化が、手の内の中で「ねじれ」という圧を生む。

もう一つ、大事な要素が弓力(弾性)である。これは単純で、大三から会、離れに至るまで、つまり弓を開けば開くほど戻ろうとする力が高まる。したがって手の内に掛かる弓の圧力は増し続ける。(手の内に力を込めずとも!)

これらの二つの圧、すなわち「ねじれの圧」と「弓力の圧」が詰め合った手の内の角見に結集され、「角見が利く」ということになるのだ。(正確には、ねじれの圧を弓力の圧で抑え高めるということ)

したがって、角見を利かせる上で最も大事なことは、弓力の圧に負けない詰合いの強固さであり、ねじれの圧を逃がさないために無限に続く伸合いである。


※天文筋を弓に合わせることを重視し、手首を上押し気味に曲げて大三を取ると、それ以降、引分けの間に手首を腕に対してまっすぐに直すことは非常に困難になる(弓力の圧が増し、上押しを続けなければ緩んでしまうため)。したがって、この場合、ほとんど会では上押しとなる。