繰り返しの人生

小さな命と楽しい小学生、老人の日常の日記と防犯プロよりセキュリテイ案内。
 

青年医師の当たり前の心ね。東京ディズニーランドにもの申す。

2006年06月04日 11時38分56秒 | Weblog
昨日は一日中、空の下におり、朝方は雨がぱらついたが、日中は曇りで少し寒く感じ、夕刻は肌寒く、バシタオルを肩にかけてのディズニーランドでありました。「話すだけが医者ではない」なんだろう、吃音(せつおん)を隠さず患者の力にと紙面に出ている。今年九大を卒業し、総合病院で研修医をしている青年医師の話である。彼は小さい時、小学1年の時、自分が吃音であると自覚した。朝のホームルームで自分の名前を呼ばれてもハイと言う返事が出来なかった。それ以降なんとか話さないですむことが出来ないかという毎日であったそうです。誰かに直してもらいたいのだが、相談する人がいない。それなら自分で治すしかないと思い、医者を目指したようだ。学生時代カリキュムの一環で病院の見学をした時、患者と看護婦と盛んに話している医師がいた。自分が最も苦手にすることであり、医者になることに不安が出てきた。大学5年の時80歳代の女性患者と出会った、女性患者は多発性硬化症という難病で、2年前に失明していたとのこ、彼女は目が見えぬので「力になりたいと」と毎日通って話に耳を傾けたとのこと。彼女より、貴方はよく話を聞いてくれるから、いい先生になるよ。医者になったらまた診て欲しいと言れた。彼は話すだけが医者でない、聞くことも大事な仕事であると、当たり前なことに気付いた。このことでいままでの自分の吃音についての不安が消えたとのこと。物事、まづ聞くことから始まります。なおこの先生どんなに暑くとも白衣の下にはワイシャツとネクタイを欠かさない。この先生いわく、私はどもるから、患者さんが不安を感じないように、格好をきちんとして安心してもらい為にこのようにしているとの記事でありました。世の中当たり前のことが当たり前に出来ぬ人が多く、自分で自分の首を絞めている人が多いように見受けられる。当たり前のこと難しいね。
ディズニーランドの一日は朝のドライブよりの始まりで、7人の家族で出発でとなりました。家内がおむすびを多量に作り、コンビニに立ち寄り飲み物を補給し、元気にルンルン気分での発車オーライとなりました。現地の駐車場には9時前についているがもう長蛇の列で我々の車は一番奥へと誘導される。車を駐車場に置き、さあ頑張るぞと入り口に向かうが足は軽いがどうもと遠く感じる。人の多さにはびっくりです。車のナンバーも関東近県はもとより大阪、名古屋、はては札幌とあり、日本全国は無論、言葉の異なる、諸外国の人達もたくさんでたいへんよい娯楽施設が出来たものだと感心いたしました。このディズニーランド、アメリカに出来ているのと,形が同じものを日本にでも作り、人々に楽しさと勇気と癒しを与えてくれる施設で徹底的なサービスを提供する施設と聞いております。いろいろの雑誌にも食べ物、アトラクション、サービスの記事が紹介されているように、年々派手というか何回も出かけて楽しみたいという、リピーターが多いと言う、たしかにゴミ等が散らかっているのではなく、すばらしい施設であると感じたが、長く同じことをしていることには甘えがあるように感じられました、たしかにに従業員の教育はすばらしいと思いますが、機械人間がたくさんおり、人の心が分る人間が少なくなっている。マニア通りの応対が問題ないと思うが、人の心にマニアルを押し付けるなと従業員に怒鳴りつけてしまい、自分では反省しているが、この施設の殿様商売のやり方はかならず、反発がでてきますよ、人と人が会話できることを望みます。でもすばらしいアトラクションの数々には敬意をひょうします。ぼうずと赤ちゃん、そして遠くよりお見えのお姉さんが喜んでくれた「東京ディズニーランド」ありがとうございます。