繰り返しの人生

小さな命と楽しい小学生、老人の日常の日記と防犯プロよりセキュリテイ案内。
 

「震災孤児」数百人か…  ワンパク君耳垂れで病院、チビはバレー教室

2011年03月31日 08時01分52秒 | Weblog
今日は晴れです。素晴らしい青空に鳥が飛んでいる静かな朝、暖かな香りがする。
東日本巨大地震で親を失った児童生徒は、1995年の阪神大震災の68人を大きく上回る見通しとなっている。厚生労働省などによると、阪神大震災が早朝に発生したのに対し、平日の日中に発生した今回の地震では多くの児童生徒が下校前で、学校ぐるみで避難して助かった事例が多く、「震災孤児」は数百人単位にのぼるとみられる。

今月も今日が最後の日、あの忌まわしい巨大地震が発生した11日、いつまでも記録に残る月日であります。被災者の方々にはとてもお気の毒で見舞いの言葉もありません。ただ人は生きてその価値が発揮されるのです。厳しい状況下奮起を期待します。
昨日の我が家は私と「ばあば」はいつものように朝の仕事をさせてもらい、家族のサポートに徹底している。少し遅かったが7時前にチビが先頭でぼうず家族が起きて来て朝食です。息子を駅まで送りゴミ出しをしてほっとしていると朝食が終った母親がワンパク君の右耳より膿が出ているので耳鼻科に連れて行って欲しいとのこと。症状は3日ほど前からで気にしていたので即支度をしてワンパク君を連れて出ようとすると「ばあば」が私も一緒に行きますで耳鼻科に向かう。ワンパク君は治療に際し暴れるので助かった。耳鼻科には8時52分到着で順番は26番目であった。ワンパク君を順番まで待たせるのが一苦労、一時としてじっとしておらず「ばばば」と交互に見張りです。10時5分過ぎワンパク君の名前が呼ばれた。殊勝な心がけで診察台に座り先生の治療を受ける。病名は中耳炎で鼻・耳の掃除をしていただき、薬を飲めば直りますと先生から言われほっとして車に乗せて自宅に一直線。自宅に着き車から降りると「ばあば」が保育園に連れて行った。戻った「ばあば」はいつもの買物ですと言いながらお出かけです。ワンパク君の薬を受領する為の車が無いのでぼうずに依頼です。ぼうずは気持ちよく引き受けてくれて自転車で出かけた。昼飯はぼうずと3人でそれぞれ昼前は忙しかったので美味しくいただいた。午後4時からチビのバレー教室が始まるので「ばあば」にお迎えをお願いし着替えさせ、頭も団子に結わえて教室に送る。とても話しが好きなチビ、保育園でのことを教室に着くまで話してくれ、ご機嫌で教室の玄関に飛び込んだ。靴は脱ぎっぱなしだぞと叫ぶが知らん顔。ワンパク君は「ばあば」がいつもの帰り時間にお迎えです。帰る早々「ねえね」はであり、バレー教室と言うと「ああそうか」で会話が成立し楽しそう。夕食のメインはハンバーグでスパゲティも出されており大好物な3人は余りおしゃべりもせず平らげて「ごちそうさま」であった。食後一番風呂はぼうずで順次の入浴で楽しい一日であったようです。


 

大学130校で入学式中止・延期  ぼうず体を持て余していた。チビ最終の歯医者でした。

2011年03月30日 06時08分53秒 | Weblog
本日も晴れです。桜の開花情報があるが我等の地域はもう少し、ワシントンの桜は満開とのこと。
東日本巨大地震の影響で、新年度の入学式を中止または延期する大学が、東北・関東地方の国公私立446校(短大含む)のうち、少なくとも130校に上ることが、文部科学省の調査で分かった。被災地では校舎の損壊などのため講義の開始が遅れる大学も多く、同省は29日までに、授業時間を定めた大学設置基準を新年度に限り弾力的に運用することを伝えた。東北地方では77校のうち約50校が入学式の中止・延期を決定。


急に暖かくなったようです。家の周りの草が目だち「ばあば」が午前中草むしりを始める。私も負けじと始めるが根気が続かず1時間でアウトであった。毎日の報道では悲しいことばかり、テレビにはスポンサーが着かず広告機構の宣伝が各局に流されている。「がんばれ日本」である。何か寂しく・悲しくてとても辛い気持ちで見入っていた。
昨日は我が家の地域と言うか全体的に計画停電が回避されて気分がよい。皆節電に協力してくれて必要電力が確保でき計画停電が実施されなかったようです。電気が無い辛さは3回ほどであったが不便を感じたが東北の人達に比べればとても贅沢である。国会が開催されており、総理の答弁を聞いていたが開き直りの回答でいやになりチャンネルを回してしまう。ある副大臣がテレビでの話し、我等が経験したことが無い大きな地震で津波が発生し原子炉等も壊す史上最大の大地震であった。今後の方向について最大の手は打っているが結果は後で出してくれるので今は精一杯のことを内閣はしていると言っていた。言葉の遊びは要らない。今国民が求めているのは何かを政府が理解していないと言っている。分り易い対応が必要で指針を指示すること。指示命令をしたことには回答を明示することが必要であると思う。
我が家族は月曜日より正常な動きになった。ぼうずはこの6年生ラストの春休みを遊ぶつもりでいた。世の中たいへんなことが発生しうろたえているかと思ったがマイペースでほっとする。チビ・ワンパク君は朝出かける際には競争で出かけた。二人とも何でも一番が大好き(何処かの誰かが二番では駄目ですか)で出かけるにも走り出して母親に叱られていた。「行ってきます」の挨拶も爽やかで気持ちが良かった。ぼうずは体を持て余していたので自転車で遊んでこいと言うと図書館に向かってで元気よく出かけた。昨日より母親が携帯電話を用意してくれたので出かける際には持たせた。昼ご飯は3人で大食感のぼうずに圧倒されて負けじと食べて旨かった。
チビ・ワンパク君「ばあば」のお迎えで元気にお帰りです。チビは5時半に歯科医院の予約が入っているのでワンパク君に送られて私と二人で車で出かける。乳歯がぐらつき抜歯をお願いに歯医者に伺い抜いてもらった際、虫歯が上下で4箇所あり以後通いつめて昨日は最後の治療であった。治療が終りどうだったと聞くとこれからはしっかりと歯磨きをして虫歯は作らせないと言い切ってにっこり。表面をフッソ処理したので1時間は飲食は駄目ですに「ハーイ」と返事をして医院を辞した。


「とにかくいや」…  ぼうずの学校対策で皆に協力を。チビ・ワンパク君は元気

2011年03月29日 07時45分33秒 | Weblog
朝起き外に出ると生暖かい風、春の訪れで木々や草花も嬉しそうです。
東京電力福島第一原子力発電所の事故で、原発から半径20キロ・メートル圏内の避難指示区域にかかる福島県の10市町村のうち、少なくとも6市町村で五十数人が圏内に残っていることがわかった。各市町村によると、28日現在、南相馬市27人、楢葉町10人余り、富岡町9人、田村市4人、川内村2人、葛尾村1人。浪江、双葉、大熊、広野の4町はいないという。南相馬市によると、7世帯からは「とにかく避難しない」と拒まれている。そのほかの理由は、「寝たきり・病気」5世帯、「乳牛の飼育」3世帯、「ペットの飼育」2世帯、「様子見」2世帯。

昨日の午前中、東京は桜が開花したとの報道。桜前線移動でこれから楽しみです。被災された地域東北は4月下旬とのこと。相変わらずというか福島原発の放射能の漏れが拡大傾向です。国も東電も正しい報告を国民にしていないようで情報に対し疑心暗鬼「しっかりせよ」であります。
我が家の月曜日、毎日のことで各自の分担をしっかりと履行する。天気は余り良くは無かったが雨も降らず助かる。チビ家族の中で自分から起きてくるのはチビだけには困ったことです。昼食後私がチビ家族に宣言する。現在我等は6時25分頃、チビ家族は7時10分の朝食でバラバラです。朝の食べる支度は全て「ばあば」で食べるだけなのに起きてこない。まして掃除・洗濯は私で何が不服であるのか!4月6日からぼうずが中学校でバス・電車の通学です。最低でも6時半には家を出なければ目的の電車に乗り遅れます。6時には朝食が済んでいなければ、まして毎日弁当持参せねばならぬので今日から6時の朝食を私が宣言した。出来るか分らぬが挑戦することが大事なことです。
チビ達保育園部隊は9時過ぎに母親とぼうずの付き添いで出かけた。月曜日は持ち物が多いのと昼寝用のシーツの取替えがあるからです。無難にこなしてのお帰りでほっとする。ぼうずは私が指示しないと漫画とゲームです。体を慣らすため図書館に行って来いで出かけてくれた。ほっとした所に電話、今日は休館なので周辺を自転車で回って帰るるとのこと。昼少し前に帰ったが手の甲に擦り傷のあと「どうしたのに」自転車でこけたとのこと。運動神経鈍いのにスピードを出すので出かけに注意をしたのに。午後は少し勉強せいで図書館よりお借りした本を懸命に読んで感想文を書き始めた。「ばあば」はピアノ教室で午後より練習し3時より教室に出発です。チビ・ワンパク君は最近体調が良さそう。元気が良いので早めの風呂です。二人とも風呂は大好きでご機嫌で体を洗うのを協力してくれた。夕食のメインは「ばあば」特製の煮込んだクリームシチュウでとても香りも味も素晴らしく子供達には絶賛であった。チビから後3日で一番上のチュウリップさんになるので頑張るとの表現。早いもので来年は一年生です。



食の放射能検査、不満続々 チビ・ワンパク君の3人で長い距離散歩、チビバレー教室

2011年03月28日 07時44分19秒 | Weblog
暖かくなるとのことでしたが今朝も寒い。桜が開花の時期で今年は遅いかも。
東京電力福島第一原子力発電所の事故で、食品を対象にした放射性物質の検査に対し、自治体や農家に不満が広がっている。検査は自治体が独自で行うため、検査件数や品目に差があるためだ。「暫定規制値が厳しすぎる」との声も根強く、専門家からは「国が統一的な基準を作るべきだ」との指摘が出ている。

昨日はいつもの日曜日でテレビも通常の内容が多くなったが福島原発での放射能漏れが強く指摘されて不安が高まっている。日本国の総理の顔が見えなくなった。何処に行ったのだろう、不思議な人だこの災害で陣頭指揮をとらねばならぬ人。1週間以上テレビに出ていない。巷の風評をどのように理解しているのだろう。
何があっても食事は休みに出来ない。「ばあば」は5時に起きて朝食の支度を始めていた。私は日曜日でありのんびりと6時10分起床です。起きて居間に行くと小さい影、そうですチビが既に起きてテレビを観ておりました。どうしたのに「私6時には目が覚めて誰も起きない」で「ばあば」の手伝いに来たと言っていた。それではお願い「昨日の洗濯物たたんでね」に喜んでたたみ出した。この作業は昨日が2回目であり、小さなわりには器用に整理してくれて見事です。母親は日曜日で休みかと思っていたら日曜出勤スタッフの従業員が風邪の為、急遽午前中のみとのことで出かけた。帰りは昼頃とのお出かけでしたが戻りは2時半でいつもの通りでした。子供達3人は予定がくるう。母親とのお出かけを期待していたようです。ぼうずは本を読みたいと言い、寝室でゴロゴロでしたので声はかけず、チビ・ワンパク君と散歩に出かけることにした。チビが自転車での散歩と言いだしチビの自転車にワンパク君を乗せて出発です。家の周囲を周りお友達の家に寄るが留守、チビが母親のお店まで行こうで向かう。1㌔以上あり行きは坂道でよいが帰りはたいへんなので躊躇したがチビが「私頑張る」と言い、ワンパク君も「僕も」で行くことにする。結果はたいへんであったがチビくたばることなく完走で感心、ワンパク君は途中自転車から降りて帰りの自転車押しを手伝ってくれた。午後2時過ぎに母親が戻りチビのバレー教室にぼうず・ワンパク君を連れて出かけた。チビのレッスン中、ぼうずの靴等の買物があると言ってのお出かけでした。チビとぼうずはゲームが大好きで時間があるとゲームをしてよいかであり許可をするとストップがかかるまでの継続で常に気にしている。ワンパク君はのけ者扱いですが一人で「変身」と言いながらおもちゃの棒を振り回してご機嫌であった。チビ家族は帰ってきて母親よりチビ今週の土曜日からスイミング教室に申し込んだとのこと。ぼうずは4月から中学校で忙しくなるので卒業であった。ぼうずはスイミング教室に7年間通った「ご苦労さん」。


 


自治体の支援の輪広がる 県立公園孫達と散策です。ぼうず進級テスト合格

2011年03月27日 08時27分23秒 | Weblog
晴れでさっぱりとした朝で深呼吸です。庭の草木も芽を出し、春を呼んでいるようです。
東日本巨大地震の被災地で、自治体の支援の輪が広がっている。災害時相互応援協定に基づく支援のほか、結び付きのない自治体が名乗り出るケースも目立つ。物的支援や被災者受け入れに加え、自治体機能を支えるための職員派遣も活発になってきた。ただ、集団移転も視野に入れた「街再生」への取り組みは、どの自治体にとっても未知の領域で、手探りの支援となる。
◆人的支援「とにかく避難所運営の経験者を送ってほしい」。地震発生翌日の12日、仙台市の支援ニーズを把握するため同市に入った神戸市危機管理室の松山雅洋室長は、仙台市職員から懇願された。

寒さが続くので毎朝の天気が気になる毎日ですが昨日は朝からとてもよい天気であったが夕方より寒くなった。土曜日で母親のみが仕事で8時半には出るのだと騒いでいたが起きるのはいつもの通りであった。母親との約束で毎日の我等の保育時間が長いのと各医院へ問題があれば連れて対応するので土曜日は本人達が嫌がらねば土曜保育を保育園にお願いするとの約束である。今お願いしている保育園の取り扱いは通常月~金曜日で土曜は申し込み制で締めは木曜日と決められている。今週の木曜日は「ばあば」の体調不良で我等は病院に朝早く出かけた。毎回確認はしていたが本人承知と解釈、前日保育園はと問うと忘れたでありました。自分の都合ばかりでうんざりです。昨日は母親に厳しくルール(決め事)は守ろう、そうでないと人間親子でも信頼が無くなるよと厳しく叱責する。このことは初めてで無く何回もあったからです。でも子供は可愛いので通常な形で母親が帰るまであずかった。土曜日で仕事が終ったあと勉強会に出かけて帰りは11時過ぎで腹が立つ一日であったが3人の孫達それぞれ頼もしく思った。朝食が済んで母親も出かけ我等の朝の仕事が終り5人で春の川原の散策に出かけた。近所に県の公園には吊り橋等があり川を挟んで各種の施設があり、眺望は最高の場所であります。たんぽぽ・れんげ・すみれの花や三つ葉・蕗・セリを求めてであったが随分と送れている。例年はこの時期この場所は青々としていたと思うが枯れ草状態であった。子供達は浅瀬の川に入ってご機嫌。最初から川を想定して皆長靴を履いておりジャブジャブでありワンパク君は特に喜んでいた。ちょっと不思議に感じたのは川の流れの中に魚や虫が何もいないのであった。2時間ほど周辺を散歩して家に戻るがチビ・ぼうずは自然公園のステージの板を触った際、手の甲に木屑が刺さり、痛がるので母親のお店に行き抜いてもらう。外に出た子供達解放された動物ようで一生懸命駆け回って赤い顔となりご機嫌。
夕食時に「ばあば」が散歩の際、よもぎを少し採ったので「よもぎ団子」をチビと協同で作り皆にふるまってくれた。チビは「ばあば」と一緒に料理を作ることを楽しみにしている。ぼうずはスイミング教室最後の授業で進級テストがあると言いながら出かけた。結果は5級合格とのこと。平泳ぎのタイムテストで1秒でセーフであったとのこと。おめでとうこれからのぼうずの人生を暗示しているようで嬉しかった。


 

地震による遺体の火葬引き受け 「ばあば」引き続き病院、チビの歯医者変更、ぼうずウロウロ

2011年03月26日 08時29分05秒 | Weblog
真っ青な空に眩しい太陽、今日は天気は良いが寒いと言う、桜の蕾も見えてきた。
東京都は25日、都営瑞江葬儀所で、東日本巨大地震で犠牲になった遺体の火葬を行うと発表した。申し込みは26日から4月3日までで、自治体を通じて計約500体まで受け付ける。同葬儀所までの遺体の搬送手段は、自治体で確保する必要があり、遺骨も自治体による引き取りが必要。遺族による火葬の立ち会いはできない。遺族の意向のほか、身元不明の遺体を保管している被災地の自治体からの要望にも応じるという。このような記事が出ることに悲しみが増して心の痛みが止まらない。

昨日はとてもよい天気で喜んでいた。前日に続き午後よりお日様が雲に覆われると寒い一日で夕方は真冬並みであった。昨日は金曜日で息子はいつものように会社で駅まで送る。帰ってくるとチビ家族が皆起きており朝食中。ワンパク君の挨拶が素晴らしい(おはようございます)と腰を15度に折っての挨拶で感心する。チビも負けていない挨拶で気持ちよい朝であった。「ばあば」が調子がよくないので昨日も病院に行くのだと言い出した。眼科や内科で診察していただいたが思わしくない。目の周りが赤く腫れて涙を出すのに痛いと言う。母親の友達が薬剤師で前日薬をいただきに薬局に伺った際、「ばあば」の症状を見て母親に電話があったとのこと。以前お客さんで同じ症状の方があり皮膚科に行き痛みと腫れがとれたとの話しがあり「ばあば」は県立病院の皮膚科に朝一番で出かけた。チビ・ワンパク君は風邪も引かず元気に喜んで保育園です。ぼうずは休みでのんびりムードの延長で寝言ばかりです。このぼうず注意を受けると必ずいい訳をするので嫌われ者で通っている。我等は毎日注意をするので半分拗ねている毎日ですが諦めず注意している。ぼうずも負けずにいい訳をするが最近は泣き出すことが多い。ぼうずにいい訳ではなく、必ず相手の話しは最後まで聞きなさいと」言っている。昨日も皆が出かけた後はゴロゴロで邪魔であった。図書館に行き本でも読んで来なさいに渋々出かけた。まもなくして電話が入る。図書館は本の棚卸で休館とのこと、本人曰くこの周りの景色が良いので散歩すると言いながら電話を切った。11時過ぎ「ばあば」より電話、診察終ったとのこと。皮膚科の先生が以前目薬をいただいた医院での目薬がステロイド系で被れがあったかもで薬をいただきこれから帰るの電話。昼近くに「ばあば」続いてぼうずが帰ってきた。どうやら二人とも良い方向で顔色がよかった。夕方チビの歯科医院予定が病院より都合が悪いので予約変更あり。保育園より急いで帰ったチビ、予定が狂いお冠でしたがゲームを許可するとご機嫌となった。


放射性ヨウ素、茨城・栃木の浄水場でも  「ばあば」の病院行きに同行、子供達は団子大好き

2011年03月25日 06時59分55秒 | Weblog
素晴らしい天気で気分すっきりの朝、寒くて桜の蕾が震えているようです。
東京都葛飾区の金町浄水場で検出された乳児向けの暫定規制値を超える放射性ヨウ素131の数値は、24日朝に改めて採取された水を検査した結果、1キロ・グラム当たり79ベクレルと規制値を下回り、都は同日、摂取制限を解除した。配水管には2日程度は水が残ることもあるが、都では「数日飲んでも問題はない」などとして、解除を決めた。ただ、茨城、栃木県などでは、規制値を超える放射性ヨウ素が検出されている。

昨日は午後より天気は良かったが冬に戻ったようで寒くてまいった。朝はいつもより早く起きた私、目的は朝一番で病院に行く為であった。「ばあば」の目がアレルギーと思うが腫れて赤くなり本人が辛そうなので病院への付き添いでありました。起きたのは「ばあば」と一緒の4時半で7時40分に出かけるまでにいつもの朝の作業は終了させた。ぼうず家族はマイペースで相も変わらず遅いのでそのままとした。病院は国立病院で母親のお客さまより国立病院の中にアレルギー科があるので目が具合悪いならばと言う話しで出かけた。8時半よりとのことで順番カードを取る。問診票を書き込んで受付に出すと当病院は眼科が無いので町の眼科医院で診察されてはとの話し。当病院にはアレルギー科はないんですか!、子供のみで大人用はありませんとのこと。ともかく赤く腫れて痒いので何でもいいから診察は出来ないかと談判。内科の先生と相談して診察OKとなる。1ヶ月前に目が腫れて県立病院で各種検査を受けたが特に問題なしであった。今回は腫れが酷いのでアレルギー科があるとのことでお邪魔したが結果は腫れが引く薬を5日分いただき帰ってきた。気分的なものか昼飯を食べて薬を飲むと少し腫れが引いてきて本人は少し楽になりましたと言う。
夕方のお迎えは「ばあば」で保育園部隊は元気にお帰りでした。昨日は彼岸の明けで団子をつくり仏壇に供えて供養、この団子を皆でいただき、二人はご機嫌でありました。毎日のことですが「ばあば」は買物に出かけます。私の収入も極端に少なくなっており低い予算で栄養価の高い食材を購入している。毎日の献立に頭を悩ましているようだが子供達が「ばあば」の料理最高と言ってくれるので料理のしがいがあると顔を耀かせていた。一番風呂はぼうず、続いて私とチビでワンパク君は母親と一緒でご機嫌でした。

 

5400棟超が「危険」判定 子供達に規則正しい生活要求。チビはバレー教室

2011年03月24日 05時42分41秒 | Weblog
山の上には黒い雲、東の空は明るくこれから晴れるかも。でも寒い朝せす。
東日本巨大地震や、長野、静岡両県で起きた強い地震を受け、東北や関東などの13都県がビルや住宅が余震などで損壊する恐れを判断する「応急危険度判定」を計約3万9000棟で実施したところ、22日までに5403棟について「危険」と判定されたことが国土交通省のまとめでわかった。「危険」は3段階で最も高レベルで、宮城県で1600棟以上、福島県で1300棟以上、東京都でも59棟が「危険」判定された。今後さらに増える見通しで、最終的には阪神大震災(1995年)を超える可能性もある。

東日本巨大震災が発生してから12日目の23日、爪あとは酷く口には表すことが難しい出来事が次から次へと報道されている。もしかしたら死者がウン万人とも言われておりぞっとする。今回の地震は自然災害ではあるが一部人災が乗っている。福島原発の火災発生による放射性物質の流失は我等の生活を脅かせている。目に見えない脅威であり早急に対処せねばなるまい。近隣の海や福島や茨城で採れた野菜類が放射能汚染され許容量オーバで各生産者に出荷止めの通達が政府より出されて現場では一部パニックとのこと。悪いのは駄目は分るがもう少し物事は考えて発言して欲しい。情報の伝達が遅れているのは致命傷である。昨日我が家の朝は「ばあば」はいつもの時間、4時半に起きて朝食の支度です。息子は交通機関が動いて出勤予定でいつもの時間に「ばあば」に起こされていた。私は朝寝坊であります。「ばあば」が息子を起こしている声で目が覚めて飛び起きた。6時25分であった。洗濯場に行くと山のような洗濯物、まずいと言いながら第1回目の洗濯開始です。結果は4回で洗濯物が一杯で干し場に困った。息子との食事に付き合う為急いだ行動で家の中を駆け回る。朝は雲っていたが少し天気はよくなりそうな雰囲気であったが時間と共に寒いと言うか冬場の気温になり寒さを覚えた。ぼうずは卒業式も済んでのんびりでしたが規則正しい生活を要求する。午前中は仕方ないとして午後は図書館で本を読んだりして過せであり、昼飯が済む自転車に乗って図書館に向かう。チビ・ワンパク君は今までは全て一緒の行動でしたが先週よりチビがバレー教室に通い出した。少しの時間別々の行動となった。水曜日の4時半からレッスンで「ばあば」が4時に迎えに行き家で着替えをさせ私が教室まで送る。迎えは6時であり送迎は思いの他大変なことです。車の中でのチビおしゃべりで家に着くまで話しており退屈はせず楽しかった。チビが玄関を開けるとワンパク君の「お帰り」の大きな声、いつもの我が家のスタイルになりました。テレビも幼児番組再開でワンパク君が特に喜んでくれた。


「松島が守ってくれた」対岸の町  計画停電を楽しむ子供達、地震対策にタンスの移動です。

2011年03月23日 08時44分16秒 | Weblog
朝から小雨が降っており、東北地方の悲しさが伝わるようで気持ちが高ぶる朝です。
東日本巨大地震により、日本三景の一つで宮城県の特別名勝・松島も大津波に見舞われた。文化庁や松島町によると、島の一部が崩落したり、島と島とを結ぶ橋が壊れたり、大きな被害を受けた。一方、島々の対岸にある松島町の死者は、22日午後6時現在、1人にとどまっている。隣の東松島市の犠牲者は650人を超えた。住民は「島が津波から守ってくれた」と感謝、美しい景観を取り戻そうと、流れ着いたがれきの撤去に取り組み、再生に動き出している。

昨日も計画停電が実行された我等の地域、分っていてもとても不便であった。時間的には3時20分から6時30分まであった。夕方小さな子供がおり気になったが停電を楽しむ彼らに脱帽です。とても明るい3人、チビとぼうずは折り紙に興じ、ワンパク君はおもちゃの自動車に跨り暗い部屋で奇声をあげていた。6時半まで停電であったがお腹が空いたと言い出したので6時に夕食を食べ始める。「ばあば」いつでも夕食が食べられるようにカレーを作って待機でした。暗い台所でローソクの光で夕食開始、ワンパク君は誕生会のケーキカットとダブっておるようで興奮していた。ご飯が冷えており電子レンジが使えぬのでガスコンロでフライパンに油を少しひいてご飯を温め、特製カレーをかけてくれたのでとても美味しく皆満足であった。カレーは子供達の大好物なので喜んでくれて「ばあば」は満足な顔であった。今は始まったばかりであるがいつまで続くか分らぬ5ブロック態勢、対応には問題が多すぎる。やっと25ブロックを検討しているようだがいつも対応が遅いのは何故だろう。昨日はチビ達が就寝する部屋が「ばあば」のタンスがコーナーにあり、地震でもし倒れたらと部屋の真ん中で変則的な寝方で困っており、掃除を兼ねてぼうずと二人で家具の移動です。午後12時半開始で終ったのが4時半で疲れた。終る1時間前掃除機を作動させようとすると電気がアウト、計画停電にきずいた。時間をかけたのでしっかりとした配置が出来て保育園から帰ったチビ・ワンパク君はとても喜んでくれ、部屋の中を走り回った。 
息子はやっと正常になった電車で会社に出かけたが仕事の切れが悪いのか遅い帰りで少し心配した。帰るなり「腹減った」で気分は良さそうで「雨が強く降っているよ」であった。

 

義援金1週間で223億超  お彼岸です。先祖の供養にお墓のはしごをする。

2011年03月22日 06時18分13秒 | Weblog
小雨ですが昨夜より降り続いて降ります。彼岸が過ぎたので暖かくなるかも。
東日本巨大地震の被災者のため、全国から日本赤十字社(東京)に寄せられている義援金が、14~20日の1週間で223億1531万円に上っていることがわかった。2週間で約164億円が集まった阪神大震災を上回る。同社は「被害が広範囲で深刻であること。さらに、海外で活躍するスポーツ選手が、世界に支援を呼び掛ける姿に共感した人が多いのではないか」としている。

朝からの強い雨に参る。春分の日でありまずは「ばあば」のお父さんが眠る霊園に向かう。母親が午前中仕事の為、孫達3人と我等夫婦・息子が「ばあば」の運転する車で出かけた。約1時間で霊園に着いたが場所は山の中腹にありとても広くて大きい。例年は車がいっぱいで入り口で待たされる事が多かったが雨と東北地震の影響があるのか駐車場には僅かしか車が無かった。ともかく雨が強くお墓の前で線香に火を点けるのがたいへん。ぼうずは無論ですがチビ・ワンパク君は雨に負けず頑張ってお墓に向かって手を合わせていた。雨が強いので早々に切り上げて我が家の菩提寺に向かう。約1時間で着くといつもは檀家の人々が多いのですが我等のみであった。本堂に上がり住職にお経をあげていただきご先祖を供養していただく。その後我が家の墓に花を飾り線香をあげて近況報告をする。私の母親は大正3年生まれで小学生の時関東大震災に遭遇し地割れで怖かったとの話しをよくしてくれたが3月11日午後2時46分に東北で巨大地震が発生し、今たいへんな状況ですよと話しかけた。墓の下でびっくりして聞き入っていたかも。毎年家に戻るのは昼近くでしたが今年は10時31分でありました。母親が仕事より戻り皆で昼飯をいただく。午後よりワンパク君が髪の毛が肩まであるので美容院に行くと言いだした。今年の8月で3歳になるが髪の毛が長くやさしい顔であり、皆さんから女の子と間違われることが多い。でもやることはやんちゃで勇ましいです。午後より私はパソコンで同窓会の名簿を作成するが思いのほかデーター不足で苦慮する。5時前にワンパク君美容院からお帰りです。見事な坊ちゃん刈りで男前が上がった姿で皆、賞賛でありました。夕食を食べながらは常に地震の話題で何も出来ない我等は反省です。電気の節電と余分な買物をしないと「ばあば」は常に皆に言い続けている。