新谷研究室

新谷研究室の教育・研究・社会活動及びそれにかかわる新谷個人の問題を考える。

日本社会党とは何なのか。

2012年05月10日 17時15分18秒 | 教育・研究
歌集 林檎の感触
クリエーター情報なし
櫂歌書房


 5月10日の「教育社会史」ゼミは日本社会党の設立過程だった。なるほど戦前の東条嫌いの野合集団だったのか。というのが出自から分かる大衆政党日本社会党の体質だ。何しろ鳩山や河野一郎から声をかけられ、有馬や徳川に近づくなど、不可思議な面を持っていた。鳩山、河野、有馬というぼんぼんの社会運動における位地というのもなかなか興味深いものである。それと社会党にとってぬぐえないのが、戦前に於ける立ち位置と戦争協力という踏み絵だ。そして国体護持、天皇制賛美ということも彼らの根っこには流れていたことも忘れてはならない。戦後史の根っこにあるもの。これを模索してみようではないか。そうすると単純に君が代日の丸をめぐる確執は見直されねばならないだろう。
 一つは日教組(もしかして革新派)の側から、もう一つは右翼の側から。

高橋是清とその時代

2012年05月10日 17時13分41秒 | 教育・研究
歌集 林檎の感触
クリエーター情報なし
櫂歌書房



 5月10日の「教育学文献講読」は高橋是清であった。担当は白濱さん。白濱さんは高橋是清という人物に高校時代から関心を持っていたとあって、かなり濃密な発表であった。白濱さんは年表の他にその時期の内閣にかかわる資料も提示していたので、わかりやすくかつおもしろい発表だった。聞いているほうも止めどなく質問が出たし、いい勉強になったのではないかと思う。途中で僕のほうから口を挟んだりしたこととして、高橋是清が育った江戸時代の空気の中での家族と言うものについての意識と現在のそれのちがいがあるということ。そういう感覚は常にそれこそ意識する必要がある。彼には家族というものは記録しておかなくてはならない対象ではなかったのだ。
 それと、高橋是清もまた我々には想像のつかない波瀾万丈の人生を送った人だ。まだ近代学校のない時代に「学び」を獲得した高橋是清が彼の「現代は教育中毒だ」と批判していたことは彼の生きてきた時代の変化というものがあり、それを汲み取ることも興味をそそる問題だ。
 それにしても高橋是清は当時としては長生きをしたし、その長い人生をまるで二つか三つの人生を送るように充実して生きていたなあ、ということも知らされた。ここで人間の一生というものがどういう長さであるのかも擬似的だろうが感じてほしい。
 毎週木曜が楽しみになる。これからの人は準備期間もいっぱいあるわけだから、もっともっとおもしろいことが出てくるはずかな。