2014年 9月8日~12日
生命を預けあう関係になった
9月8日 暑さも和らぎ、秋風が心地よい季節になった。文昭は元気だ。健康について尋ねると、「元気じゃないはずがない」と言った。
8月の面会で、7・1集団的自衛権の閣議決定後の情勢の中で星野闘争をどんなふうに位置づけ闘っていくのか、話をしたけど、煮詰まった話にならなかった。私が少し疲れていて、「本当の輝く笑顔ではなかった」ことを心配して文昭はこんな手紙を送ってくれた。
「星野無期40年投獄が、すべての闘い、すなわち、階級的労働運動・国際連帯、国鉄、改憲、戦争、反原発、革命的選挙闘争、これを柱とする2010年代中期階級決戦への究極の団結破壊であることから、これらの闘いにおいて、この究極の団結破壊に勝利する星野闘争を正面課題として一つに闘うことによって、団結を団結として発展させ勝利できる。
そのように闘って、7・1情勢下の階級的労働運動、国際連帯、三大階級決戦を柱とする2010年代中期階級決戦の大飛躍と一つに、100万人署名、再審、解放の星野闘争の発展、飛躍を勝ち取っていこう」
非正規労働者が圧倒的に増えた。私が住んでいる阿佐谷でも、人々がにぎわうパール街の裏の公園には、ホームレスの人たちが増えている。大阪・西郡の被差別では住宅追い出し攻撃がかけられた。明日に希望の持てない安倍政権のもとでの日々の中で、みんな必死に生きることについて考えている。反撃の闘いが、国鉄で、郡山で、西郡ではじまっている。
40年獄中にいながら、生きる希望を描く文昭の絵を、じいっと見つめる人々が確実に増えている。星野を取り戻す闘いに取り組むことは、自らの希望をたぐり寄せる闘いだ。だから100万人署名は可能だと私は思っている。国鉄闘争はじめ、あらゆる闘いに、またあらゆる人々の生に「魂を入れる」闘いが星野100万人署名運動だ。
「星野の弾圧は、直接闘っている人たちにかけられているということと、広く日本の、世界の労働者民衆にかけられているという面がある。だから戦線的課題として、個別に闘うというのではなく、全体で全世界で闘う闘いだ」と文昭は言った。闘う仲間が文昭の提起に納得してくれたこと、私が「輝くような」笑顔で面会に行ったことがうれしかったようだ。
ビデオ国賠勝訴を伝える
9日 10月1日から外注化が行われることに対して闘っている福島・郡山闘争が11日に闘われることに対して、アピールを伝えたいと文昭。「団結した郡山の闘いで、国労の闘い、国鉄労働者の闘いを甦らせよう」短いけど、思いのすべてを伝えるアピールだ。
10日 9日に開かれたビデオ国賠の判決の報告をした。勝訴したのだ。証拠品であるビデオテープを裁判所が警視庁公安部に預け、預かった警視庁公安部が無くしたことの責任を追及した国賠だ。
ずさんな管理をした警視庁公安部の責任とともに、一度も確認をしなかった裁判所の責任を裁判所が認め、文昭に「法律で保護されるべき期待権」を認めた判決だった。
当然と言えば当然なのだが、警視庁公安部は、「ビデオテープは、星野の持ち物ではないので、星野には、アクセスする権利はない」と言い、すべての証人尋問が切られた上での全面勝訴だったがゆえに、みんな喜んでいると伝えた。文昭も、「画期的勝利だ。僕の期待権は、他の証拠にも言えるから、証拠開示にもつなげられる」と喜んだ。
11日 宅下げした絵は、「暁子と行くラベンダーかおる富良野の丘」。郡山の倉岡雅美ちゃんが、わざわざ徳島刑務所に行って差し入れしてくれた写真集の中から選んで描いた絵だ。「倉岡姉妹に贈る」と書いてある。お姉さんを亡くした雅美ちゃんに、レプリカを贈ってほしいと言った。
12日 基本的な学習に力を入れながら、人間と生物の共同性の大切さについて、学習を進めているそうだ。面会一日目の話に戻って、文昭と私の関係が「生命を預け合う関係になった。それにともなって、みんなとの関係も生命を預け合う関係になった。5回面会できるようになったことで、面会が終わってからも、ずうっと二人でいるような感じになっている」と文昭は言った。
もっと雑談もしたかったが、5日間、手抜きすることなく充実した面会だった。
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