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山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

桜とスモモが満開

2015-04-06 | めぐる季節と自然

朝目が覚めたらけっこうな雨。大阪に出かけようか迷う。けれども、世の中には雨でも働いている人はいっぱいいるのだし(普通は雨だからといって仕事を休まない)、と心にむちうって家を出た。
駅まで歩いていったけど、どうにも気が進まなくて、やっぱりやめた。
どうしても気が進まない日ってある。そんな日に何かやったってろくなことにはならない。
ちなみに、依頼された仕事ってわけではないので、仕事に穴をあけたわけではない。

というわけで、駅からの帰り道。
大阪に行く代わりに稲荷神社の桜を見る。ちょうど満開。見られてよかった。
この桜は5年位前、テングス病で花付きが悪くなっていた。けれど、またよくなってきている。誰かが治療したのか、自然治癒したのか。普通は薬剤を入れないと治らないと聞いている。



この場所から国指定重要文化財「坂本のハナノキ自生地」を遠望するきれいに赤くなっていた。そこではシデコブシも満開。その写真はなし。
田んぼの横で、色の濃いハルジオンの蕾を見る。こんなかわいらしいピンクって、自然の中にあまりないような気がする。



一番上の写真と、この下の写真は、4日前の記事の場所。
水仙は終わりかけているけど、白いスモモらしき花と、ピンクの桜-ソメイヨシノではない-が満開の、2日前。





大阪で聞きたかった話は、関連の文献を探して読むことで解決した、ことにする。

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春の光

2015-01-27 | めぐる季節と自然

1年で一番寒い週です。明日から寒くなるらしいですが
ここのところ暖かく、陽射しはめっきり白く明るくて
春の訪れを感じています。
このまま寒くならないといいと思います。

暖かいということは本当に恵まれていることです。
体にも快適なだけでなく、植物も生育するので、それだけ作物が多く採れるわけです。
熱帯地方に行けば米は年に3回採れるのだからすごい生産力です。

というわけで? 全然関係ない冬のはじめの木曽地方の写真。
小屋があると妙に撮りたくなります。
その向うに白く落ちているのは朴の葉。


ブログに何か書こうと思っても写真がなくてやめることが多い。
年末に買った念願のカメラは、初期不良というのでしょうか、
いきなり故障していて、修理に出していた。
明日戻ります。3週間もの空白でした。
本当に正しく直っているといいけど、すごく不安です。

もう1台の古いリコーのカメラも壊れて動かなくなってしまい
とても愛着があるのですが、動作が遅いし高感度が弱いので
あきらめることにしました。
せっかくかっこいい革ベルトを着けたのですが。


写真/長野県南木曽町 2014年11月

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秋の野の花・御嶽山

2014-10-07 | めぐる季節と自然

昨晩寝付けなくて起き出してしばらく本など読んでいたとき
体が冷えないように暖房をかけ、そのまま忘れてしまったので
朝目覚めたとき、暖房がかかりっぱなしだった。
けれどそれでちょうどよかった。

とても冷えた今朝。
空気が澄んで空が青い。
こういう日は御嶽山がよく見える。
今日も煙が見えるだろう。

最初に噴火の映像を見たとき、かっこいいと思った。
あんな大惨事になっているとは思いもしなかった。
おそらくみんなそんな思いだろう。
今にも噴火するかもしれないと思いながら登っていた人はいなかったと思う。
日本の火山に対する認識はその程度だと思う。
危険だと思われているのは桜島とか三宅島とか、その程度で。

6月に鹿児島県の口永良部島の火山に登った。
噴火口は2カ所あり、1カ所は立ち入り禁止で近づけないようになっていたけど
もう1カ所には間近まで行けた。
ただし私は硫化水素の臭いに弱くて頭痛や吐き気でうずくまってしまうので
一人離れたところで待っていたのだけど。

それから2カ月しないうち、その火山が噴火したのだった。
私たち一行が登ったときは、休日だったのに私たち以外は誰もいなかった。
口永良部島では噴火したときに登山者がいなかったから誰も被災しないですんだのだろう。

地震と同じで、火山もいつでも噴火しうるけどいつかが分からないだけなのだということを
今回の御嶽山で思い知った。
地震の怖さは喧伝されているけど、火山の怖さってほとんど言われていないように思う。

今回は本当に悲惨でお気の毒だった。ご冥福をお祈りすると同時に
みんながこれを教訓とできるようにと思う。


景色はすっかり秋になった。台風の2日ほど前に、いきなり柿の葉がオレンジ色になった。
畑の横の草むらで、野の花が咲き乱れる。
ほかの人の畑の横には草むらはないけど、
私の畑の横にはある。

ノコンギクが咲き始め、赤いイヌタデ、小さな花のキツネノマゴ
午前中にはこれに青いツユクサや黄色いカタバミが混じり、本当にきれい。
何よりもヨモギの葉がいい造形で絵を作ってくれている。

キツネノマゴは一見「大した花ではない」のだけど
こうやって散らばっていると星のようだし
絵の中で大事なアクセントの役割を果たしていて、とてもかわいい。

野の草花はどうしてこんなにきれいに絵を作れるのだろう。
野原には裸地などなく、このあたりでは冬以外は常にきれいに緑が地を覆うようになっているのだ。何かがなくなれば、何かがその代わりに裸地をかくす。いや、植物にとっては太陽光を得る競争のために、一面の緑地を作っているわけなのだけど。

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コウガイビル(写真は掲載していません)

2014-08-27 | めぐる季節と自然

こうがいビルという名前のビルってありそう……。

コウガイビルはぬめぬめした紐のような生き物で、正体があまり明らかになっていないらしい。
先日からうちの物置あたりに出現していた。
一度は物置にゴミを入れようとしたらそこの地面の上にいて踏みそうになった。
それが今日はその横の、私が素足で歩くテラスの上を堂々と這っていた。
物置にいたのと同じ個体なのかどうか分からないけど、体格はそっくりだった。

長さは15センチぐらいで、黒くて、太さは6、7ミリで、頭が何かの工具みたいにTの字になっている。あ、そうだ、金づちだ。そこは確かに進行方向の一番前なのだが、口は銅の真ん中にあるというので
そこを頭と呼ぶのが適切かどうか迷う。
黒光りして、顔が写りそうである。

4年位前に、もっと長くて黄色いのが、捨てられた靴ひものような感じで、うちのアプローチの階段の上に落ちていた。いや、存在していた。紐だとばかり思っていたけど、よく見たら紐ではなかったのである。
長さは50センチぐらいもあり、黒い筋があった。
梅雨時のことだった。
この生き物についてはこのブログにも書いている。

今年見る黒いコウガイビルとは違う種類に違いないのである。

ネットでググると、あまり情報が出てこないのだ。
日本には15種類あるという説を書いている人もあるが
写真付きで目撃例のあるのは、クロイロコウガイビルと、オオミスジコウガイビルだけである。

オオミスジコウガイビルは中国原産で、日本では都会で目撃されているという。
外来種は普通、港などを玄関にして、都会に侵入してくるから、不思議ではない。

うちにいた黄色い靴ひも状のコウガイビルは、オオミスジコウガイビルなのかと思うが、
うちは都会ではないので、どうなんだろう。名古屋港あたりからこんなとこまでやってこられるだろうか。誰かが連れてきて放ったんだろうか。
オオミスジコウガイビルというからには、ただのミスジコウガイビルというのもいるに違いないと思うが、その情報はない。

ミミズやナメクジを食べるらしい。
ぬめぬめさんにはぬめぬめさんだけの世界があるようだ。
あまり気持ちのいい生き物ではない。害はないらしいが、踏みたくないので、テラスには出ないでほしい。お願いします。
なお、隣の家に行くと塩かけられるからね。

写真/軽井沢ピクチャレスクガーデンの入口のルドベキア
(本文とは全く関係ありません)


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雨はお盆過ぎに

2014-08-27 | めぐる季節と自然

雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう
というなつメロがある。
梅雨のような雨模様も、秋雨前線に変わるだろう。

菜種梅雨、恵那にはたけのこ梅雨という言葉もある。
今年のようなめったにないこの時期の雨に名前はないかもしれないけれど
呼ぶとしたらつくつくぼうし梅雨か、おみなえし梅雨か、みそはぎ梅雨か、ひよどりばな梅雨か。

天気は梅雨のようでも、夕暮れの光の色がめっきり秋っぽいし、
なにより虫が鳴いているから、やっぱり梅の時期の梅雨とは明らかに空気が違うのだ。

3日ほど前、スーパーできゅうり1本98円だったのに驚いた。この田舎では、夏の盛りには5本で100円のことだってある。24年ぐらい前、梅雨が明けずに秋雨になってしまって、米が不作で日本中大騒ぎだった。

広島の災害は目を覆うばかり。災害に遭われた方の気持ちを思うと、
胸がつぶれるとはこういうことかと思う。悲しい。そして、恐ろしい。

自然は長い年月に渡り変化を繰り返してきた。地も成長している(というのか風化し劣化しているというのか)。
山は常に崩れるもので、その土砂が扇状地を造り平野を造り洲を造り、今の地形ができている。
大地は常に変化の途上にある。

ということは分かっていても、その過程を見ることはまずない。

しかし今回、崩れた規模も大きく、まさに地形が変わるところを目の当たりにした。
誰も住んでいないなら、自然の力で地形が変わったということに過ぎないが
今はその新たにできたたくさんの土地を掘り返して行方不明の方を探すということになった。
気の遠くなるような作業だから、わずかな日数でできるものではないだろう。
さらに雨も降り続いている。

どうしてそんなところを開発し、造成し、住宅地を造ってしまったのだろう
という思いが消えない。土地の危険度に対して、住宅地の規模があまりに大きすぎる。
もうそこには住まないでほしい。

今日は日本海側の津波の危険について、大学の研究者たちが予測を発表し
対策(心構え)を説いていた。
学者というのはそういうことをもっとやらなければならない。
災害が起こってから解説したって遅い。
災害が起こると現場に駆けつけて熱心に調査・研究に励む。
その成果を市民のためにもっと還元する努力をすべきだ。
学会で身内が読むだけの論文でではなく、
分かりやすい言葉で市民や行政に説くべきである。

写真/軽井沢ピクチャレスクガーデンの向かいのおもちゃ博物館の前

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南木曽(なぎそ)

2014-08-21 | めぐる季節と自然

広島市の土砂災害、すさまじい。
けれど、広島では1945年には200名もの人が亡くなる土砂災害が起こっているという。
そんなことがあっても、あのように崩れやすい場所を造成し家を建てている。
災害の教訓から学んでいない。
安全よりも優先したかったものがあるということだ。
これは原発にもいえる。
残念である。

長野県南木曽町の先日の土石流災害の現場やその付近も
過去に何度も同じところで災害が起こっているという。
そのように危険な場所にまちがあり集落があり国道とJRまで通っていることに驚く。

南木曽のことを考えていてふと思い当たった。
南木曽(なぎそ)とは、南の木曽じゃなくて、なぎ+そ。
なぎとは、このあたりでは、山の崩れやすいところのことをいう。
恵那山の尾根にはウバナギというところがあって、
山肌がくずれている。

南の木曽だったら、なぎそなんて読まないはずだ。

テレビの解説では、日本中どの山間地でも、崩れる可能性があるということだった。

テレビで見る光景がほんとうに痛々しい。
もう二度と同じことを繰り返しませんように。

写真/軽井沢ピクチャレスクガーデン(本文とは関係ありません)

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レンギョウと言葉

2014-04-11 | めぐる季節と自然
伸び放題のレンギョウ。3、4日前の様子。
昨年の初夏、バッサリ伐ろうと思って先延ばしになり、冬にやろうと思って、結局先延ばしになり、そのまま咲いてしまった。
伸びすぎて困るのでうんと減らそうと思っていたのだけど
こうやって生い茂って咲く様子を見ると、なかなか見事である。

背後に暗いヒノキ林があるので、夕暮れ時は、暗いバックに黄色がランプのように
浮かび上っている。

子どもの頃、レンギョウの花を摘んで、上に向けて、指先で回しながら放る、
という遊びをよくした。
くるくるとプロペラのように回って落下する。


さて、レンギョウとは全く関係のない話。
虚言症の人がいる。
虚言症というのは、病気ではなく、人格障害だそうだ。
どっちだっていい。分類は関係ない。
私は過去に、虚言症だと思われる人に、4度(4人)会ったことがある。
その当時は、虚言症というものの存在を知らなかった。
だから、言われることはみんな信じていた。
後になって、友人から、
「ばっかだね~、そんなのウソに決まってるじゃん。あんた意外と純情だね」と言われて、ショックを受けた次第である。

どの人も、旅の途上で会った。当然と言えば当然だ。相手からすれば
旅人は自分の素性を知らないからだましやすい。
振り返ってみると、病的な(気の毒な位の)虚言症の人は2人目の人かもしれない。

言うことがとにかくすごい。かつては日本で有名なスノボとスキーの選手だったけど今はやめた。夏は自転車の選手をしていてヨーロッパに遠征し、有名人だった。池袋サンシャインビルの階段をかけのぼるコンテストに飛び入り出場して優勝した。日本で2番目に大きいなんとかマスという魚を釣ったことがある。
うんぬん、かんぬん。
その話を聞いたとき、全部信じて、まじめに感心していた。
帰ってから友人に「こんなすごい人に会った」というと、「バカか」と言われた。
そのとき初めて、世の中に虚言症というものがあることを教えられたのである。

虚言症というのは、どこかで聞いたスゴイ話、しかも自分がうらやましいと思っている話を、自分のこととして語っているうちに、自分でも本当か嘘か分からなくなってしまうらしい。
(聞きかじったことなので、厳密なことは知りません)
本人はそんな自分がいやになり、相当孤独だという。
このタイプの人の中には結婚詐欺師になる人も多いらしい。彼はなれそうだと思った。人の心にスルリと入り込む術にたけている感じなのだ。ただちょっと嘘の付き方が甘いので成功するにはまだかなり修業が必要だろう(笑)。


昔話のなかには、「ほらふき」と呼ばれる人がよく出てくる。今、実生活の中でそういう人に会うことはめったにないけど、昔は今よりもっと一般的にいたのかもしれないと思う。
今のわれわれはそういう人に会うことがほとんどないから、どの人のこともすぐ信じてしまう。そのこと自体、問題かもしれない。いろいろな話の中には何割かウソのものもあると思っていることのほうがひょっとして健全なのかもしれない。人をすべて信じられる社会というのはとても安心できるとは思うけど。日本って本当に信じられる社会だから。

しかしながら、日本語でだますことも話すことも「かたる」というのは何故だろう……。あまり熱心に語られることには、気を付けたほうがいいということか?

そういうわけで、1月から起こった佐村河内氏事件やら、複数の事件に、非常に興味をひかれてしまったのだった。

袴田さんの冤罪事件は、警察と検察の集団虚言症なのか。いや、彼らは目的と悪意があるから、虚言「症」じゃなくて、明らかな虚言・ねつ造だろう。


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そば畑

2013-10-04 | めぐる季節と自然

夕方、まだ6時だというのに、すでに真っ暗。いつのまに、冬になっちゃったんだろう。
ちょっと前まで、花火のドン、ドン、という音が聞こえていたような気がしていた。

柿の葉も、紅葉してきた。

写真は、根羽村の奥のソバ畑。

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すすきと萩

2013-09-19 | めぐる季節と自然

今日はうちの方は薄く曇っていますが、ときおりはっきり月が見えます。
今年は秋の訪れが早い気がします。
例年なら9月に入っても暑くてたまらないのに
9月早々から朝晩は涼しくなり
台風が過ぎ去った日の夜には、実は
暖房を入れてしまいました。

ツクツクボーシも昼間とつぜん思い出したようにつぶやいている程度。

畑の空芯菜が育ちすぎというぐらい育ちすぎ
毎日空芯菜責めのようだったけど
今日、つぼみをつけているのを見付けました。

ちょっと虫もちらほらついてきて、おそろしいので、
もうやめにしようかと思います。

東南アジアでは盛大に食べられている空芯菜。
インドネシアもその例にもれません。
初めて見たときは、いやに水っぽいところに育てられてるサツマイモだと思っていた。
自分で育ててみて、毎日ものすごく伸びるのを知り、
この野菜ならたくさんの人口を養っていくのに都合がいいと思う。

日本でもサツマイモのつるを食べる人がいる。
同じような感じなのだろうか。

写真/長野県根羽村で

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ツクツクボウシ到来

2013-08-02 | めぐる季節と自然

昨日、ツクツクボウシが啼きました。一度だけ。
早すぎませんか……

そしてクマゼミは啼かなかった。

ツクツクボウシも夏後半だと感じていたのかもしれないけど
今週はこれから夏本番といった感じになるらしい。

久しぶりに畑に行ったら、実に緑豊か。つまり草ぼうぼう。
初ゴーヤと初ししとうを収穫。
空芯菜がわっさわっさと茂っています。これから毎日のように食べられるでしょう。
野菜を買わない生活が数週間前から始まっています。
けれどキュウリと茄子がないのはやっぱり寂しい。
誰かにもらえることを祈ります。

写真/アマチャ

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遠いひぐらし

2013-07-21 | めぐる季節と自然

月が明るくなってきた。

★ひぐらしのこと

ひぐらしが例年より半月ぐらい遅れて鳴き出し、朝夕には今を盛りと鳴いているように思うのだけど、なぜか遠い。声が小さい。

キツネが人をだます力をなくしたように、ひぐらしも声が小さくなったのだろうか、今年から……
とぼんやり思っていた。いつもなら、頭の上や耳元で
カンカンカンと、降るように声が響いているのに。

で、今日やっと気づいた。
うちの真ん前に主のように生えていた大きなコナラの木を、
春先に伐ったせいである。

気づくの遅すぎませんかね、私。

ひぐらしはうちの西にある林に棲んでいてそこから声が聞こえてくるのだと思っていたけど
実はそれ以外に、うちのほぼ敷地内にあったコナラにもたくさん棲んでいたのだった。

わずかに、残ったヤマザクラやら何やらの木で鳴くのがあって
おお、来た来た、と励ましてやりたくなる。

ひぐらしはもっとどんどんうちに来るようにお願いします。


それなのに今日は庭の真ん中のアキニレも伐ってしまった。

★スイカのこと
今日はここ数日のうちで一番暑かった。
いつもは薄く曇っていたりするのだけど、今日はかなり晴れていて
でもどうしてもアキニレを伐らなきゃと、のこぎりをふるっていた。
伐るのはそう難しくはないが、大変なのは伐った後の木を片付けることである。
庭の空いた場所に、体長3、4mもあるでっかいアキニレの本体が、
枝を四方八方に伸ばして横たわっていた。
それをようやく片づけて、汗だく、へとへとになっていた。

いつもなら途中で隣の奥さんが、手伝ってあげるわ~とやってくるのだけど
今日はしんとして、静か。
きっと家族で苗木屋さんか土岐のアウトレットにでもおでかけなんだろうと思っていたら
「スイカ食べり~」と、隣の奥さんが、冷えたスイカの切ったのを持って
やってきてくれたのである。
私はそのとき、もうダメ助けてー状態でテラスに腰を下そうとしていたのだけど、
即座にそのスイカを食べたら、体が生き返りました。
スイカ、効きます。

ちなみに、隣の奥さんは、「たなおれだけど」と言っていた。
「たなおれ?」と聞くと、中が空洞になったスイカのことをたなおれと言うのだそうだ。
初めて聞いた言葉。東濃の言葉なんだろうか。
そういうスイカって、すこしカスカスした部分があるけど、そこがとても甘いのが常。
そのスイカもそうだった。

それにしても、いつもいつも、隣の人たち、いい人過ぎ。
大好きな人たち。
今日はきっと、あまりに暑くて、あるいは忙しくて、手伝ってはあげられないけど、せめてスイカあげようと思ってくれたのだろう。やさしい。


★マムシのこと
このブログの一番人気の記事は、常には「食べ過ぎと頭痛」なのだけど、6月頃からずっと、「マムシ酒の作り方」的なワードで検索されるのが一番多くなっていて、それがこの頃とくに激しい。
私がマムシ酒の作り方の記事を載せたのは2010年の7月17日だったので
どうやら今の時期がマムシの旬なのだろう。
マムシにも旬があるなんて。
そりゃあ、あるだろうけど、あるんですね。
けど、予期しないことで検索が増えるので、
うれしいような困ったような感じである。


写真/カンゾウ

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ひぐらし遅し

2013-07-03 | めぐる季節と自然

2週間ほど前にアブラゼミが一度鳴き
それから日をおいて2、3日前にまた鳴き出した。

ところが今年はひぐらしが遅い。例年なら夏至の頃鳴きはじめるのだけど。
昨日家からちょっと離れたところで、今年初めてかすかな声を聞いたのだけど
うちの隣の山にはまだ来ない。

連日とても寒い。
長袖が手放せない日が続いている。
そのせいだろうか。


田んぼの土手で、ワルナスビが咲きそろっていた。
こんなのに生えられたら農家の人はほんとにいやだろう。
刈り取るにも、トゲが鋭いから痛くて仕方ない。
地下茎で増えるから根絶やしにしようと思ったら除草剤をやるしか難しいかもしれない。
けれど花はとてもきれい。
私はナス科の花は大好き。特に薄紫色のは。
ナスの花もとてもきれいだ。

近所の田畑では、ノカンゾウも咲きそろってきた。
ネムの花も満開。
このごろは畑やよそのお庭から目が離せない。

写真/ワルナスビ

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2013-06-09 | めぐる季節と自然

この頃毎日、夜になると寒々している。暖房したくなるぐらい。
雨の日は少ないけれど曇り空の色は紛れもなく梅雨の色。
サツキもきれいに咲いている。

昼間はむっとして、花壇の草が蒸れそうなので
ハカタシダなども半分ぐらいに間引きした。
生い茂った草の中に何が潜んでいるかしれない。怖い怖い。

6月は仕事が多いけれど追いつかない。フキやら梅やら収穫したり
夏みかんを煮たり、朴葉寿司を作ったりと
やりたいことばかりだが、何とも体調がへなへなしていて
やれないのが残念。
しかし考えてみれば体調万全でがつがつやれてるときなんて
ほとんどないに等しいから、そこそこであきらめるしかないのだろう。
それでも畑の草など1本2本と抜き出すとつい止まらなくなって
こんなことしている場合ではないのにと思いながらも畑にはりついてしまう。
雨の後の土のやわらかい時、草をひょいっ、ひょいっと抜くのは
かなり心地いいのだ。


今日は「市内一斉清掃」で、中津川市中で朝8時から草刈りなどが行われている。
うちの地区では裏山の伸びてくる木を刈り込む仕事もあるのだが
アベマキやコナラ、クリ、その他リョウブやソヨゴなど、
刈られた枝を見ると本当に軟らかくておいしそうな感じのする葉がついていて
これを田圃に入れればいかにもいい肥料になりそうだ。
私の尊敬する粥川先生が、この時期の雑木の枝は1年で一番栄養があると言われていた。
昔はこれを柴といって、押し切りという刃物で短く切っては
田植え前の田んぼに入れて、足で踏みつけ、そのまま肥料にしたのだと聞く。

そういえば今日も70代ぐらいの人が、枝を運搬しやすいように短くしようと言って、
途中で、さびついた押し切りを取り出してきて、みんなから「そんなに短くしなくていいよ」と制されていたが、雑木の枝を見て反射的に押し切りのことを思い出してしまったのではないだろうか。

切られた枝は軽トラに載せられ市の焼却場に運び入れられた。もったいないことだ。
そこでプラスティックやら紙屑やらと一緒くたにして「ゴミ」として燃やされてしまうのである。何という野蛮で非文化的なことであろう。
市町村で出る草や木の枝、街路樹の剪定枝などは、絶対に別途分別して肥料にしたり自然に返すべきだ。草木を捨てる土地を確保すればいいだけのことだから、費用がそれほどかかるとは思えない。危険な産業廃棄物を捨てるよりは遥かに用地は得やすいだろう。それに草木は明らかに資源なのだ。資源をむざむざ捨てているどころか、お金をかけて焼却してあらたなゴミを作っているのである。

太陽の光と自然の水から植物が成長する。植物はそのように無機物から有機物を生産できる第一段階の画期的生物だから一次生産者と言われる。それがほかの生物の命の源となって、地球上の生物は生きていられるのである。
せっかくそのようにして生産した大切な有機物を、二度と使えないものにする処理をするなんて、地球への敬意がなさすぎる。
人類がこれまで知恵を絞ってギリギリのところで生きながらえてきた長い歴史の中でみると、このような行為は、知恵のかけらもないきわめて低レベルな恥ずべきものである。早急に改善しないと日本人はバカだということになるだろう。

写真/養命酒の芍薬畑と中央アルプス・駒ヶ根市

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アメリカ大平原の竜巻

2013-05-25 | めぐる季節と自然

今から40年近く前、NHKで「大草原の小さな家」というドラマをやっていた。ローラ・インガルス・ワイルダー(1867生まれ)の書いた全10巻ぐらいの自伝的物語が原作になっている。アメリカ西部開拓時代に、少女ローラが家族と共に、ウィスコンシン州からオクラホマ州、ミネソタ州、サウス・ダコダ州へと移り住みながら、大自然の中で成長していく物語である。
ウィスコンシンは五大湖の隣の寒冷な地方で森が広がっていたが、そこから移住した先は、まさにアメリカ大平原(プレーリー)の南から北から真ん中までのあちこちで、どこまでも続く大草原の中なのだった。

物語の終わりの方のサウス・ダコダ州での暮らしの中に、竜巻が何度も出てくる。竜巻が家を巻き上げ、3日後にその同じ場所にドアだけが無傷で落ちてきたとか、子どもが巻き上げられ、なぜか全裸で元の場所から3キロ離れた地上に落ちてきて、そこから歩いて帰ってきたが、しっかりひもで縛った靴までもがなくなっていたとか。もちろん亡くなった人の話も多く出てくるし、農作物も被害に遭い、竜巻の後に降ってくる雹で再度被害に遭ったりしているのだ。
そこが竜巻の地であるということは、開拓に入ったばかりの人も知っていたらしく、ローラたちも、それまでのほかの土地では地下室など作ったことはなかったけれど、サウスダコダでは初めから地下室を作り、竜巻が来たら避難していた。

私はこの3月まで半年ほど、日本の戦後開拓の人の話を聞き書きしていてため、改めて少女時代に大好きだったローラの開拓物語を読み返していたところだった。何度も出てくる竜巻の話の中で、もっとも克明に描かれている部分を、まさにちょうど読みかかったところだった。『はじめの四年間』、この中から下に引用する。

ちなみに、ローラは今回大被害のあったオクラホマ州にも1年間住んでいたが、ニュースで見る竜巻銀座と考えられている地帯から、ローラたちの住んでいたところは外れているようで、そこに住んでいたときは地下室は作っていなかったし、竜巻の話も出てこない。

--- --- ---

 朝方、風は南から激しく吹いていたけれど、もうやんでいた。ところが、北の方で雲がもくもくとわきあがっているのが見えたのだ。空の奥に真っ黒な壁ができていて、そのまえで雲が渦を巻いている。すでに風がおこって、南から強く吹きつけてくる。ローラが見ていると、じょうごの形をしたおそろしい雲が、黒い壁からその指先を地面にむけてにゅっとのばしてきた。あたりに緑がかった光が走ったとき、ローラはやにわにローズをだきかかえて、家の中へかけこんだ。そして、すばやくすべてのドアと窓をしめてから、食料部屋へとびこみ、窓からまた嵐を見ようとした。
 じょうご形の雲の指が地面にふれ、見るまにほこりが巻きあがった。耕したばかりの畑の上をかすめると、芝土のかたまりがもちあがって、見えなくなった。次に、その指は古い干し草山につきささった。ぼわーっと干し草がもちあがり、あっという間に山は消えてしまった。じょうごの指は家にむかって進んでくる。ローラは食料部屋のはね戸をもちあげて、ローズを連れ、中へ入り、戸をバタンとおろし、おおあわてで階段をおりて地下室へ逃げた。しっかりローズをだきしめたまま、真っ暗なすみっこにちぢこまり、頭の上の方から聞こえる風の金切り声を聞きながら、今にも家がもちあがって、どこかへ吹きとばされてしまうのではないかとおびえていた。
 けれど、何ごともおこらなかった。何時間とも思われたけれど、ほんの数分ののちに、マンリーが呼んでいる声が聞こえた。
 はね戸をあげて、ローラはローズをかかえ、階段をのぼった。マンリーが庭にいて、二頭の馬のそばに立ち、嵐が去っていくのを見ていた。マンリーがいるところから北側へ四百メートルもないあたりを東へむかって通りすぎていったそうだ。行く先ざきで、建物や干し草山をなぎたおし、でも、ばりばりに乾いた地面にほんのおしめり程度の雨を降らせただけだった。町にいたマンリーは、嵐の雲を見て、ローラとローズだけにしておいては心配なので、おおいそぎでもどってきたのだった。

--- ---

現在のアメリカのニュースを見ていると、アメリカ大陸の自然の厳しさはなかなか伝わってこない。ハリケーンと、ミシシッピ川の氾濫ぐらいしか思い当らないのだが、ローラの物語を読むと、本当に気候が厳しく自然災害の多いところで、暮らしていくのが容易ではないと感じる。あんなところで農業を行い、現在農業大国となっていることは、ある意味すごいかもしれない。
今回の竜巻被害で、アメリカの自然の怖さを改めて感じた。被害に遭われた方にお見舞い申し上げたい。

はじめの四年間

写真/タイムの花
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ホトトギス初鳴き

2013-05-17 | めぐる季節と自然

今日の夕方、突然、ホトトギスが啼きました!

昨年の記事を調べたら、6月1日に到来しています。
ウツギの花も今年より遅かったよう。

山では今、ウツギが満開、ちょっと過ぎたぐらいです。

ホトトギスの来る季節は、とりわけ光が強く、景色が輝いているように感じます。
真夏の光も強いけれど緑の色が暗くくすんでいる分だけ、
今の時期の方が輝いて見えるのかもしれない。
先日テレビで、5月の光と7月や8月の光は違うと言っていた。

いずれにしても、ホトトギスの声も、緑の色も、つややかで
おめでたいのです。

写真/長野県泰阜村 前の記事の、オレンジ色の花畑の反対側。下に天竜川、向こう岸の斜面にも集落が見える。

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