山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

えな山村塾

2008-02-29 | 山里
えな山村塾のHPが着々とページを増やしている
 → http://www.ena-sansonjuku.net/
アンドくんとヒロコさんがどんどん作ってくれている
見るととても楽しそうで、山里らしく、
雰囲気がよく伝わってくる
いつのまにかこんなものができあがってしまってうれしい。
ちょっと自慢したくなる。


また2時
今日は早く帰ろうと思っていたのに、あっというまに時間が過ぎる
それでも昼間はアンド君などもてんてこ舞いの忙しさで。
一体どうなっているんだろう
人が増えたら仕事も増えた?
確かに、スタッフがいなければ、やれないとあきらめざるを得ないこともいくつかある
えな山村のHPなどもその最たるものだろう
今までそれでたくさんのことをおろそかにしたりあきらめたりして
残念な思いをしてきた

やれなければ、入ってくる仕事を断って、それですませればいいのかもしれない。
否、そのほうがいいのではと思うこともよくある。
その方がお金的にも楽なんじゃないかと。

でもこういう生き方をしなきゃいけないと、神様が決めたのかなぁ


栃久保石積み塾なんかやってたら、夜逃げしなきゃいけなかったかも……
きっと神様が助けてくれたのだろう
栃久保には神様が多いから。感謝。

すがすがしい2月の味噌づくり

2008-02-28 | 山里
2月17日の恵那市坂折での味噌づくり。
まちこさんの庭で13人の「習う人」と2人の「教える人」で。
習う人のうち男性3人。それぞれエプロンがとってつけたみたいで面白かった。

よく晴れて、青空が高く、気持ちのいい日。棚田を見下ろす屋敷の庭で
まさに和気藹々。冗談いい合って盛り上がる。昔は冗談言って手を休めてるヒマなんかなかったのかな、と思いながら。

こういうことはきっと1人でやると苦役になっちゃうんだろうなぁ
みんなでやるとホント楽しい。
えな山村塾のご参加の皆さんは、礼儀正しく熱心な人ばかりでありがたく思う。

大きな釜で焚き火で豆をゆでて、それをミンチにして、こうじとまぜて、桶に漬け込む。その一連の作業はお昼すぎに終わった。
もっともゆでる仕事は前日からしてくれてあった。

お昼ごはんを食べているとき、雪が降り出した。その光景も、山里っぽくて
なかなかいい感じでした。

味噌づくり 美の里会議

2008-02-27 | 山里
農家の嫁みたいなエリコちゃん。
でも農家の嫁ではなく、農家の娘である。
それも、ここの家じゃなくて、うんと遠いところの。
味噌作りで、ミンチにした大豆を縁側に広げている。

2月17日に坂折棚田でみそづくりを教えてもらった。
会場はまち子さんの家。
先生はとしえさん、まちこさん。
天気がよく、みんな陽気で気持ちいい人ばかりで、最高に楽しかった。

今日は雪降り。
2時間半もの会議の間、農水省は農民をバカにしているのか!と怒っていた。
山里の人たちは、人が良すぎる。いうことを聞きすぎだと思う。

ナマコの口をダラ開きに

2008-02-16 | 
港の方から、「ハイ3.5~」「はい3.5~」
「ハイ5.8~」「はい5.8~」
と、数字を読み上げ復唱する声がした。
こんな冬の雨の日に、たいした木もないのに、
どういう林分調査をしてるんだろうと、引かれるように行ってみた。
(数字を読み上げる声がすると林分調査だと思ってしまう)
バケツのナマコの重さを量っているのだった。

1月上旬、佐久島の東浦。

翌朝の島の有線。
「明日からナマコの口をダラアキにします。時間は8時30分から午後2時、なお、月曜日、木曜日、日曜日は休みです」
何といっているのか聞き取れず、息を止めて聞きなおし、3度目でやっと分かった。

ナマコの口をダラあき……
ナマコがひっくり返って口をあいて、だらーん、としている様を想像するしかないでも、きっと違うはずである。
(ナマコはだらーんとしているときとそうでないときの区別が分かりにくそう)。

ナマコの口をダラあき……

忘れられないフレーズ。

こんにゃくに捧げる祈り~アーメン

2008-02-15 | 山里
まだ丸める前のこんにゃく。すったこんにゃく芋に灰汁を入れて練り上げたところ。
それに十字を切る。祈りを捧げているわけではなくて、十字を切った溝に、こんにゃくが両側から、ぐにーん、と寄ってきたら、練り上がり!OK!のしるし。

ふりかえれば何だかこんにゃくのことばかり書いている。
こんにゃくという食べ物は、普段かなり忘れている。冷蔵庫の中でも、使いかけのままよく忘れ去られている。
脇役というより、チョイ役ですらない。今では。
でも昔の人にはきっとすごく存在感のある食べ物だったんだなーと、発見した。
こんにゃくを作ったときのゆで汁の中に入れておけば、2カ月ぐらいは軽くもっちゃうみたい。
だから保存食であり、お正月の煮物には必ず入っている。
何しろ栃久保では、今もほとんどの家で作っている。珍しいことではない。
で、一度作るとこんなにたくさんできてしまうのだから。

こんにゃくはカロリーがあまりないのだけど、作るの大変なのに、昔の人は一生懸命作って食べている。どうしてなんだろう。
こんにゃく芋は、育つところにはいくらでも育つが、土が合わないと全く育たないという。
そもそも、こんにゃくのこの複雑な作り方を誰が発見したのか。どこの国で発祥したもの?
南方系の食べ物であると思うが。

生まれてから一度もこんにゃくを食べたことのない外国人が、初めてこんにゃくを口にしたとき、どう感じるのだろう。

これまで、こんにゃくを買うことなんて、年に片手で十分数えられるぐらいの回数だった。多くの人がそうなんじゃないか。もっと見直してあげないといけない。
おお、これではまるでこんにゃく教だ!

こんにゃく かわいや

2008-02-15 | 山里
2月3日に栃久保でもらってきたこんにゃくが、うちの容器の中でいくつも揺れている。まるくて、手のひらサイズで、昨晩取り出したら、何だかかわいくて仕方ない。
市販の四角いこんにゃくとは全然違うたたずまい。
その丸さとプルプルしたイキのよさが生き物みたい。

こんにゃくって、こんなにかわいいものだったかと、昨晩は思った。

写真は、若いにーさま達がゆであがったこんにゃくを大喜びですくっているところ。世の中こういうにーさまばかりなら平和である。

栃久保でも、昔はこんにゃくは男が作ったものだという話も聞いた。力仕事だから。

大雪と山里気分

2008-02-11 | 山里
冬の初めから今まで雪をためこんでいたかのようにたくさん降った。25センチぐらい積もった。ふかふかの雪だった。雪かきをしたら生クリームみたいにふわっとした。

雪が降ると音が消える。自宅から事務所まで、とっても遠く感じる。
自宅も雪にうずもれた。

雪はいい。寒いけれど、やっぱり雪はいい。だから雪国に住む人がなくならないんだろうか。
それに、雪の降る前の2日のほうがずっと寒かった。


写真は、3日の栃久保でのこんにゃくづくり。ゆでたこんにゃく芋の皮を剥いているところ。
ゆでるときにこんにゃく芋をできるだけ薄くする方が早くゆだっていいのだと、ほかの地方のある人が言っていたけれど、地元のおばあちゃんたちは、「あまり小さく切るとのりが出ちゃうからよくないみたい」と言っていた。
それで、せいぜい2つ切りでゆでていた。

ピンクのエプロンと白い手ぬぐいで山里気分の私(いつも格好だけ決まっているとほめられる)。
ポイントはエプロンの袖口。ゴムで絞って服のそでが落ちてこないようになっている。これ大事! こんにゃくづくりは特に、手がねばねばになって服を触れないから。

2度目の炭焼き 2月16日に焼きあがり

2008-02-11 | 山里
えな山村塾行事 2月16日 炭焼き2回目 窯出し

1月中旬から行っていた炭焼きのかま出しを先日行いましたが、「窯が冷えてはもったいない、せっかくだからもう一度続けて焼こう」と地元の柘植強二さん(炭焼き名人)と山主鈴村直さんが立ち上がり、2度目の炭を焼いています。
今回竹炭も焼きました。16日に窯出しをします。
竹炭、ほかいろいろな炭のほしい関係者のみなさん(えな山村塾、山里文化、夕立山森林塾など)は、ぜひ16日に恵那市中野方町坂折に駆けつけてください。
いろいろな飾り炭も焼いています。

小鳥さえずる季節

2008-02-08 | 山里
徹夜っぽいことが近頃たびたび起こり(今日もそうだけど)、
2日前も、朝事務所から自宅に帰るとき
すでに白々と空けた空の下、2本のアベマキの梢に2羽のシジュウカラがとまって
「源平ツツジ白つつじ」とかわいい声でさえずっていた。
バレンタインデーが近いことを、そして春がそこまで来ていることを教えてくれた。

陽の光はあきらかに白く明るく力強くなっている。
夕刻の恵那山がピンクに輝くのもこの時期。

今は2月 たったそれだけ
あたりにはもう 春が聞こえている
だけれども
たったそれだけ
昔むかしの約束はもう戻らない

ああ 花はまた開くであろう
そして鳥は変わらずに鳴いて
人々は春の中で笑み交すだろう

というのが私が20歳の頃から好きだった歌。

そして、
チューリップの花咲くような明るさであなた私を拉致せよ2月
というのも私が20代のころから好きな、俵まちさんの短歌。

どんなに悲しいことが起ころうと
容赦なく花が開くことに憤りに似た気持ちを感じたこともある。
季節の移り変わりは時をどうしても止めることができないことを
私の目の前に突きつける。

明日どうなるか、さっぱり分からない。
そんな無計画ではいけないけれど
とにかく今日はすでに明日になっている。

永遠に終わらない?

2008-02-06 | 山里
よほど要領が悪いのだろう
仕事がいつまでたっても終わらず、忙しい。
今日は私以外の3人のスタッフがみんな出てきてくれて
にぎやかだった。突然人口密度が高くなった事務所。
少し前まで広々していたのに、荷物やら作業やらたくさんあって、
狭い。

ショーコさんが上手に気をきかせてくれて、ころあいをみはからってお茶タイムなどをしてくれるので、みんなでなごむのも楽しい。
かつてなかったことだ。

今日は先日のバスツアーの集金にバス屋さんが来ておまんじゅうをくれた。
一人では絶対食べないが、忙しい中、事務所でみんなで食べるのは実においしい。

それにわが事務所では昼食自炊制になり、毎日「当番」が昼ごはんを作っている。
今まで急須すらなかったのに、突然なべやら包丁やらが現れた。
もう少ししたら野草料理を作ってやろうと楽しみにしている。

それにしても、やとわれているみんなも本当に忙しそう。忙しいから雇ったのだから当然ではあるが。結局私は日中はその人たちにいろいろ教えたり頼んだりすることに追われ、自分のことに集中できないから、間違えたりして、まるではかどらない。
そのうちうまくいくようになるだろう。

求人に時間がかかった。
田舎ゆえ、人は集まりにくい。ずいぶん待った。
こんな理想的状況が来るとは。

手作りこんにゃく

2008-02-05 | 山里
手作りという言葉はいつのまにか「誰か知らない人が作ったもの」という意味に変わっていて、それが人でなく大型の機械である場合も多い。
どうしてそんなに無節操に「手作り」を標榜するのが許されるのだろうか。
そういうのは詐称に入らないのか。
今回のCOOPの手作り餃子は中国の工場で作っているのに
それに「手作り」とネーミングすることに、心はいたまないのだろうか。
今に始まったことではなく、手作りとかかれた大量生産品は以前から多くて
出会うたびに当惑し、手作りって何?と考え込むことになる。

でも日曜日の栃久保のこんにゃくは、紛れも無い手作り。こんにゃく芋も、灰汁を作るわらも栃久保産。そして、「手」で作ったのだから。

4キロ弱の芋から120個ものこんにゃくができた。

写真は、ミキサーで粉砕したこんにゃく芋を練るおばあちゃんたちと、ときどき灰汁を投入するアンドー君。

昨日の参加者は、Iターンの若い夫婦Sさんと、学生のE子ちゃん、少し離れた地元の24歳アンドー君でした。
熊本のサワハタさんも途中まで見学されました。

おばあちゃんたちの元気さには負けそうでした。
皆さんびっくりするぐらい頭の回転も速いのです。
スゴイ……

山里の行事はたびたびやってきたけど、こんなにちゃきちゃき進んだのは初めて。
どうもおっちゃんたちよりばあちゃんの方が段取りとかいいみたいです。
何というか、おばあちゃん同士の協力体制・結束がすごいですね。みんなが一方向に向かってやってるからどんどんはかどる。
おっちゃんたちは、それぞれ自分のやりたいことがあって、我が道を行かれます。

ただ、2日の坂折の炭窯の窯明けのときも思ったけれど、山里では誰かが綿密な計画を立ててそれを紙に書いて配ったりしなくても、みんなが自分の役割を感じ取り、勝手に動いているようにみえて、うまく仕事を回している。黙っていながら見事に仕事が進んでいく。
そういうのは、山里力だなぁと思う。

節分の雪景色、120個のこんにゃく

2008-02-04 | 山里
立春の前日になって、やっと雪になった。
雨ばかり降って気持ち悪かった。

栃久保で、こんにゃくづくりを4人のおばあちゃんに習った。
習う側は、私を除き(!)なぜか若者4人。うち若男2人。

120個もできました。
1人10~20個ぐらいもらって帰った。

お昼ごはんをみんなで食べながら、おばあちゃんたちのこんにゃく談義が始まった。一人が糸こんにゃくづくりに挑戦して失敗した話を始めたら、ほかの2人のおばあちゃんが、「実は私もやってみたけどダメだった……」と話し始め……
なんだ、みんなひそかにやっているのねー、笑った。

最高に楽しく、午後はまった~~りした1日でした。

しかし、栃久保を立ち去ってから、またもや机にしがみつき、
仕事に立ち向かい、疲れた……
眠い……

昨晩は熊本からの客人サワハタさんを、坂折の人などと囲んで
まことにたのしい夜でありました。
日本酒したたかいただきました。
「女城主」「恵那山」「くろくわ」と地元のお酒ばかり。
飲みすぎです。大変反省です。
熊本の客人はあきれていたことだろう。

自分のもっている仕事の中で、追われて疲れたり、まったりいやされたり、
自給自足で便利です。

明日の朝も起きるのがつらいだろう。
でも新人さんが来るので、絶対遅れてはならない!

ヒトデを干す港

2008-02-01 | 
1月上旬の愛知県佐久島で。港にヒトデがたくさん干してあった。一面の星みたいで一見きれい。よく見るとヒトデ。
何に使うのだろう。

1月21日から、わが事務所の状況が急転直下で変わり、てんやわんやの毎日が続いている。調子が今までと変わってしまい右往左往している。
毎日目覚めては「どうせこなしきれない仕事がある」と暗澹たる気持ちになることに慣れてしまい、神経が麻痺していた。しかし、そのような日々にはピリオドが打たれた。暗澹たる日々の調子が狂うのはいいことだろう。もう絶望的な気分からは解放された(仕事があるのに絶望するなんてもったいないこと)
事務所はなんだかにぎやかで楽しげになっている。

要するに正規フルタイムスタッフの若手が1人入り、少し前からいたアルバイトのショーコさんも慣れてきたということだけれど、仕事を2人に割り振ってみると、それだけの仕事をこれまですべてほぼ一人でやってきていたことに、改めて驚いてしまう。てか、やれるわけがない!
来週からはもう1人新しい人が来るのだ。

1/26のシンポが終わってもまだまだ緊張の日々が続き、今は頭がぼんやりしている。明日は熊本からの来客がある。楽しいこともたくさんある。

プリンタが3台すべて壊れ、1台は治ってきて、新たに1台カラーレーザーなどを買ってしまった。PCも1台注文。机も本棚も追加しないといけない。大丈夫かしらん。
そして事務所の中はなんだかほんとの事務所のようになってきた。