山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

山里で見かける柿がほぼ渋柿であることについて

2021-11-20 | 山里

甘柿というのは意外なことに田舎よりも都市近郊のお庭によくある。うちの実家がまさにそうだし、私の丘の家の方もそうだ。田んぼも畑もない農家ではない家庭が、庭に植えて秋の味覚を楽しむ。

意外に知られてないのだけど、生まれつき甘柿というのはないということで、すべて渋柿に甘柿を接ぎ木しているのである。よって、野山に勝手に生えている柿は全部渋柿である。

柿は結構よく野生で生えている。その種をばらまいているのは誰かというと、カラスとタヌキとおそらくサルとときどきツキノワグマである。ハクビシンなんかも柿を食べそうな気がする。アライグマやアナグマのことはよく知らない。そういうのが柿をどこかへ持って行って食べたり、その場で種ごと食べて、違うところで糞をして種子散布に協力しているのである。

そういえば3日ほど前の記事で、うちの柿が意外にカラスに行儀よく食べられているということを書いたのだが → 柿採りにいそしむ - 山里ひぐらしの小径 

じつは実を丸ごときれいにかっさらわれていて、カラスに取られていることに気づいていなかったという疑惑がある。愛知県の知人が、近所でカラスが柿の枝から実をさっともぎとってくわえてはどこかへ運んでいるのを目撃したというのである。

で、冒頭の話であるが、山里、それも標高500mとか600mを超えるようなちょっと奥まった山里に植えてある大きな柿は、渋柿である。というのは、甘柿より渋柿の方が標高の高いところまでいけるからである。1000mを超えるぐらいになると渋柿も無理になってくると思うが。それは、甘柿を高いところで植えても甘くならないということなのか、甘柿の木自体が育つことができないのか、よく分からないのだけど、そういう高いところでは平べったい次郎柿的なものを見ることはなく、縦に長い蜂屋柿とか富士柿というようなものばかりである。

そして、甘柿も干せば干し柿になるだろうが、あまりうまくできないらしい。ということは、渋柿の方が保存が効くし、長い間おいしく食べられるということになる。

山里の人たちは、秋に採れたものを保存することに余念がない。かつてはそれができなければ生き延びられなかったからそういう習慣が身についている。収穫物を保存してはそれで一年食いつなぐというのが山村民の暮らしであり、保存すること自体が農作業の一環である。よって、秋になると渋柿を収穫して、夜な夜な皮をむいて干すということが一年のサイクルの中に組み込まれている。米を収穫して干して脱穀したり、豆を収穫して干して殻を取ったり、白菜を収穫して干して塩で漬けたりというような仕事の一つとして、干し柿づくりがあるのである。

そして、冬に山里の家にお邪魔すると、たいていはこたつのおともとして干し柿を出してくれる。そのおいしいことといったら。冬も進んでくると硬くなるけど、冬の初めのころのものはまだ軟らかくて中がジューシーで、思わずおかわりなどしてしまうのである。

けど、柿は食べすぎると冷えるので調子に乗っていくつも食べるのはやめましょう……。

 

★山麓散歩動画(3分弱)↓

OGPイメージ

山麓夕散歩 柿、栗、キウイ、ブドウ……果樹園の夕暮れに白い月昇る 紅葉の下のブランコで子どもが遊ぶ山里

#mountainside #satoyama #sunset 秋の終わりを惜しむようにノコンギクが咲いています Persimmons a...

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山麓の家で古いはざを見つけたこと

2021-11-19 | 山里

はざの形は何種類かあるのだけど、この地方でいまだ見た記憶のない、縦に数段並ぶタイプのはざを、うちの上の方の家で見つけた。

細かいことだけど、縦に立てた支柱の部分に開ける穴は私が知る限り四角いことが多いけど、ここでは楕円。そして、横に渡している木がかなり太い。

支柱を見るとかなり古いもののようだ。

この家は篤農家であるのか、家の周りの農地をきれいに耕作している。どこからどこまでがこの家の農地なのかは知らないのだけど、家の前の広い菜園を、おばあちゃんと言われる年代の方が、毎日必ず、休むことなく手入れしていて、雑草など全然生えていない。

畑と家の横にある芝地も常にきれいに刈り込まれ、薪はきれいに積まれ、目を楽しませてくれる。

日々の散歩で時間のあるときにはこの家の方まで足を延ばすのだけど、夏の終わりにナスをくださったので、今日はうちの柿を10個ほどお持ちしたのである。この辺りは標高が高いので、甘柿の木はないからだ。だからみんな渋柿で干し柿を作っている。渋柿は甘柿よりも少し高いところでも育つ。

 

話をはざに戻す。うちの方の地域でははざはたいてい1段の、田んぼの中に、稲刈りの時だけ立てるもので、こういう数段になるものはこれまで見ることがなかったのだけど、もしかすると残っていないだけで、以前はこのタイプがあったのかもしれない。

このタイプは、田んぼより雑穀を多く採る地域や、田んぼの狭いところ、木曽地方では木曽福島や開田高原でよく見る。はざにも地域性がある。田んぼの真ん中に立てる1段のものと決定的に違うのは、このタイプが常設であることである。常設しておけば、米以外にもいろいろなものが架けられる。ソバなどの雑穀、大豆などの豆、大根の葉や芋の茎やつる、薬草、布団……などなど。

ところが愛知県の奥三河の知人が、このタイプを庭の隅に秋だけ立ててまた片付けていたと言ったので驚いた。一体どういうことなのだろう……。

 

山麓朝散歩(動画)↓

OGPイメージ

高原の紅葉、ホオノキの白い枯葉、小川、流れる雲、山里の秋

#countryside #satoyama #stream 撮影 Japan 中部地方太平洋側山地帯 11月中旬 20211119 Th...

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漆器のお膳と、お膳を貸してくれる岩や淵の話

2021-07-28 | 山里

毎週行なっているオンライン山里勉強会。昨日の「各地の聞き書きを読む」で、2011年発行の「長野県木祖村の聞き書き」から、木曽漆器の製作・販売をしていた人の話を読んだ。

その方は初め漆器の産地である木曽の平沢(木祖村の近く)で漆器を作っておられたが、その後、作った漆器の販売に全国を回るようになった。鹿児島、新潟、伊勢などの旅館に行くと、お膳の注文をたくさん取ることができたのである。昭和40、50年代の話。

漆器なんて今の生活ではほとんど使わなくなっている。お重も、日常使っているのはウレタン塗装の気軽なもの。手入れにもあまり気を使わなくていいし、値段も高くないからあまりドキドキしないし。店先に並んでいるのもそういうのが主力だと思う。そのお重すらあまり使わずに、プラスティックの密閉容器を使ったりしている。

お重は、昔は、たくさん作ったおはぎを隣近所に配ったりするにも使った(らしい)し、お祭りだといえばお重にごちそうを詰めて持って行ったりした(らしい)ので、漆塗りのお重もよく使われていた。今はプラスティックの使い捨てパックに入れるし、お祭りでは仕出し屋や大手スーパーからオードブルを取る。

話を戻すと、当時の漆器の主力商品はお膳であり、昭和40、50年代頃は旅行ブームで全国各地の旅館で大量のお膳のニーズがあったということだ。

また、昔は家で結婚式や葬式をしていたので、そのとき何十客というお膳が必要だった。足りないときは組(自治会の一単位)で貸してもらったりしていた。けれども、近所の淵や岩で貸してくれる場合もあるのだ。

結構全国各地に膳貸し岩、膳貸し淵の昔話がある。うちの母の実家の方(愛知県の海ぎわ)では岩があって、その岩に「お膳5客貸してください」と頼むと、翌日岩の前にお膳が置いてあるというのである。愛知県の奥三河(山間部)では川の淵が貸してくれるらしい。頼んだ個数のお膳が淵に浮かびあがるというのだ。そんなのどうやって拾うのか。結構命がけである。

それらの話には、「お膳を返さなかった人があって、それ以後、貸してもらえなくなった」というオチがついている。そのオチがつくと途端に話が説教くさくなって面白さが半減する。というか、夢がなくなるなあ。

 

お膳の話では、「負けず嫌いだったのでお膳は借りないで全部買ってそろえた」という人もあり、お膳を借りると負けた気がする人、というのに笑えてきたりする。いるかもなあ、そういう人。

 

写真は話と関係ありません。

夕焼けの山里動画(静止画ですが)

OGPイメージ

やわらかなバラ色の夕焼けにヒグラシ 夏の夕暮れ

#sunset #Evening #cicada 撮影地 Japan 中部地方 7月下旬 20210726 Thanks for♪BGM ...

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菜園のデザイン 意図しない美をつくる人

2021-07-08 | 山里

夕方の散歩でよく通りがかるところ。この畑の美しさについ見入ってしまう。ここからは遠くの山や、その山腹にある里や、その山のさらに向こうの山や、その山の向こうに日が沈んで夕焼けになる様子や、山あいから湧き出る雲が見られて、それだけでもきれいなのに、この畑ときたら見事に隙間なく整然と野菜が植えられている。

そして通りかかるときにはほぼ毎回腰の曲がったおばあさんがもくもくと仕事をしている。この画像にも向こうの方に写っている。今どきのような天気の悪いときも、ポツリポツリとした雨ぐらいなら、やはり仕事をしている。常に動いているということが身に沁みついているのだろう。あるときは土手の草を刈っているし、あるときは野菜の手入れをしている。おそらくはその人がこの畑の主(主催者)だろうと思う。畝ぐらいは息子さんが耕耘機を使って立てているかもしれないが。

しかしこの畑にはよく見るとハウス的なものは全くない。こういう農家の菜園でトマトを作る人なら、通常はまず間違いなく上にビニールの弓型の屋根をかけているもので、そういったものは息子さんが作ってくれたりして、そこでおばあちゃんがのびのびと菜園をしていることが多いが、ここにはない。

この右手の方には少しの果樹とミョウガがある。

手前の半分は大豆だが、かなり大量にある。味噌なども手造りなのだろうか。

私が通って写真を撮っていてもほとんど気づかれることがないけれど、そのうち気づかれて話をする仲になったら聞いてみたい。

 

動画あります

OGPイメージ

山麓夕散歩 夏至の前日、野の花咲く道をたそがれて歩いていたらカラスが帰れと

あぜ道には花、田んぼにはカエル、山にはカラス、空には夕焼け雲 #sound of frogs in ricefields #countrys...

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6月の田んぼは地球に貼り付いた鏡

2021-07-03 | 山里

水面は鏡面になって空を写す。田植え後の3週間ぐらいは、日本中の田んぼが鏡となって日本上空の空を写していることになる。

田んぼはほかのアジアやオーストラリアやアフリカやヨーロッパにもあるが、田植え時期は日本とずれているので、とりあえず日本だけのことを考えておく。

 

夕暮れの空が青から赤に染まり、そこにふわりとした雲が浮かぶ。そんな様子も田んぼは移す。

そして、田んぼだけではなく、ビニールシートも鏡になっていることに、今まで気づかずにいた。

黒いビニールシートが夕映えに染まっている。

山あいに沈む村が空の色を拾っている。

夏至の前の日、7時半近くなってもまだ光がある。家々には灯りがともる。一年で一番日が長いこの頃、恐らく遅くまで畑仕事をして、今頃ほっとしてテレビ見ながら晩御飯食べてるだろうか……。

 

動画で紹介しています→https://youtu.be/wne-ZgF6XAU

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山麓夕散歩 夏至の前日、ウツボグサ咲く道をたそがれて歩いていたらカラスが帰れと

夏至の前の日、あぜ道には花、田んぼにはカエル、山にはカラス、空には夕焼け雲 #ウツボグサ  #畑 #山里 #夕焼け 撮影地 Japan ...

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山奥の用水の水が青かったことなど

2021-06-11 | 山里

用水の流れを調節するところ。

手前右側は田んぼの方に水を流す口。向こうの2つは、余った水を下の沢に放水する口。

 

山麓の集落の一番奥まで行ったら、用水があった。

とはいえ、一番奥まで行かなくても、用水はある。

ただ、こういった山奥の用水は、沢から取り入れた本当にきれいな水を流しているので、見ていて気持ちがよくなる。もう少し下の平地になったところでは、雨水や沢水を一旦溜池に入れて、そこから田んぼへ水を引いている場合が多い。が、この辺りには溜池はほとんどない。

恵那山からの水は絶えず流れっぱなしになっていて、とりわけ春先から5月頃にかけて水量が増えるのは雪解け水がどんどん流れてくるためである。また、雨の日の後も水量が多い。裏木曽や木曽では川がとても青いのだが、こんなコンクリート張りの水路でも水が青く見えるので驚く。水の中のミネラルの関係なのだろうか。

用水でも青い水。水色の棒に付いた板を上下させて、水の出入口を開けたり閉めたりする

山から来る沢はあちこちにあるが、こうしてこんな山奥から水路を引き田んぼに安定供給している仕組みを作った先人はすごい。今でこそコンクリート張りになったり黒い塩ビ?パイプを使ったりしているが、昔は重機もない中でツルハシを使って土を掘ったり石を積んだりしたのである。前に山形県の山奥の用水を見たことがあるが、山奥の大きな岩を穿ってトンネルを掘って用水を通してあった。こういったことが日本中の山里でくまなく行われてきたのだ。

奥から流れて来ている水を一旦この箱に入れて分配しているようだ。左側の上のパイプは道路の下を通って反対側に行っている。

田んぼというのは畑に比べてはるかに手間のかかるインフラが必要になってくる。田んぼ自体を作るのにも、斜面を切って水平面を作ってから、粘土を入れて踏み固め、さらに糸を張って厳密に高さを測って平らにして、畦を作って水が溜まるようにし、そこへ水が来るように水路を作らなければならない。

田んぼをやめるとか田んぼをつぶすというのはそういった手間暇のかかった設備を壊すということになるので、「先祖代々の田んぼを守る」という意識があるのは当然だろう。がその意識も今は受け継がれなくなって、田んぼなどない方がいい、さっさと売ってお金にしたいという人が多くなっている。米を出荷するときの価格が安すぎるのだから仕方がない。

日本中のこういった設備がなくなっていけば風景も変わってくる。

なんだか書いているうちに気分が落ち込んできた。私は農業者ではないので、文句を言う資格はない。

この用水で耕作している田んぼ

広い土手の草もきれいに刈られている。これだけ刈るのは気が遠くなるほど大変だと思う

 

川を隔てた反対側の用水は、途中に小水力発電所ができていた。ただ流していただけの用水の途中で発電して、使った水をまた用水として下流に流す(当然)。この発電所を作ったことで、用水に使っていた管などが更新され、用水自体がより良くなったと看板に書いてあった。

小水力発電所

 

発電所のすぐ下の用水

 

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アミメニシキヘビ

2021-05-12 | 山里
「アミメニシキヘビに咬まれないように注意しよう」的な雰囲気でANNニュース動画で語られていてびっくりしたのだけど
恐れるべきは咬まれることではなく食われることだ。
けど、食われる前に足掛かり(歯がかり)として咬まれるってことである。

アミメニシキヘビは毒で人を攻撃するのではない。
自分の身を守るために人に咬みつくマムシとかハブみたいな毒蛇ではなくて
動物を自分のエサにするために襲うのである。

マムシよりずっと怖いやつです。

実は今日まで私は、咬むとは知らなかった。
ただ、人(獲物)を見つけると巻き付いて締め付けて一瞬で心臓を止め、その後飲み込むと聞いており、
そんなふうに即死できるなら長患いして死ぬよりはいいいい死に方かもという感想を持っていたのである。
まあしかし、そのときの恐怖を考えると結構それもどうかなという気もする。
その恐怖で脳に損傷を受けたとしても、その後死んでしまうので関係ないが
もし生き延びた際には相当なトラウマになるであろう。

で、どうやら、巻き付く前に咬み付くらしい。
咬んでびっくりして立ちすくんだところに巻き付くのか、
咬んで歯をひっかけておいて、そこを基点にして巻いていくのかは不明だけど
後者ではないかと想像する。

うちはヘビが逃走した横浜の方からかなり遠いのでこんなのんきなことを言っていられる。


5年ぐらい前にインドネシア・スラウェシ島で7m余のアミメニシキヘビが
畑仕事にやってきた女性を飲み込んじゃった事故は記憶に新しい。
(検索すれば記事が出るだろう)
女性が家に帰ってこないのでみんなで捜索したところ、畑の縁に胃が重くなって(胴が太くなって)もたもたしているアミメニシキヘビが横たわっており、
「これは……!」と思って腹を切ったら女性が出てきたそうだ。

基本、人間を見たら逃げるらしいけど、インドネシアでも山の自然が破壊されてアミメニシキヘビも人里に下りてきており、事故がちょくちょくあるとのこと。
日本のクマ・イノシシ・シカ問題と同じだ。

それにしても、今回の横浜かどっかの男性が飼っていたアミメニシキヘビは3.5mもあったそうで、そのまま飼い続けて7mとかなったらどうするつもりだったんだろう。大きいものは10mにもなった記録があるらしい。
3.5mだって飼うには相当なスペースが要る。都会の狭い家で飼うのは大変だ。水槽に押し込めておいたりしたら動物虐待にならないだろうか。ヘビも運動できなくてかわいそうである。
購入したときは0.4mと普通のヘビ(ヒバカリとか)ぐらいだったらしいけど。
7mもになったら餌はどうしたらいいんだろうか。カエル100匹とかでも足りなさそう。
ていうか、その蛇自体、食べると結構おいしいとネットには書いてある。
そうして考えると、食糧難に備えて食用に養殖するにはいいものかもしれない。

けど一体どこに隠れているのだろう。事故が起こらないといいけど、心配だ。
小さな子どもを自由に歩かせたり、飼い猫を野放しにしない方がよい。
近郊の山際にワラビ採りに行ったりとかもやめた方がよい。
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75年前の8月15日に

2020-08-15 | 山里

1人暮らしのお年寄りの家を何軒か回った。この暑さの中でどうされているかと。

皆さん冷房をつけて、お元気で。いつも思うのだけど、私自身が一番不安だ。お年寄りの心配をしている場合ではないと。

 

で、中で一番年長の女性の方と玄関先でしばしお話。期せずして敗戦の日のことになった。

その日、13歳だったその方は、学校からみんなで山へ薪を採りに行っていて、ラジオの天皇陛下のお言葉は聞かなかった。山から帰ってきたら「戦争に負けた」ということになっていて、驚いたと。

お兄さんも出征しておられたので、戦争終結して内心ほっとして嬉しかったのではと想像したが、「とても悲しかった。なにしろ、負けるなんて全然思ってなかった。勝っているとばかり思っていたから」と。

その日のことは、本当に今もはっきりと覚えているそうだ。

75年なんてあっという間に経つのだろう。その間に世の中は本当に変わった。途中で燃料革命という大革命もあった。それらの移り変わりを全部見てこられたのである。

驚くことにこの方は、家も庭も完璧にきれいにして、突然訪問してもいつも非常にきれいな身なりをしている。田舎に住んでいるとほとんどの人はズボンをはいているが、いつもピシッとしたスカートとブラウスを着て、髪もきれいに整えている。今日はピンポンしたらきちんとマスクをしてから玄関を開けてくれたのである。毎朝涼しいうちに庭の手入れをしているらしい。庭木の剪定も全部自分でしているのである。

なんてこった。

こういう方とお話しできることに感謝する。

 

写真/タチアオイ。花びらに透け感のあるこの花がとても好きだ。ハイビスカスと同じアオイ科。ハイビスカス同様、花びらが、布地にワッシャー加工をしたみたいに皺しわしてマット感もあるのが、本当に好ましい。いつまでも眺めていられる。梅雨時に咲くのですぐ倒れてしまう。7月上旬。向こうに笠置山。

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安倍川上流のとんでもない山奥の茶畑

2019-10-29 | 山里

静岡県には天竜川、大井川、安倍川と大きな川があって、その上流部はどこも険しい山中であり、え?こんなところに?と言いたくなるような山と山のはざまに、ポツリポツリと10軒ほどの集落が隔離されたようにあるのが、国土地理院の地図で分かる。もちろん、グーグルマップでも分かる。空撮で見たらもっとよく分かる。

そういう集落を探すのが好きなのは私だけかと思ったら、ちゃんとテレビ番組で「ポツリと一軒家」なんていうのをやっていたりする。

孤立孤立と災害のたびに言うけれど、そういう集落は元々孤立していたのであり、電気とか車道とかができたら、孤立しているのが異常であることとして語られるようになる。

もっとも本当に完全に孤立していたわけではなく、昔はちゃんと人間が歩いて行き来しており、そこに住む人が農作物を出荷するために下山したり、逆に農作物を買い付ける人が下から上がってきたり、行商の人がいたりしていたのである。今の世の中で言う「孤立」というのは、電気が途切れて車が行けないということを指すようである。電気と車がないと生存できないと信じられている世の中である。

 

以上は前置きでありまして。

安倍川上流のとんでもない山奥に集落があるのを地図で発見して、

いや、発見したというと偶然見つけたようだが、そういう集落はないかと探した上で目星をつけ、車で登っていった。6月頃のことである。

それはほんとうにとんでもない山奥で、道の下は谷になっており、車で行くのがとても怖い。

こんな怖い思いをしたのは、10年ほど前に奈良県の十津川村に行って以来である。

しかしながら、その奥の里に住んでいる人は慣れているらしく、1台だけすれ違った車のドライバーは高年女性だったが、ぶーうーん、すいーっ、と絶壁のカーブを軽やかにすっ飛ばしていくのであった。

ひぇーっ。怖い。

 

そしてその山奥の集落にたどり着くと、人影が全くなかった。

集落はきれいに手入れされており、家々の庭も荒れているということはないけど、戸には雨戸が立てられたりして、全く住んでいる気配がない。

その「住んでいる気配のなさ」を感じさせる原因は何よりも、家庭菜園のなさであった。

こんな山間地では夏だったらキュウリやナスやトマトやササゲ豆やゴーヤーやピーマンやジャガイモなどは、必ず作っているものである。とりわけこんな下界から離れたところで暮らそうと思えば、そういう野菜がなければ不便で仕方ない。少なくともネギがなければ生きていけない。電気がなくても不便だが、ネギがないのも困る。ネギがあるだけで豊かな暮らしだと感じられると思う(ちがうか?)。冷蔵庫なんか作動しなくても、すぐそこで収穫できれば冷蔵庫は要らないのである。

 

その集落は一面が茶畑であった。静岡茶は天竜川と大井川流域だけなのかと思っていたが、安倍川もだと知った。茶畑は茶の収穫を終えて葉が伸び始めているのだった。明らかに、夏も近づく八十八夜頃に茶摘みを、……まあ茶摘みといってもアカネだすきの女の人が細い指で摘むんじゃなくてバリカンでガーッと刈る茶刈りかもしれないが、そういう仕事がされている現役の茶畑だった。ここの家の人たちは、元はここに住んでいたけど、さすがに不便なので下界に下りてしまって、でも茶畑があるので茶の収穫や手入れの仕事のときだけ上がってくるのだろうと思った。すなわちここは集落としてはもう棄てられたところ……? 廃村?

しかし。

もしかするとそもそもここは出作り集落なのかも、と思う。出作りとは、アルプスの少女ハイジの家のように、冬は街に住み、夏だけ山に別荘をつくって住みながらそこで山仕事をするのである。私の住んでいるところの近隣の長野県清内路村では出作りを行なっており出作り小屋があったらしい。

この集落の家は、小屋ではなくちゃんとした立派な家なので、何とも言い難いのだが、出作りでなかったら、もし定住するところだとしたら、どうしてこんな山奥に住み付いたのだろう。その必然性がよく分からない。あまりにも隔離されすぎている。

それを考え始めると、そもそもどうしてこの山奥に茶畑を作ったのだろうと思う。もっと手前に空地(山だけど)はいっぱいあるのだから、そこを切り拓けばよかったのに。

こんな山奥は大抵、平家の落人うんぬんとか言われるけど、そういう話は実感がなさすぎてどうも簡単に信じる気になれない。

 

静岡県の出作り集落についてネットで調べるも、出てこない。町史とか県史とか論文とか検索しないとだめっぽい。

*正面の山(谷の向こう)の上の方にも、隔離されたような集落があるのが見える。茶畑があるようだ。

写真/2019年 静岡県安倍川上流

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一度切り拓いた土地は永久にきれいに…………

2017-08-04 | 山里
今日も晴れています。
連日クマゼミが鳴いています。が、名古屋ほどはげしくありません。
数匹しかいない。

1週間ほど前のような暑さはなくて、夜は夏布団をしっかりかけて寝ています。
朝もさわやかです。

長野県の山里に行き、80代の女性2人と話をしました。
どの家も平均5反分ぐらいの田畑があり、山は2町とか3町とかあるということです。
けれど、いまどき5反分の田畑があったって、多すぎるのは当然です。
高齢になれば農業で生計を立てるというのでもありませんから。

土地なんかないほうがいい、と言われます。
あっても邪魔になるだけだと。
土地のめんどうをみる心配をしないで暮らしたいのです。
田畑はつくっていなくても、草だけは刈らないといけないということ。


つくる人がなければ農地は荒れていくのは当然です。
草だけを刈るといっても5反もあったら大変すぎます。
1反でも大変です。1畝(0.1反)でも大変です。
年1回刈れば済むというものではないですから。
だから、土地はいらない。

でも、土地を誰かに売ったり譲ったりするなら、土地を守ってくれる(きれいに草を刈ったり何か作物を作ったりする)人でないとだめだということです。

もう無理ですよ、そんなこと。


土地を守りたいという気持ちは美しいと思いますが、ちょっとその思いが強すぎるようにも思います。
まだぎりぎりまで頑張っているということでしょうけど。

もう放置したっていいじゃないか。
というふうにはまだ思えないようです。
そういう人のおかげで今の景色があるのですが。
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7月はグラジオラス

2017-07-13 | 山里
急に強い日差しが出たり、そうかと思うとかき曇ったり、降ったり。
洗濯ものを干そうか、窓を開けておこうか、迷う日々です。

畑でミニトマトが採れ始め
グラジオラスが今年も咲きました。

昨年掘り上げないで、放置してあったので
今年はあまりいい花が咲かないかと思ったら、
今年も見事に咲いています。
草丈が150㎝ぐらいあります。
こんな大きなのはあまり見たことがありません。
大和農園おそるべし。

白と紫があるのですが、紫の方が2週間ぐらい遅れて咲き始めます。
これから紫が咲くところです。

白の方は今年少しピンクがかってきました。

グラジオラスは本当に豪華で華やかで大好きな花です。
花びらの質感と、波打つ感じがとてもいいのです。

7月はどこの畑でもグラジオラスが咲いています。
この時期の山里の風景がとても好きです。
雨に濡れて風景の色が濃くなり、緑がとてもきれいに見えます。

庭のチガヤを取りたいです、ほんと。
でも取れる日が来るのだろうか。
やることばかりです。
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栗きんとんの店の人気ぶり

2016-11-03 | 山里
朝から気持ちよく澄んだ青空ですが、午後から白い雲が流れるようになりました。
風が冷たくて、雲も速く東へと去っていきます。
昨晩は雨が降りました。
このごろ、昼間はきれいに晴れていても、夜突然雨が降ることがよくあります。
そして朝にはまた晴れています。

恵那の山里の農産物直売所で収穫祭があって、お味噌など取りにいかなければいけなかったので、出かけてきました。
にぎわってました。豚汁、甘酒、芋ごねなどいただき、ぷるぷるした手作りこんにゃくとキャベツとお米をゲット。
棚田から見る山は、やはり紅葉が全然でくすんでいました。

その行き帰りに通りかかる恵那川上屋では、カフェコーナーに入りたい人が行列になって待っています。100人ぐらいいるのです。
最後尾の人は多分2時間ぐらい待つことになるでしょう。
そんなにまでして……?
と思いますが、遠くから来る人にはそれがいいんでしょう。
年々人気が高まっているようです。

そのカフェコーナーには私も年に1、2回行きます。
栗のシーズンでない平日ならわざわざ並ぶこともありません。
進物のお菓子をいつもこの店で買うのでポイントがたまり、
そのポイントを使ってちょっとお茶するのです。
ポイントはたくさんたまるので、友だちにごちそうしたりもできます♪

今日はいろいろとお世話になった人お2人に、栗きんとん発送の注文をして
混雑した店からささっと帰ってきました。

栗きんとんは出初めの9月上旬より、遅くなった方がおいしいと言われています。
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水の流れるところの草たち

2016-09-21 | 山里
山里の、水の流れのあたりに、いろいろな植物。
シュウカイドウや、コアカソや。
丸い葉、三角の葉、線形の葉など、勝手に生えているのにバランスがよくて、きれいです。

すっかり涼しくなりました。
虫の音が、鈴のようです。


写真/和歌山県印南町にて 2016年9月中旬
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刈田にて

2016-09-20 | 山里

プレゼントの包みの角にちょこんと付けたリボンのように
赤と黄色の花。
彼岸花と、キクイモ。
キクイモは左側の畑から倒れ掛かっています。

一日中雨降りで光がないのが残念。
和歌山県印南町にて。数日前。


暑いのか涼しいのかよく分からない一日だった。
気温はそんなに高くないのに蒸し蒸ししてうっとうしいと思っていたら
夕方から雨が降り出して、きゅうにひんやりした風が入ってきた。
夜にはまた暑くなり。

台風が日本列島を西から攻めてくる。
こちらには来ても弱いと思っているけど。
明日から尾瀬に行くはずだったけど、中止。

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お水取りは終わったけれど、寒さは彼岸まで?

2016-03-15 | 山里
久しぶりに恵那山が白く薄化粧しました。
空は澄み渡って、山がきらきらしています。
冬のような空です。

毎日まだまだ寒いのです。
けれど外に出るとそれなりに空気は春っぽくなっていて
やはり冬よりずっと暖かいのです。

3月の初めに和歌山に行ったとき、中津川よりずっと寒くて驚きました。
いつもなんて暖かいんだろうと感動するぐらいなのですが。
そのときあちこちで聞いた言葉。
「お水取りが終わるまでは」。
都に近いんだなぁと実感。
岐阜県や名古屋なんかでは絶対聞かない言葉です。
ただ、お水取りが終わるまでは寒いってことで、彼岸まで寒い地方とはやはり違うのかと思ったり。

和歌山ではもう暖かくなっているでしょうか。


写真/兵庫県家島にて 3月上旬
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