山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

加子母村では不評だった門松カード

2007-01-16 | 山里

1月7日から話題にしている門松カードについてです。

中津川市の加子母(旧加子母村)では門松カードが配布されていません。14日は足助新盛裏山塾でした。旧加子母村で4期村長だった粥川さんとずっと一緒だったので聞いてみました。

加子母では、門松よりも門松カードが推奨されたとき、誰もが「そんなバカな話があるか」という反応だったそうです。門松が森林破壊であるわけがないと。門松を作るとき、松を根こそぎ取るということはないこと。また、門松に使う松は、山の松ではなく、必ず、川原やがけに生えている、どうせ生きられない松を使ったということです。

粥川さんも、門松カード自体が森林保全に役立っていないという認識でした。

 


街の中のツワブキ

2007-01-11 | 植物

栄のあるビルの敷地の法面にあったツワブキです。12月には咲いていましたが、きのうは綿毛だけでした。ふわふわして見えますが、手のひらで触ってみると、以外にしっかりしています。綿毛は種子が完熟するとこのように真ん丸くなるようです。

ツワブキは黄色い花を咲かせます。

この近くには何本もイチョウの木があって、下にぎんなんがたくさん落ちていました。もったいないことです。においさえしなければ拾って帰るのですが。あの強烈なにおいとともに電車に乗ることははばかられます。

12月に熱田神宮に行ったときもたくさん落ちていました。自然(というべきかどうかはおいておいて)はたくさんの恵みを与えてくれます。というより、自然のすべてが恵みであり、災いも福として利用するのが人の知恵です。

うちにもイチョウが1本ありますが、雄株らしく実をつけません。ぎんなんが食べたくなってきました。


片付けるときも便利な門松カード

2007-01-09 | 山里

中津川・恵那地方では今もどんど焼きが行われています。どんど焼きとはいわず、単にどんどといいます。市街地ではすたれていく傾向もありますが、まだまだ地区ごとにきちんとやっているところもあります。真ん中に長い竹の棒を立て、そのまわりに燃やすものを集めて火をつけます。燃やすものは、去年の注連縄や今年の門松というのが本来ですが、それが足りないと(たいてい足りない)ほかの木材などを使っています。ヒノキやスギの青い葉のついた枝もたくさん入れられます。書初めを投げ入れて高く上がると字が上手になるというのはどこも同じのようです。

細部ははこの地域のなかのさらに小さな地域ごとに少しずつバリエーションがあります。恵那市の笠置地方では、黒く燃えた真ん中の竹を細かく分けて、各家の人に配ります。それをお勝手の屋根の上に投げ上げておくと、火事にならないといいます。

どんどが終わる頃、各家から奥さんやおばあさんが食べ物を持ってきます。おじさんたちや子どもたちは、それをもらって火で焼きます。お餅を焼くのが普通ですが、子どもたちはみかんを焼きます。変です。でもみんなやってます。食べると意外にもおいしい。なぜかほくほくしてかぼちゃの味がします。

しまった、今日はどんどの話ではなかった。

門松は、そういうわけでどんどのためにも必要です(本末転倒ですが)。先日門松カードの話を書きました。門松が門松カードになってしまうと燃やすネタがなくなります。

しかし、逆に、どんどがすたれてしまった市街地では、門松を燃やす場所がないので、門松カードは便利でいい、と今日、恵那の市街地に住んでいる友達が言っていました。

また、加子母の友人は、40代の人ですが、門松カードは配られていなかったといいます。これについては、今度元加子母村長に聞いてみようと思います。


全国にあるらしい門松カード、そして植樹

2007-01-06 | 山里

門松カードについて、大阪のさいとうこうぞうさんという森林インストラクターの方が以下のようなことを教えてくれました。

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戦後の住宅建築などで木材価格が暴騰し、多くの山林が荒れて、昭和20年代後半には大水害をひきおこす原因となっていた。昭和30年代には植樹運動が盛んになった。門松は年々派手になり、他人の山の松を根元からきる者が横行していたので、門松の廃止運動が起こった。
 昭和30年(1955)に新生活運動協会が設立され、冠婚葬祭の簡素化や虚礼廃止など新しい生活スタイルの全国普及をはかっていた運動の一つとして、昭和32年には、役場で玄関と神棚用に門松を印刷したものを、各戸に配布して代用するようにすすめた。さらに、時代の流れとともに多くの大都市では配布を廃止した。

植樹運動の盛んだった時代には、小学生は音楽の時間に「お山のスギの子」を歌わされ、中学生以上は山に木を植えに行かされたということです。

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全国植樹祭は昭和25年から始まっています。私の周りでは、もう植樹祭はいらない、間伐祭をしろ、という意見が主流です。育樹祭というのもありますが、間伐祭まではいっていないようです。日本の木を使う祭りというのをすればいいですね。

それから、緑化推進と称して、いろんな自治体や団体に苗木を何十本、何百本とプレゼントすることが今も盛んに行われています。これも戦後から植樹運動の盛んだった時代に始まったものであろうと思います。しかし、今、ほとんどの場合、相手の都合も考えず、有無をいわせず贈呈が行われていると思います。もらったほうはどこに植えようか悩み、結果としてどこかの自然林を伐ってそこに植えていたり、森林公園のようなところの絶対育たなさそうな場所に無理やり植えられていたりします。その結果、公園の中には、得体の知らない支柱の列だけが残っていたりするのです。

これにはいろいろな問題があります。一つはもちろん、経費や資源の無駄。それに、景観破壊、植生破壊。

そして、もっとも悪いのは、生物多様性への悪影響です。どこで生産されたかわからない苗木が植えられることで、その地域の遺伝子がそこなわれてしまいます。

そんなことは、森林や植物にかかわるプロはみんな知っているのに、なぜかやめられず、いつまでも続いていく……世の中はそのようになっています。

樹を植えたり苗木をプレゼントすることが無条件にすばらしいことだという風潮は、しっかり日本に根を下ろしてしまっています。


可愛すぎる!まつぼっくりのうた

2007-01-06 | 森林環境教育

まつぼっくり
http://www5f.biglobe.ne.jp/~azuground/pianoise/pianoise.htm#matu

私は、この歌のイラストを書いているうすだひさしさんのファンで、その人のメルマガでこの歌を知りました。詩も曲も絵もいいけど、歌っている子どもの声がとにかくかわいいのです。

こういう子どものつぶやきってほんとに楽しいですね。


門松の写真が印刷された紙

2007-01-05 | 山里

きのうの話とちょっと関連して、今日は門松の話題です。

加入しているメーリングリストで、門松カードの話題が出ました。

愛知県瀬戸市では、門松を印刷した紙が各戸に配布されて、それが利用されているということ。名古屋市にはないということです。

今日はそれについて私が書いた返事を、ここに転載します。

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私の住む中津川市にも代用門松はあります。
12年ほどまえに中津川市に来て、初めてこれを見たときは、正直、笑いました。
でも、多くの家の玄関にこれが貼られているのを見たときは、もっと笑いました。
でも慣れている人には当然のもので少しもおかしくないと思います。

ずっとこれは、新聞店かなにかが配っていると思っていたのです。行政が作っているとは気づきませんでした。
それで、とても興味があったので、市役所に電話して聞いてみたところ、林業振興課が担当で、「門松カード」という名称だということです。
かつては岐阜県が製作して各市町村に無料で配布していたそうです。つまり、岐阜県では全市町村に配られていたということらしいです。県からの配布がなくなったとき、中津川市では市民が当惑するだろうと考え、今は緑化推進協議会の緑の募金の市町村に還元している予算で製作し、市民に配っている。(製作は県がとりまとめて行っている)
市町村合併し、旧中津川市以外の周辺町村で門松カードが不要だと考えられるところ(つまり門松を自分で作っているようなところ)には配布していないということです。

以前に誰かに聞いたところ、これが始まったのは昭和30年代で、当時山の木が少なくなったので、松の伐採をやめてもらうために門松カードが推奨されたということです。
岐阜県の林務関係の方で詳しい方がいらっしゃたら、ぜひ正確なところを教えていただきたいと思います。

愛知県瀬戸市では陶磁器生産のために松がどんどん切られたので、分かる気がしますね。
愛知県森林保全課の知人に聞いてみます。


ところで、私がこの門松カードに感じること……
こんな「代用」じゃなくて、本物を作ればいいのに、
と思うよりも、
ここまでしてまで門松を飾ろうとすることに、感心します。門松を飾るという風習がやめられない、純真さのようなものです。
名古屋の私の生まれ育ったあたりでは門松を見かけた記憶がありません。私の家でも飾っていませんでした。なので、門松カードすら必要とされなかったということもいえます。

話は少しそれますが、日本人の自然や木への愛着は、ほかの代用品にも現れています。
たとえば、家の外装に使うトタンに、木目がプリントされたものがあります。
食品トレーには、経木をまねた木目模様のものがあります。
家の内装用の床に敷くビニールシートにも、板の柄のものや、石の柄のものがあります。(畳の柄のものは見たことがありません)
単なるまがいものと言ってしまえばそれまでですし、そういうものを嫌う人もいますが、私はこの涙ぐましい?努力に、日本人のかわいらしさを感じます。


話を門松カードに戻し、森林インストラクターとしてまじめに考えると、
門松カードは外国の森林資源を使って作っているのですから、今マツなどたくさん生えている日本では、門松カードを廃止するか減らし、少しでも身近なマツで作って飾ってほしいですね。山里のマツを都会の人が買ってくれるといいと思います。
でも今門松カードをやめたら、門松を飾る風習も廃れていくのでしょうか。

それと、今日近くのコンビニ(岐阜県に本社があるタイムリーというところです)に行ったら、門松ポスターが貼られていました。門松カードと色合いがそっくりだったので目が釘付けになってしまいました。

ちなみに、中津川から西の恵那地方にかけては、マツを使わずソヨゴを使うところが多くあります。全国でも、門松に使うのはマツではないところがたくさんあるようです。

 


お正月は何の日?

2007-01-04 | 山里

あけましておめでとうございます。

昨年は、あちこちから受託してやらせていただいたお仕事、森林環境教育や森林ガイドや緑化設計や植生調査のほかに、夕立山森林塾、坂折棚田石積み塾、足助新盛裏山塾と、塾にばっかり通っていた(企画運営側です)1年でした。子どもの頃塾に行ってなかったのでツケが回ってきたのかもしれません。

一時期は美恵橋から飛び降りようかと思うほど忙しかったのですが、突然2つの仕事の納期がドーンと延びたおかげで、今無事に生きています。私から延ばしてと頼んだわけじゃなくて、勝手に向こうから延びていったのです。世の中は結構うまくできていたりします。

(微妙に延びてほしそうな顔はしてたと思います)

さて、お正月について、大都市に住んでいる知人から来たメールの一部と、私の返事を、ちょうどいいので公開して、今年初のブログとします。

●知人から

あけましておめでとうございます。

正月が何故この時期にあるのか、今年ほど考えたことはありません。
都会では季節感がなくなり、どんどん風習がなくなっているのは
自然から遠ざかって恩恵や感謝を忘れてしまっているからなのではとも。

●私から

おめでとうございます。今年もよろしく

日本の本来の新年は、立春。
西洋の新年は、冬至。

でも日本にも冬至を祝うお祭りは結構ありますね?
代表は伊勢湾神島のゲーター祭。
それに奥三河の花祭り。

どうしてお正月をこの時期にやるのか……
もしかしてもしかすると……ヒマだから?
農作業ないし。(新説です)

でもやっぱり、冬至や立春は生まれ変わりの季節だからです。


そして、都会とは逆に、どうして田舎では風習が残っているのでしょうね?
私は中津川に来てまずそのことに感動しました。そんな風習やめたって生活がどうなるというわけでもないのに、今でもこんなふうに、自然や神様とさりげなく当たり前のように一緒に生きている人がいるんだと。そしてそれが、人口的には少なくても、面積的には日本の大部分であること。日本ってまだ捨てたもんじゃないなって。

都会では自然とかかわらなくていいから、感謝しないのも無理ない。
田舎では、感謝するっていうより、パートナーとして仲良くしてるって感じがします。
自然は親しい友達だから、しょっちゅう声をかけてる。
そして、田舎には物質的にも時間的にも精神的にも余裕があるともいえます。
門松だって材料とってくるからお金はかからない。
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以上でした。

さて、今年は本当に暖かく、元日はまるで4月のようでした。オオイヌノフグリがたくさん咲いています。この花は、結構1年中咲いているのですが、やはり今年は多い。外来植物の中には冬でも咲いて勢力を伸ばすひとたちがたくさんいます。セイヨウタンポポもそうです。セイヨウタンポポは他花と受粉しなくても種子をつくるしくみを持っているのですが、オオイヌノフグリはどうなっているのでしょう。冬は種子をつくらないで終わるのか、寒さに強い元気な虫に受粉してもらうのか。

もう一つ、さて。昨年は島旅行に全く行けませんでした。今年は余裕のある人間らしい生活ができるよう、いろいろ調整したい……と思っています。どうしたらそれができるのか考えるのが今の課題です。

山里文化研究所は7日までお休みです。よろしく。