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ショット

見えないものを見る 感じたことを写真と文章でつづる暮らしと自然のフォト日記

知覧の空

2008-05-12 18:22:58 | 鑑賞




青い空 白い雲 まばゆいばかりの木樹の緑 知覧にやってきた 
60数年前もこれと同じ知覧の空を見て特攻隊は飛び立ったのだろうか
自分が犠牲になることで 家族を守る 国を守る 
今こうして平和に暮らしていけるのも この人たちがいたからだと思わずには居られない

知覧特攻平和会館に着いたのは開館時間1時間前だった 周りを歩いた
平和な日本に住み 不満を口にすることのおろかささえ感じてしまう

開館時は人もまばらでじっくり見れた イヤホンガイドを聞きながら館内を観て回った
壁に掲げた戦死した特攻隊員の顔写真 まだあどけなさが残る若い少年達だ 
ケースの中には家族にあてた手紙 文を読み泣けてきた 
今まで育ててくれてたお母さんありがとうとと綴っている

館内は高校生の団体が3組ぐらい入ってきた一般人も大勢居る
語り部が高校生を集めて説明を始めた 後ろでそれを聞いた 
高校生達は身動きもせず語り部の話に聞き入っている 同じ年代の若者だ共感するのだろう

ガラスケースの写真を見ていると 後ろから「そこに写っているのが私です」と言う声がした
振り向くと優しい顔をしたおじいさんが立っていた 特攻隊員だったという
ちょうど明日5月3日は年に1度の特攻隊員の慰霊祭があるそのためにここへ来たと話してくれた

館内は撮影禁止のために外に出て写真を撮らせてもらった
聞くと娘さんが私の隣町に嫁いでいると言う
またこの人が資料や写真を提供してこの会館は出来たらしい 
映画 「ホタル」や「君のためにこそ死ににいく」の脚本はこの人が目を通した

また今月末には静岡のパルシェで講演をやると言う 講演があるのは知っていたが
まさかここで会うとは驚いた 板津忠正初代館長だった

慰霊祭に元特攻隊員でも参加しない人もいる 生きていることを申し訳なく思っているそうだ
板津さんは「ひとりひとりが自分を見つめなおす」ためにこの会館を作った
決して特攻を宣伝するためではないと話した ノート裏に「鎮魂平和」と書いてもらった
下の写真 特攻の母と言われた鳥濱トメさんの横で目をつぶっているのが板津さん
結局ここに5時間くらい滞在したがまだ帰りたい心境ではなかった
静岡県相良町幡豆の鈴木泰治さんが母ミツさんに宛たウナ電も展示してあったので紹介する
「ハハヨリサキニユクスマヌ タイジ」     ・・・・・・きのうへ続く・・・・・・





 

 

知覧特攻平和館売店で買った本より抜粋
岩手県佐藤新平さんの日記

お母さん江
 思えば幼い頃から随分と心配ばかりおかけしましたね。腕白をしたり、又何時も不平ばっかし言ったり。
 眼を閉じると子供のころのことが、不思議な位ありありと頭に浮かんで参ります。
 悪いことなどすると神様に謝らせたり、又幼い頃「今日のよき日をお守りください」「今日のよき日を有難うございました」と毎日拝神のことをやかましく言われたお母さんでございました。
 今日になり本当にあの頃からのお母さんの教育がどんなにか新平の為になった事でしょう。病気で心配をかけたり、又苦学の時も随分と心配をおかけしたり。
 苦学と言えば、家を出発する時、台所でお母さんが涙を流されたのが、東京にいる間中頭に焼きついて、あの頃どんなにかえりたかった事かしれませんでした。
 お母さんの本当の有難味が解ったのは東京へ出てからでした。あれから余り家にいる事もなく、ゆっくりお母さんに親孝行をする機会のなかった事だけ残念です
 軍隊に入ってお母さんにお会いしたのは三度ですね。一度は去年の休暇、二度目は去年の暮れ近く館林まで来ていただいた時、あの時は新平嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。
 態々長い旅をリュクサックを背負って会いに来てくださったお母さんを見、何か言うと涙が出そうで、遂、わざわざ来なくても良かったのに等口では反対のことを言って了ったりして申し訳ありませんでした。
 あの時のお母さんと東京を歩いた思い出は、極楽へ行ってからも、楽しいなつかしい思い出となる事でしょう。
 あの大きな鳥居のあった靖国神社へ今度新平が奉られるのですよ・・・・・。手をつないでお参りしましたね。今度休暇でかえった時も、お母さんは飛んで迎えに出てくださいましたね。
 去年のときもそうでした。


岐阜県大橋治男さん 遺書
 母上様
 お達者でお暮らしの御事と存じ上げます。
 二十八年間は夢のようでした。この二十八年間の母上様の御苦心、御辛抱、肝に銘じて居ります。されば今日の日を勇んで征きます。
 綾子の事に付いては父上様と共に大変お世話になり、今日まで無事に人並みに立って来ました。これも皆父上様、母上様の御力の賜と深く厚く御礼申し上げます。
 綾子の事に関しては母上様今後とも一層御面倒を見てやって下さい。あれも正式なる式も揚げ得ず、常に二人で一度でよいから帰郷したいと申しておりましたが、それは出来ませんでした。
 それ故隣り近所の方々とは未だ親しくして居らず、突然一人ボッチリでは随分苦労すると思います。
 女は女と、綾子のことは母上様くれぐれもよろしくお頼み申し上げ、最後に母上様のご健康をお祈りいたして失礼します  
昭和二十年三月二十一日 
                         治男
御母上様


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10 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (yuko)
2008-05-12 21:03:09
文章を読んだだけで泣けてきます。
今日の夕食時、来月広島へ修学旅行に行く娘が平和公園のどこを観たらいいのか?質問するので、いろいろと教えたばかりです。
それと関連してひめゆりの悲劇と原爆の悲劇についていろいろ説明させられ、その後は息子に、サイパンでの玉砕やバンザイクリフからの身投げについての説明をしました(家族旅行していい勉強になることもありますね)。
どれも悲しいお話ばかり。山水さんが5時間ではたりないという気持ちがよくわかります。
今日の今があるのはそういう時代を生きた人達のおかげですし、けっして過去から目を背けてはならないと思っています。
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Unknown (zenpeichan)
2008-05-12 21:57:49
私の名前は、父の兄二人の名前を一文字ずつとってつけられたんですよ。その伯父さん達の顔も仏壇の上に飾ってある写真でしかしらないのですが。一人は陸軍。もう一人は空軍。沖縄の海で墜落、戦死。そんなことをブログを読みながら思いだしています。
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Unknown (山水)
2008-05-12 22:39:49
yukoさん今晩は
戦争を知らずに育った年代ですが過去におきた事実
その悲しみや悲惨さはしっかりと子供たちに語り伝えなけらばならないと思います 家族旅行でそういう場所を訪れるのは言葉以上の重みがありますね
知覧も毎年訪れたい場所です(気持ちだけでも) 
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Unknown (山水)
2008-05-12 22:52:34
zenpeichanさん今晩は
zenpeichanさんの叔父さん二人も戦死されている事実 遠い昔のことではないですよね なのに
私達の年代は戦争は封印され 平和に暮らしてきました こういう場所であらためて事実を知ると 何といい世の中で暮らしていると実感します 
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Unknown (hana)
2008-05-12 23:10:19
この記事読みながら涙が後から後からこぼれ、直ぐにコメント書けませんでした^^;気を取り直してブログ開けようとしたら、なんと私のパソコンのネットが繋がらなくて焦りました^^;一瞬、料金が口座から引き落としになってないんじゃないかなんて考えたりして(笑)
いったん電源切ったら繋がりホッとしましたがきっとパソコンも特攻隊の記事見て悲しかったのだと思います^^;
ネットが繋がらないだけでこの世の終わりのような気がした私はなんと贅沢な時代に生まれたんでしょうね^^;
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Unknown (山水)
2008-05-13 00:00:27
hanaさん今晩は
ネットのトラブルあせりますよね 回復して良かったですね 
うちの娘がhanaさんのあのアジサイおじさんの記事読んだようです しきりに感動したと言っていました
私もhanaさんのように上手に書けるともっと伝わるのですが・・・
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Unknown (Unknown)
2008-05-13 09:25:58
「犠牲」という理性で「生きたい」という本能を押し殺す。この尊さを誰もが肝に銘じる必要がある。
子供たちは、そういう大人を見て感じ覚える。
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Unknown (山水)
2008-05-13 17:14:04
@さんコメントありがとうございます
おっしゃる通りかもしれません
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Unknown (美和)
2012-08-30 19:52:14
この日記を書かれたのがもう四年前のものだとわかりながらコメントさせて頂きます。

わたしは24歳で、かつて特攻で散った方達とかわらない年齢です。恥ずかしながら今の今まで過去の日本の歴史をちゃんと勉強するどころか、知ろうともしていませんでした。それが24歳になった今、引き込まれるように戦記本に没頭し特攻隊のことを深く知ることになりました。未来ある青年たちが、親からもらったたったひとつの命を犠牲にしてまで守りたかったもの。到底こんな平和ぼけした現代人のわたしには計り知れない心情と葛藤があったでしょう。心が痛く涙無しにはいられません。彼ら軍神たちが残してくれた未来に生きるわたしたちは、見つめ直さなければいけないことが山ほどありますね。長々と失礼致しました。
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Unknown (山水)
2012-08-30 21:13:41
美和さんコメントありがとうございます
現代の人なら「私はいかない」と断る人もいるかと思いますが
時代の教育はそういう人を許さなかったのでしょう
恐ろしいような気もしますが そういった現実を若い人が知ることは良いことですね
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