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「日劇レビューの終焉はサラリーマン的首脳部が悪い!?」50へえ!

2009年11月07日 | レヴューのトリビア
「日劇レビューの終焉はサラリーマン的首脳部が悪い!?」50へえ!

日劇レビュー史 ―日劇ダンシングチーム栄光の50年」(三一書房/橋本与志夫)より

※この本の装丁は、日本レビュー衣装界の第一人者「真野誠二」さんによるものだそうです。

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 実際のところ、何が悪いかというのはねえ・・・。わかんないですよねえ・・・。けど、この本には、「首脳批判」と取れる記述が幾度も出てきます。日劇末期のイマイチな戦略やイマイチなレビューは、「サラリーマン的」な東宝首脳部と現場が噛み合わなかったことも原因ではないか、と。

「東宝首脳部がもっとしっかりしていれば・・・」
「秦豊吉が設立したNDTの精神を忘れずにいれば・・・」


 NDTを観劇したことすらないわたしには、判断できないですが、言いたくなる気持ちはわかる。本を読んでみると、末期は想像以上にグダグダだもんねえ・・・。

 阪急東宝グループだから、もうすこし「伝統とレビューを大切に」してくれてるかと思ってましたよ。ベルばらでヒットを叩きだしたタカラヅカが例外だったんだね・・・。ベルばらがなかったら、タカラヅカも危なかったんじゃあ。
(無くなったとは思いません。阪急の神様、一三の息がかかった劇団だから、なくしたとは思わないけど、ベルばらでの盛り返しがなければ、「規模縮小」や「レビュー放棄」はあったかもしれないね。特に金食い虫の「レビュー」放棄・・・ありそう!おそろしやおそろしや!植田しんじ先生ありがとうー!)

 では、今日はオマケとしてNDTがミュージカル路線になるときの東宝からの発表文を読んでみようと思います。この日劇本に載ってるのを引用です。発表は昭和52年4月1日。

 「レビューからミュージカルへ! 日劇の公演形態転換について」

 日劇では昭和26年3月、第一回「春のおどり」を開幕して以来「夏のおどり」「秋のおどり」のタイトルのもとに、年三回グランド・レビューを定期公演し、有楽町名物として多くのファンから親しまれてきました。これらは何れも、日劇ダンシング・チームを主軸に、それぞれ時代の要望をいち早く先取りした構成によって、あまたの傑作シーンやスターを生み出してきたものです。しかしながら、近年、世界的な風潮としてのレビューの衰退は我が国に於いても例外でなく、これを打開しようと様々苦心してまいりましたが、スタッフや出演者の努力にもかかわらず、必ずしも満足すべき好結果を生んだとは言えません。ここに於いて、私どもは現状を厳しく受け止めた上で、更に新しい飛躍をめざすために、前記〝三大おどり〟公演形態を再検討し、根本的な方向転換を図る時機に至ったと判断した訳であります。そのため、しばらくの期間、レビューの上演を見合わせ、今後の企画の中心をミュージカルに置くことにいたしました。具体的なプランとしては、6月に木の実ナナ主演の「踊る幽霊船」、8月に岡崎友紀主演による作品を、そして11月には、現在ブロードウェイで大ヒットを続けている傑作ミュージカル「グリース」の上演を予定しております。これと同時に、日劇ダンシング・チームも従来の本質から脱皮し、踊り、唄のみならず、総合的な演技力を身につけた〝オール・ラウンダー・プレーヤー〟のミュージカル集団として、日劇を本拠に各東宝舞台縦横の活躍が可能なチームをめざして積極的な発展を念願しています。尚、本年度は団員の新規募集をひかえ、現在員に対するより一層の質の充実を図るためのレッスンに専念する方針ですが、その一応の成果をみた上で、将来新たなる団員を求めることといたします。レビューからミュージカルへ・・・・・・、日劇および同ダンシング・チームの新しい積極的な転換に際して、平素NDTを御支援いただいている各位の、十二分なご理解ならびにご協力をお願い申し上げる次第でございます。


 昭和52年4月1日 東宝株式会社 専務取締役 雨宮恒之

 これを読んだNDTのファンが、どんな気持ちだったか、察して余りあります。
「これと同時に、日劇ダンシング・チームも従来の本質から脱皮し、踊り、唄のみならず、総合的な演技力を身につけた〝オール・ラウンダー・プレーヤー〟のミュージカル集団として、日劇を本拠に各東宝舞台縦横の活躍が可能なチームをめざして積極的な発展を念願しています。」
って書いてるってことは、本質がレビュー劇団だってこと、よくよくわかってるんじゃんねえっ。

 NDT劇団員たちは、「NDTだけのレビュー公演を年一回はつくってほしい」とか、「ミュージカルでもなるべく踊りを多く」とか、要望書を出したようですが、首脳部の回答は「当分はとにかく、レビューはムリ」だったそうです。

 SKDの解散は平成8年だから、NDTはずいぶんと早い「脱落」だったということですね。(SKDは「浅草名物」というポジションで開き直った、という事情もあるようですが。浅草名物としての少々の「見物客」の入りが見込めたんですね。) 
 
 レビュー中止の発表が出てから、竜居竹之介さん(橋本さん同様、レビューに強い愛情を持つレビューファンだったそうです)という元日刊スポーツの記者さんが「NDT問題に寄せて」として、以下のような文章を発表されたそうです。日劇レビュー史の著者である橋本さんが、おおいに共感するとして、この本で紹介しているものです。

 日劇のレビューが消えるという。東宝側は、しばらくお休みいただくので、決してやめてしまうのではない、といっている。その間NDTメンバーは、日劇で公演するミュージカルなどに出て頑張って貰うのだそうだ。ステージショーのダンサーから、ミュージカルタレントへの昇格でもするかのような雰囲気である。しかし、一見親切心ふうの会社首脳部の言葉とは逆に、第三者の眼には、まずい撤退作戦というか、態のいいレビュー抹消策としかうつらない。レビューは客が呼べない、客が来ないから人気がない、人気が出ないから入団社も集まらない、人出不足だから華やかなステージが創れない、ぱッとしない作品が続くから客が来ないーーー確かに一つ悪く考えたら、日劇のレビューほどないないづくしもないものだ。けれどもちょっと待って欲しい。こんなことは昔からいわれ続けてきたことである。しかし、その度に東宝という会社は、一度だって真剣に対策を講じたことがあるというのだろうか。いつもズルズルと次の公演を開けることしか考えていなかったではないか。

(中略)

 ミュージカルへの転向という案も、東宝にしてみたら、おだて上げの切換え策のつもりだったのかも知れない。しかし現在のミュージカルの中で、最も恵まれないのがダンサーであることは、会社のお偉方以上に当のダンサーの方が百も承知なのだ。主役が虚名ばかりの若手歌手であり、脇役がロートルのスターで占められ、その面への進出の可能性が先ず無いことも・・・。現在のNDTが、レビューの、それも大踊りを対象とした集団であることは誰しもが認めるところだ。基本的にもまったくミュージカル・タレントへの全員移行など無理もいいところである。レビューを棚上げする前に、ないないづくしの中でレビューの可能性を考えることが先決ではないのだろうか。年に一回でもやってみようという姿勢もないことは、所詮雑誌でいえば休刊の名のもとに廃刊するのと同じことだ。まアサヨナラ公演を行わないということは、皮肉な目でみれば、やっぱり再開したいのだという暗示でもあろうか。ともあれ、このままNDTが、そして大踊りが消滅したら、それは世界的なレビュー衰退現象が原因とは決して思えない。やはり生みの親であった東宝が、愛児を自らの手で葬り去ったのだとしか言いようがないのである

   ※掲載は日刊スポーツのようですが、掲載月日は書いてないので不明
   ※下線は生意気娘Kによる

 ものっすごく、いろんなことを考えさせられる文じゃないですか?
 まあ、ミュージカルの主役が「虚名ばかりの」云々のあたりは、レビューファンの逆恨みってヤツで、気持ちはわかるけど、完全な同意はいたしかねますね・・・。

 態のいいレビュー抹消策、というのは、その通りだと思いますよ。東宝としても、レビューは赤字続きで、(経営者としては)早くヤメたかったんじゃないかなぁ・・・。

 まあ、そりゃもちろん、戦略や作品のマズさというのは、あるでしょう。
 しかしけっきょくね・・・。「レビューファン」という人種が日本中(あるいは芸能業界において)激減したことがいちばん原因ですよねぇ。昭和50年代になると、レビューという形態に愛情を持っている人(レビュー支持者)が、業界内にも東宝内にも少なくなった、と。レビューというモノをわかってる人が、どんどん減っている!というのが、レビュー衰退に拍車をかけたんじゃないのかなあ。理由はいろいろあると思います。娯楽の多様化(機器さえあれば無料で見られるテレビの登場)もそうだし、時代がストーリーのあるものに移っていったこともそうだし。

 レビューって、ミュージカルや歌劇以上に「技術と愛情」が占める割合が多いんじゃないかな・・・と思うわけですよ。ストーリーがあれば、それをヒット作から借りてきたりするだけで、華をつけたり、話題を作ったりできるけども、レビューにはソレがないわけだから・・・。曲の始まりがどうだとか、あそこのテンポがグッと来るだとか、そういうのって感覚的なノウハウですよね。それを継承できなかった・・・。(上層部の企画力を含めて)レビューを創る、という技術が、発展進化どころか存在を守るのに精一杯で、衰退の一途だったというね・・・。

 で、やった積極策が、お金をかけて海外のレビュー団から踊り子を呼ぶとか、ブロードウェイミュージカルをやる、とかね。「海外直輸入だぞスゴイだろう、どうだどうだ!」的なやり方は、昭和50年だと既に通用しないですよね。情報技術が発達して、海外情報がバンバン入ってくるし、海外はどんどん身近になっていったから。外国から踊り子が来て、すごいすごいと大盛況だったのって、東宝経営になる前の日本劇場がマーカス・ショウを呼んで当たって・・・って半世紀も昔のことですよ。レビューを海外からの輸入文化(輸入=すごい)という認識でいること自体が、古かったんだろうなあ。

 竜居さんのおっしゃる「レビューを棚上げする前に、ないないづくしの中でレビューの可能性を考えることが先決ではないのだろうか」は、まったく正しいと思いますが、それをやるだけの底力が、レビューという業界自体に、もう残っていなかったんだなあ・・・。(まあ、わたしも含めて、外野はアレコレ言うだけで気楽な立場ですが、創る側はいろんな制約があるしタイヘンだよね・・・)
 わたしが思う「底力」というのは、ある程度の数のことです。レビューを創りたい、と志す人(企画者、現場、上層部ふくめて)の絶対数です。かんたんに言うと、レビューに対して野心を持つ若いレビュー作家志望が少ない!ということですよ。

 まー、レビューってお金かかるし、野心があっても予算がなかったらどうにもならんわけで・・・。そのあたり、どうにもこうにも・・・。身勝手に「レビュー作家を増やしさえすればいいんだよ」とも叫べないのがツライところです。

 まあ、とにかくこうして日劇レビューの灯は消えてしまった・・・。
 いまのわたしたちにできることは、今あるレビューの灯を守ることですよね。
  
 レビューファンを含むレビュー業界におきましては(?)、レビューの伝統を守るだけじゃなくて、2009年に必要とされる、現代人が楽しめるレビューはどんなものか、未来型レビューってどんなものなの?っていうことを、夢想や空想でもいいから、すこしずつ考えていくことが重要だとわたしは思います。実現できなくてもね、そういう前向きな空想が、何かにつながると思うんですよね、うまくいえないけど。伝統芸能として、オーソドックスなものを残していくことも、もちろん大事だと思うんですけどね。

 これからも若いレビュー作家が育っていきますように。タカラヅカも、若手演出家には芝居の作家は多くても、レビュー作家志望らしき人がなかなか少なそうなので気をもんでるんですよ。タカラヅカの藤井先生とか、(退団したけど)荻田先生なんかは、そこらへんをすごく意識して考えてレビューを創ってくれてるな、という気がする。藤井先生は、若手で唯一、グランド・レビューを創る実力がある作家だと思いますよ。ぜひ予算をつけてもらって、いちど派手な作品をお願いしたいです。タカラヅカ100周年の折りにでも、どうですか劇団様ーーー!?

 なんかとりとめなく書き散らしましたが・・・。わたしは今から結婚パーティに行くので、とりあえずUPします。あとで読み直して気になる部分は加筆修正するかも。イキオイで書いてしまった。

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4 コメント

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松竹の体質も透けて見えます。 (ちどり)
2009-11-07 22:25:37
NDTがミュージカル化宣言してたんですねえ。SKDのミュージカル化宣言って1988年3月ですよ。全くのヒト真似じゃないですか。根源的には少女歌劇作ったのも真似からですよね。松竹楽劇団、松竹少女歌劇団、大阪松竹少女歌劇団のグラフ誌「フットライト」ってのを持っているんですが、創刊号がNDTのグラフ誌の創刊号のすぐあとに出されているんですよね・・・・。1938年ですけど。なんか発想にオリジナリティってものがないんですよね、松竹って。結果的にターキーとか、松竹レビューとか、個性のあるものが生まれてきたんですけどね。うーん・・。「松竹派」としても考えさせられる記事ですわ。
おお、レビューの灯よ (ともきち)
2009-11-08 21:47:06
本日、OSK日本歌劇団武生公演千穐楽を観劇してまいりました。
台風で一日だけ閉鎖になった以外は、新型インフルエンザの影響もそれほどなく、
劇団員さんの休演もなく、無事に公演の終了を見届けることができて、本当に嬉しいです。

・・・てことで、私もイキオイで書かせていただきます。

いやぁ
わたし的に、なんちゅうタイムリーな記事のUPなのっ! 
Kさま、ありがとー <(_ _)>

そこのおエライさん達、聞いて頂戴!
サラリーマン仕事じゃなくって、文化なのよ、文化っ!
(ちなみに本日は、越前市長さんや役所関係の方々が招待席にてご観劇でした)

レビューとミュージカルは別モノなのです。
出演者総出で、早代わりにつぐ早代わり。
これでもかこれでもかと歌い踊り、目の覚めるようなスピーディーな群舞
これぞレビュー!!!

少女歌劇は、日本が世界に誇れる伝統芸能だと思っています。
優秀なレビュー集団が、伝統を受け継ぎ、且つ、次世代に向けて新しい風を吹かせて欲しいです。
作家をはじめとするスタッフ、出演者各位、今ならまだ優れた技術を持つ人材がいます。
タカラヅカや松竹などの畑を超え、レビューの灯を絶やさないよう、研鑽して欲しいし、
(我々ファンも含めて)携わっている人々が、レビューを知らない人々に、
いったいどうすれば、劇場に足を運んでもらうことができるか、
こんなに素晴らしい、ステキなレビュー、
こんなに血沸き、アツくなる生の舞台を、
「観たい!」
と思わせる娯楽として維持するためには何が必要か
・・・そんなことを考えながら公演を観ておりました。

うーん、、、
私にも具体的な案はございませんし、現実問題(特に金と集客)は厳しいです。
でも、でもね、(これまたイキオイで書いちゃうんですけど)
レビューに対する愛と希望は持ち続けたいのです。
ちどりさまへ♪ (なまいきむすめK)
2009-11-11 21:37:21
東宝があるとはいえ、タカラヅカは関西の劇団だし、よく考えたら東京のレビュー劇団として、NDTこそSKDの直接のライバルだったのかもしれませんねえ。

>なんか発想にオリジナリティってものがないんですよね、松竹って。
>結果的にターキーとか、松竹レビューとか、個性のあるものが生まれてきたんですけどね。うーん・・。

まあ、文化の類って何事も真似から始まるもんですしね~。
しかし「ミュージカル転向」はどっちかっていうと、NDTの失敗を「反面教師」にできなかったんですかねえ。
NDTミュージカルうまくいってないのに・・・そこは真似するとヤバイぞーっ!とタイムスリップして1988年の東京で叫びたいです。
ともきちさまへ♪ (なまいきむすめK)
2009-11-11 22:09:23
武生公演の千秋楽おめでとうございました♪

>作家をはじめとするスタッフ、出演者各位、今ならまだ優れた技術を持つ人材がいます。

いちど灯が消えてしまったら、もう点火されることはないわけですから・・・。
残っている小さな灯火、ほんとうに大事にしなくてわ!!
世界的にみても、いまだにこんなにちゃんと「レビュー」を創ってる(そして、そこに固定のレビューファンがいる!)のは、今じゃ日本の少女歌劇だけなのでは??
すごいことだと思います。

>(我々ファンも含めて)携わっている人々が、レビューを知らない人々に、
>いったいどうすれば、劇場に足を運んでもらうことができるか、
>こんなに素晴らしい、ステキなレビュー、こんなに血沸き、アツくなる生の舞台を、
「観たい!」
>と思わせる娯楽として維持するためには何が必要か

まさにまさにっ。
・・・まあ隆盛しているジャンルだったら、ファンはドーンと構えてノホホンと見に行くだけでいいと思うんですけど・・・。
なにしろ衰退が激しい分野なので、ファンも戦力(?)に入って頑張らないとっ!と思って、わたしも敢えて「レビューファンも含むレビュー業界」と書かせていただきました。

>現実問題(特に金と集客)は厳しいです。

ここがいちばん難しい(泣)
わたしも、エラソーなことを書いてはおりますが、なんかできるのかっていうと、全然そんな知恵もチカラもお金も無いんですけど(大泣)

とりあえずウルサ型のレビューオタクとして、しつこくレビューを絶賛しつづけてみようと思います。

あと、わたしがずっと思っているのは、TVの歌謡ショーや歌手ステージに残っているレビュー時代の舞台芸能の香りの名残を、どうにか「レビュー」という言葉にふたたび結晶できないか・・・ということです。
(ちょっと抽象的ですよね・・・)
レビューと意識されてなくても、レビューっぽいものって、いっぱい残っているじゃないですか。
ああいうのをねえ、「あれはレビューだ!」と叫んで皆様にレビューの存在を意識していただけないものかと・・・。
なにしろ「レビュー」というジャンルがあることすら、世間では認知されてないような気がいたします。

「レビュー マツケンサンバ」のDVDを持ってるんですが、あれはレビューとしては作りが甘くって・・・ぶつぶつ。
(一般の方への)レビュー普及アイテムになるのでは!?と、ワクワクしながら見たんですけどねえ~・・・・

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