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「小林一三は、栄転のはずの東京で左遷の憂き目にあったらしい」 57へえ!

2007年01月20日 | レヴューのトリビア


「小林一三は、栄転のはずの東京で左遷の憂き目にあったらしい」
 57へえ!

日本財界人物全集第5巻 小林一三」(三宅晴輝/東洋書館)より

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 三井銀行で、東京深川支店に所属する倉庫を分離して「三井銀行箱崎支店」とし、独立の支店とすることになったそーな。一三はココの主任に内定。主任になると、一挙に百円昇給(当時の百円だから、けっこうな昇給でせう)になるってことで、「これぁ、おれにも運が向いてきたぞ」と、喜びいさんで上京したそうです。一三、29歳です。

 東京の三井銀行本店に出勤すると、秘書課長は「おめでとう」って言って、辞令を見せてくれたらしい。「(辞令は)明日渡すから」って言われて、一三は親戚の家に泊まり、翌朝、新聞を見ていたら・・・

 一三がつくはずだったポストに、高津ってゆーヒトが決まったと報道が!!

 寝耳に水とは、このことです。
 まあしかし、何かの間違いかもしれん。
 一三は出勤して、昨日の秘書課長のトコロに行きました。

秘書課長:「どういうわけか、
昨日のうちにスッカリ様子が変って、君は次席になった。主任は高津くんだ」

 と、気の毒そう~に言うのですな。

 一三は超ガッカリしました。「大阪の友達に会わす顔がない」と嘆きました。が、嘆いたところでどうなるもんでもありませぬ。

 このときの落胆ぶりはスゴかったらしーです。

 この箱崎倉庫主任になりそこなったときの、小林の落胆ぶりを見てもわかるように、小林は嬉しいときは率直に喜び、悲しいときは率直に悲しむ男である。喜怒哀楽をハラにおさめて、顔色にださないという、いわゆる東洋型の豪傑型ではない。実業家のなかには、若年のころからそういう大人然たる態度でおしとおしてきた人もあるけれども、小林、とくに青年血気のころの小林は、そういう型の人物ではなかった。そういう点を凡人というならば、小林はまさに凡人だといってよい。

 まーなんか、フォローはしてあるけど、ワガママで子供っぽいところがあるってことですよねえ・・・。

 けっきょく、一夜にして昇進がフイになった理由は、謎のままらしい。

 まったく予期に反して次席に落され、しかも今まで名前をきいたこともない高津主任の下で次席を勤めることは、小林のような「我がまま」な男の堪えうることではなかった。小林は快々として楽しまなかったが、一年あまりすると、小林は高津主任から追い出されて、本店の調査課に左遷された。

 あーあー。ほらほら~、「我がまま」ってハッキリ書かれちゃってるよ。
 追い出されたって・・・きっと、「なんでオレが次席なんだよっ!」って、顔に書いてあったんじゃないですかぁ?(想像)

 一三にとっては、「失意と不遇の」時代が続きます。もう出世はできそうにないなあ、会社ヤメよっかなあ、でもまあ給料いいし、踏ん切りつかないな~みたいな数年が過ぎ。

 またしても一三に転職のチャンスが!
 ところがコレもまた、ダメになってしまうんですよ。とゆー話はまた次回。

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