山川草一郎ブログ

保守系無党派・山川草一郎の時事評論です。主に日本外交論、二大政党制論、メディア論などを扱ってます。

言論の産学連携

2005年05月15日 | メディア論
大学時代、法学部で政治学を専攻した。我が母校では、政治学というのは数ある社会科学系学問の中で最も人気のない部類に属していた。学生の人気がない理由は単純で、有利な就職口がないからだ。

医者を目指すなら医学部、法曹界を目指す人は法学部、ビジネスマンになるなら経済学(経営学)部と、将来の目標をイメージしやすい学問は人気を集めやすい。それに比べて、こと文学と政治学に関しては、小説家か政治家になる以外に役立つ学問とは思われていない。私が属した政治学科はといえば、体育会かモラトリアム学生の巣窟のような評価を受けていた。

しかしながら、よくよく考えてみると、大学の政治学科や大学院の政治学専攻は、日本の政策決定を研究する数少ない機関のはずだ。「政治」を研究対象とした学徒に魅力的な就職口が用意されていないことは、この国にとって大きな損失ではないか。

ヨーロッパの影響を受けた我が国の高等教育は、学問を、実社会から乖離した普遍的な真理を導き出す作業のように位置づけてきた。そこへ戦後になって「学問とは、人類の進歩を助け、社会をより幸福にするもの」という米国流の概念が入ってきた。最近は、理工系分野では「産官学の連携」がいわれるようになったが、政治学に関してはいまだ「象牙の塔」にこもったままである。

大学での学問は「基礎研究」に重点が置かれる。「実学」とされる理系分野でも、大学で「昆虫の生態」や「エンジンの原理」を学んだ経験が、企業の研究所に就職した後もそのまま役立つわけではなかろう。とはいえ、そうした学問的素養を身に着けた者は、そうでない者に比べて、実社会での「応用力」に一日の長が認められることもまた事実だ。

同じように、大学で教えられる政治学は「机上の空論」であって一見して「無意味」ではあるが、それはしょせん「基礎研究」なのであって、その中からそれぞれの学生が「理論」を導き出し、就職後の職業に「応用」すべきものなのではないか。職業として想定されるのは、政治家や公務員、シンクタンク、そして言論機関である。

そうした視点に立ったとき、日本の政治学の現場で、ややもすれば基礎科学である「政治史」分野よりも、応用科学である「政治理論」の方が重視され、格上のように扱われていることが不思議に思えてくる。たいていの場合、理論研究と称するものは外国からの輸入学問である。

輸入が悪いとは言わないが、米国産の政治理論は、米国の国益を増進する目的で、米国を中心とする政治史を研究する中で編み出されたものである。それは米国の政治を理解するには役立つが、日本独特の政治現象を分析するには充分でない。

日本の国益を考え、日本の針路に示唆を与える学問を育てるには、日本の政治が歩んだ形跡を徹底的に研究する「基礎学問」が何より重要である。がん細胞に関する基礎研究がなければ、がん予防という応用医学は生まれないように、先の大戦に至った政治過程に関する研究は、将来の戦争を未然に防ぐための基礎となる。国家財政の成り立ちを知ってこそ、はじめて財政健全化の具体論は生まれてくるのだ。

にもかかわらず、日本の政治学界において、歴史研究は人文科学の領域にとどまり、近現代史に関する社会科学的アプローチは極めて貧弱であるように思える。

原因の一つは「史料的制約」である。官公庁が公文書の公開に消極的なため、長く戦前日本政治史の研究は、東京裁判に証拠として提出された文書を参考にせざるを得なかったのだ。無論、それらは敗戦国・日本を有罪にするための資料であることは言うまでもない。また、戦後日本政治の研究に関しても、未公開史料が多すぎるため、主に米国の公文書に頼っているのが現状だ。

日本の政治史研究が貧弱である、もう一つの原因は、研究成果を体系的に理論化するアウトプット・システムが存在しないことにある。政治学界が縦割りで、政治史研究者と政治理論研究者との共同作業がほとんど皆無であることもあるが、それ以上に、研究成果を実社会に生かそうとという発想がないために、研究が研究のままで完結してしまっていることが大きい。

政治史の基礎研究を実社会に生かすとはどういうことか。それは、過去の経験を踏まえて、今後の日本はどうあるべきか、どこへ向かうべきかという「国の針路」を指し示すことであり、シンクタンクや言論機関による提言作業がこれにあたる。

私はこれを「言論の産学連携」と呼んでいるのだが、残念ながら日本では、アカデミズムはジャーナリズムを「軽薄」と見下し、ジャーナリズムの方もアカデミズムを「難解」と倦厭する傾向があるため、せっかくの基礎研究も「言論」という商品開発に応用されずに、紀要の中で眠り続ける運命にある。これは不幸なことだ。

米国では、政治学者が国家の外交方針や安全保障政策に積極的に寄与する伝統がある。最近亡くなったジョージ・F・ケナンは共産圏に対する「封じ込め理論」を考案したことで知られるが、彼の著作を読めば、太平洋戦争に至る米国とアジアの関係性などについて、いかに深く洞察していたかが分かる。そうした基礎研究のもとに編み出された封じ込め理論は、論文としてジャーナリズムで紹介され、国家の政策に採用されたのである。

アカデミズムとジャーナリズムとの交流という意味では、日本では「中央公論」などの総合雑誌がその伝統を担ってきた。新聞でも産経は「正論」という欄を設け、各界のオピニオンリーダーが寄稿する機会を提供している。ただし、著名な一流の政治学者が理論を戦わせたかつての面影は今はなく、やや生臭いといっては失礼だが、タレント的な学者、評論家の私見の域を出ていない気がする。

さかのぼれば、戦前の日本には「時事新報」という硬派な政治論を売りにした新聞があった。福沢諭吉が創刊したことで知られ、一時期は三田山上の慶応義塾構内に本社を置いた。その時事新報で昭和初期に社長として主筆を執った板倉卓造は政治学者でもあり、慶大で教鞭を執りながら、理論の実践を目指して社論を執筆していた。文字通りの「産学連携」である。

無論、当時は新聞社の資本・経営・編集が明確には分離されていなかった時代である。政論を掲げる大新聞の流れを汲む新聞社では、売れっ子記者をヘッドハンティングして社論を書かせるなど、「横」の流動性も高かった。近代化され、「縦」の人事システムが整備された今の新聞社で、同じことをするのは困難かも知れない。

ただ、事件取材や政治取材で手柄を上げた記者が出世し、やがて論説記事や社説を担当するという今の人事制度が妥当かどうかは、もう一度検討されてしかるべきではないか。取材の最前線でネタをとってくる才能(報道分野)と、基礎研究の素養をもとに社会の問題を明らかにし、国家の進むべき道を語る才能(言論分野)は、おのずと異なって当然だからだ。

最近は、記者から大学教授に転身するケースは珍しくなくなったが、逆に研究者が新聞の社論を執筆することもあっていいのではないか。「社外論説委員」のような制度ができればベストだが、せめて解説、論説を担当する記者は、一般記者職とは別枠とし、大学や大学院で基礎研究を学んだ者を積極的に採用してほしいと思う。

そうすれば、アカデミズムの果実である最新の政治理論、経済理論を、「言論」という形で、現実の政治経済に還元することも可能になるだろう。同時に、現在のマスコミに対する市民の不信感や軽蔑は、いくらか解消に向かうかも知れないと思うのだが、どうだろう。
(了)










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1 コメント

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ブログ版時事新報 (山川草一郎)
2005-05-16 18:32:16
時事新報の復刊は慶応大関係者の悲願と聞いたことがあるが、紙媒体としての新規参入は実際には不可能に近いだろう。あるいは大学がニュース解説ブログを開設し、通信社・新聞社が配信するストレート記事に解説、論説を付ける試みがあれば面白いかも知れない。政治学や経済学、先端科学の専門家、大学院生に記事を書いてもらい、大学から薄謝を出す。ブログ版時事新報である。願わくば産経新聞社から休眠中の題号を譲り受けて本格的に…。
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