山川草一郎ブログ

保守系無党派・山川草一郎の時事評論です。主に日本外交論、二大政党制論、メディア論などを扱ってます。

国連安保理常任理入りをあきらめよう

2006年05月08日 | 日本の外交
小沢一郎氏の民主党代表就任で再び注目を集めそうなのが、氏のかねての持論である「国連待機部隊」構想だ。自衛隊とは別に、国際平和協力のための常設部隊を創設し、国連決議を条件に国連の指揮の下で軍事力を行使する。日本国憲法が禁じる「国権の発動たる戦争」とは明確に分離することで、周辺国の警戒を説く、というものだ。

東西冷戦が終結し、イラクのクウェート侵攻に対して、米ソを含む国際社会が一致協力して多国籍軍を編成した当時に考案されたものだ。しかし、2001年の9・11テロ事件後は、米国が単独行動主義の傾向を強めて露仏中独など大国と対立。イラク戦争では、国連の国際紛争処理手続きを十分に踏むことなく攻撃を開始してしまった。

米国一極化が進む中で、小沢氏の構想は「机上の空論」と退けられがちだが(実際、私も何度かそう主張してきた)、最近になって、その構想が持つ意味を、現在の国際情勢の中で改めて検討してみたいと思うようになった。

直接の動機は、昨年の国連安保理改革の失敗である。安保理常任理事国入りに名乗りを挙げた日本政府の動きを、中国は猛烈な反対運動で阻止した。率直に言って、最近の日中関係の悪化は、この「国連事件」がほとんどの原因とみていいと思う。

小泉首相は5年前から毎年、靖国参拝を続けているのである。その都度、中国政府は抗議してきたが、今のように対話を閉ざすようなことはなかった。中国の態度が硬化したのは、昨年4月の大規模な反日暴動以来であり、暴動が起きた本当の理由は首相の靖国参拝でなく「入常」。すなわち、常任理事国に入ろうとした日本政府の行動にあった。

とりわけ、アナン事務総長が安保理改革に関して「アジアの1席は当然、日本に行く」と明言したことが、全世界の中華民族の感情に火をつけた。靖国参拝は日本に責任を転嫁するための都合の良い口実として利用されているに過ぎない。韓国も事情は同じで、こちらは領土問題がシンボルになっている。

「任期中は歴史問題を外交上の争点にはしない」と語っていたノ・ムヒョン大統領が、対日態度を硬化させたのも、日本が常任理入りの活動を本格化させてからのことだ。正直に言って、昨今の竹島(独島)問題をめぐる衝突が、日本政府の挑発によるものだという韓国側の言説は、理解しがたい。他国が実効支配していようと、建前上、領有権を主張するのは外交当局の通常業務であって、そのこと自体を「挑発」と呼ぶのなら、世界は挑発的な無法国家であふれている。

竹島問題に関する韓国側の反応も、ある一定水準以上は「国策」によるものと考えたほうが、素直に理解できる。竹島は「日本の国連安保理常任理入り阻止」という国家目標を達成するためのカードになっている。どんな国家でも隣国が安全保障上の特権を持つ政治大国になるのは、無条件にお断りだろう。まして、その隣国が、過去の侵略者ならなおさらだ。中韓両国の反発は、理屈ではないのだ。

しかし、反対するには「なぜ日本が安保理常任理事国にふさわしくないか」を国際社会に説明する必要がある。それが中国にとっての「靖国」であり、韓国にとっての「竹島」なのだ。

(誤解のないように付け足すと、国連とは無関係に、日本の首相の靖国参拝に怒り、竹島領有の主張に反発する世論が両国にあることは事実である。それは小泉首相の就任以来、あるいはそのずっと以前からくすぶり続けているのだが、それだけで日本との対話を拒否するという反応は考えにくい。ここで問題にしているのは、国民感情の水準を超えた“国家レベルの”反応のことである)

言うまでもなく、国連安保理常任理事国は、第2次世界大戦の戦勝国サロンである。だから、敗戦国である日本が、常任理入りに意欲を示すことは、「侵略と敗戦という過去の歴史を否定する重大な挑戦」と受け止められる。

実際は、そうした事情以前に、そもそも地域のパワーバランスが変わりかねないような新規参入を、周辺国が歓迎するはずがないのだが、それはともかく、国連という組織が第2次世界大戦と密接に関係している以上、「安保理改革」は「歴史」に直結してしまう宿命を負っている。

仮に小泉氏の次の首相が靖国参拝を中止し、韓国による竹島実効支配強化を座視したとしても、日本が国連安保理常任理入りの野望を捨てない限り、中韓両国の反対運動は終息しないだろう。

「国連」が「歴史」と結び付いているから、常任理入りを目指す日本の動きを、中韓両国が日本の「歴史認識」に絡めて論じる。「靖国」や「竹島」がその証拠とされ、日本との対話を拒否し、日本側に全責任が転嫁される。結果として「アジアで孤立する日本」という構図が欧米に流布されて、国際社会における日本の影響力の低下を招いている。

だとすれば、この悪循環を解くために、日本は潔く常任理入りをあきらめるべきではないだろうか。そもそも、米国が国連軽視の傾向を強めている以上、日本が安保理常任理に入っても出来ることが限られている。「米国の票が1つ増えるだけ」と揶揄されるのも、もっともだ。

イラク戦争で機能不全を露呈した国連安保理に、敢えて中韓両国との摩擦を引き起こしてまで、積極関与する必要性がどれほどあるのだろうか。外務省が安保理常任理入りを見据えたのは、冷戦が終わった10数年前のことだ。先に書いたとおり、当時はようやく米ソ対立を乗り越えて国連が正常に機能し始めた時期だった。小沢氏の国連待機部隊構想も、そうした時代背景を意識したものだった。

しかし、10年を経て国連を取り巻く状況は変わった。米国一極化が進む中で、国連安保理の果たすべき役割は非常に制約されている。デメリットが少なければ入るに越したことはないが、中韓両国との関係を犠牲にするほどのメリットが、そこにあるとは思えないのだ。

米国一極化が進む現実を直視した上で、日本政府が米国の同盟国として、その単独行動主義をけん制し、米国を国際社会の合意につなぎとめる役割を果たそうとするなら、その手段は「国連」ではなく、むしろ米国を中心とした「有志連合」に求めるべきではないだろうか。日本が積極的に動いて有志連合の「合法化」を進めるのである。

英国、豪州、日本はそれぞれ個別に米国と軍事同盟を結んでいる。自衛隊と米軍、豪州軍は共同で軍事演習を行う関係にある。そうした関係を深化させ、将来は事務局を持った常設機関に格上げするのだ。

日米英豪の4国が、それぞれの軍事力を持ち寄り、率先して国連常備軍に代わる組織を創設する。統合司令部はハワイにでも置けばいい。統合軍の出動は、司令部の上位に位置する4カ国のハイレベル委員会(首脳か外務・防衛担当者、または大使クラスで構成)が決定することとするが、実質的には国連安保理決議を出動の条件とすればいい。(中国が拒否権を発動するであろう台湾海峡への出動に備え、決議なしの出動も留保しておいた方がいいが、それは駆け引きの問題。)

4国の意思決定の一体化が進めば、米国もいざ行動を起こす際に他の3国の意向を無視できなくなるだろう。常任理に入っていない日豪2国も、米英2国を通じて、間接的ながら国連安保理の意思決定に参画することが可能になる。

安保理決議に基づいてスムーズに4国統合軍が紛争地帯に展開する。実績を積み、その活動が評価されれば、日豪2国の影響力、発言力も高まるに違いない。そうなれば実質、常任理入りを果たしたのと同じだ。

実際のところ、中韓両国の異常な反対運動を制してまで、日本に常任理入りしてほしいと望む国など存在しない。国際世論は、集団的自衛権を行使しないと宣言している国を、安全保障理事会の主要メンバーに招き入れるほどお人好しではないのだ。だからこそ、まずは日本自らが、国際平和の維持に積極的に関与する姿勢を示し、実績を積む必要がある。

小沢氏の説く国連待機部隊構想は、その点で意味深いものではあるが、意思決定に参画できない組織に無条件で軍事力を提供するのは、それこそお人好しである。何も国連の組織にこだわることはない。そろそろ第2次世界大戦の記憶に縛られない新しい組織を、日本自ら構想する時期に来ているのではないか。〔了〕


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7 コメント

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Unknown (匿名希望)
2006-06-02 00:41:40
しばらく、山川さんのリプライを拝見していなかったため、遅くなりました。



> 中国の対日批判を「歴史」から切り離し、一般的な「大国間の摩擦」として位置づけ直す「理論武装」が、日本側の知識人ではなく、コロンビア大学の教授から出されたことは、何とも複雑な気分ではありますが。



以下、異論を述べますが、山川さんの分析力を高く評価していますので、単に意見の相違と思っていただければ幸いです。



カーチス教授を挙げるまでもなく、今日の日中の争いを「大国間の摩擦」と見なす人は内外にたくさんいると思います。



私が気になっているのは、カーチス教授の分析の甘さです。



冷戦を勝利に導く対ソ構想を作り上げたジョージ・ケナンは著書の中で、アメリカの外交官・マクマレーの、「満州事変や日中戦争に関し、中国の急進的なナショナリズムが日本との摩擦を引き起こしている」という内容の報告書を評価しています。

当時のアメリカのリベラルな政治家はこの見方に組せず、大国・中国に大変な憐憫の情を持って接しました。その結果はいうまでもありません。

ジョージ・ケナンの歴史の深層を見る目の確かさについては、言うまでもないと思います。



マクマレーの時代からずいぶんと経ちますが、歴史を振り返り、今日の中国を見る限り、中国のナショナリズムは大変に根が深い持病だと感じています。



数々の栄光を誇る中華民族は1600年代以来不遇を囲い、近代には危うく植民地と化しました。



紀元前の時代から中華を任じ、周辺民族の風俗を頑なに拒み続けた国です。中国の歴史への過剰な自尊心が生みだす鬱屈のエネルギーは、周辺民族にとって、いつの時代でも、危険な地雷です。



そのような歴史がある限り、私は中国の対日批判を、単なる大国間の争いと見るべきでないと思っています。

近代のアジアの不安定性と中国の排外主義・ナショナリズムは見えない部分で深く関与しています。そういう時代の潮流を無視して、ドライに割り切ったところで、時代の深層は見えないように思います。



残念ながら、カーチス教授のその他の投稿を見る限り、カーチス教授は近代中国が抱えるナショナリズムの問題を正しく認識できていないと思っています。
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御意。 (山川草一郎)
2006-05-23 00:21:18
いや、このエントリーのコメント欄に付けたことで、誤解されたかもしれません。エントリーの内容自体は、日本外交の長期目標と、そこに至る道筋を描いた提言です。その意味では「手段としての日米同盟」に近い主題。



一方、コメント欄で引いたカーチス教授の提言は、日本がとるべき戦略というよりは、現在の日中関係に対する国際政治的な視座を提示したものでしょう。つまりは「日中間の摩擦は、日本側の一方的な挑発や右傾化が原因ではなく、台頭する21世紀の新興大国と、それに隣接する20世紀の経済大国との、当然あり得べき摩擦なのである」ということでしょう。



こうした冷静で客観的な現状分析は、日本側へ一方的に責任を転嫁し、世界中に日本の悪印象を植え付けようとしている中国政府の言い分に対して、十分なカウンターとなりえる理屈だと思います。



本エントリーで私は、中国側の日本に対するクレイムを「ジャパン・バッシング」と表現して、やや意図的に(大国間の摩擦という意味で)普遍化しようと試みたわけですが、偶然にもカーチス教授が同じ用語を使っていることに強く共感したのです。



教授の主張自体は、日中摩擦の本質を考察した過去エントリー「日中友好は『ヤルタ史観』の再検討から」に、より即したものなのですが、「ジャパン・バッシング」の用語につられて、こっちのコメント欄に引用してしまいました。



と、いうわけで、私は教授の論考を「国際世論に対する日本の立場のPR」と同時に「中国政府に対する反論」、すなわち「その手はもう通じませんよ、考え直して手を打ちませんか?」という呼び掛け、として読みました。



匿名希望さんのご指摘のとおり、教授の論考をもし「日本は、中国政府に柔軟な対応を求めよ」という

主張と捉えるなら、その期待、戦略は「甘すぎる」と私も思います。



私は「中国による日本の国連参画に対する妨害工作」と「日本による中国敵視政策」とを、互いに放棄する「取り引き」を提唱しました。新たな日中共同声明で、そうした21世紀における互いの立場を再確認してもいいと思っています。



その意味で、「中国は脅威ではなく、チャンスだ」と言い続けている小泉首相の態度を、私は戦略的に正しい姿勢として支持しています。麻生外相や前原前民主党代表とは違う大局観を感じるからです。



本来、日本の首相が「脅威という考えは取らない」と言明していることを大きいポイントです。「中韓両国には、いつでも首脳会談に応じると言っている」(小泉首相)という事実とあわせて、もっと国際世論への周知を図るべきだと思います。その際に、カーチス教授の現状分析は極めて重要な意味を持つに違いありません。



中国の対日批判を「歴史」から切り離し、一般的な「大国間の摩擦」として位置づけ直す「理論武装」が、日本側の知識人ではなく、コロンビア大学の教授から出されたことは、何とも複雑な気分ではありますが。



カーチス教授は「中国によるジャパン・バッシング政策の放棄」を、「日本による中国脅威論の放棄」の取り引き対象と考えておられるようです。中国によるジャパンバッシングは、「日本の国連安保理常任理入りの阻止」という戦略目標を達成するために「戦術」ですから、その意味ではわたしの見解と概ね一致していると考えていいでしょう。



「ポスト小泉」候補レースで、安倍氏への対抗馬として福田氏が急浮上しているようですが、「福田首相」の実現は、日本にとって最も有利な形で対中外交を転換するチャンスになる可能性があります。



1.中国の反日キャンペーンの原因は、小泉首相の靖国参拝でなく「国連」問題にある。



2.しかしながら、現状において、首相の靖国参拝が、中国側にとって国際世論に対する極めて有効な武器になっているのは事実である。相手に批判の材料を与えるような参拝は、本来、中止した方が賢明である。



3.ところで、小泉首相の靖国参拝は自民党総裁選の公約であり、それは「一国の総理なのに他国から行くなと言われて行けない場所があるのはおかしい」という彼の信念に基づいていた(対抗馬の橋本竜太郎氏は首相時代に参拝した後、中国の抗議を受けて断念した)。



3.従って、一度行ってしまった以上、小泉首相は参拝を続けるしかない。まして、中国が抗議している現状で参拝を辞めることは、中国側のプロパガンダを利してしまうので、国際世論への影響を考えても得策ではない。



4.以上のことから、日本側にとってベストのシナリオは、「中国からの圧力」を理由とした参拝中止でなく、「日本国内の情勢変化」を理由とした参拝中止であり、その想定し得る最も穏便な理由こそは「首相の交代」である。



ただし、このシナリオは困難になりつつあります。困難にしているのは誰か、といえば、それはほかならぬ「中国政府」です。彼らは、ついに「日本の次期首相は靖国参拝をすべきでない」とまで言うようになりました。それ自体、明白な内政干渉ですが、それよりも何よりも、彼らがそう言ったことで「国内の情勢変化」を理由にした「穏健な形での参拝中止」が、著しく困難な状況になりつつあるのです。



つまり、福田氏が仮に首相になって、自らの意思で靖国参拝を見送ったとしても、国民世論はそう見ないであろう客観的情勢が、早くも出来つつあるのです。それならば、私個人としては不本意ながら「安倍首相による参拝継続」の方を選びます。「福田首相」のメリットは結局、「靖国問題の穏健解決」以外にないからです。



中国政府の動きを見ていると、靖国問題の解決を最も嫌っているのは彼ら自身ではないかと思えてきます。で、実際、その観測はあながち間違いではないのでしょう。彼らは靖国カードを手放したくないのです。外交上の待遇で「福田支持」を打ち出しているのは、間接的に「福田首相」実現の足を引っ張っているのであって、それに気をよくしている時点で、私は「福田首相」が、我が国益にとって甚だ心もとなく思えてくるのです。

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Unknown (匿名希望)
2006-05-21 17:47:30
山川さんの意見にはおおむね賛成ですが、カーチス教授の提言は賞賛に値するでしょうか?

人それぞれ見方は違いますが、私は米国の識者はまだ中国に幻想を抱いているんだと感じました。

現在の中国の政治家の発言を見る限り、妥協や交渉のできる政治家はほとんどいないと見てよいと思います。大規模国家プロジェクト・三峡ダムの完成式に共産党幹部は誰一人出席しなかったと報じられています。批判の集まる三峡ダムに出席すれば、立場を失う。反日に染まったアジアカップ決勝戦も同様です。

リスクが怖い連中ばかりです。



中国にゴルバチョフ並の政治家が出ない限り、カーチス教授の提言は何の意味も持ちません。

 教授は、ジャパンバッシングを止めるようにと進言しますが、現在の中国高官の力量では無理でしょう。

数十年にも及ぶ政府の異常な排外主義、メディアの愛国主義報道が偏狭なナショナリズムを生み出し、解決をより一層難しくしています。



私はこの問題に対する唯一の解決策は、米国をはじめ、世界の先進国が中国の過剰なナショナリズムを批判し、中国政府・メディアに被害者意識を声高に叫んでも通用しない、自分達も世界秩序をつくる一員なんだと理解させることだと思っています。

そしてそのことが中国政府・国民に自分達の行き過ぎを知らせ、転向を迫るよい機会になると思います。



 日本が先に妥協する形で収めるなら、中国・韓国は歓喜し、日本に深い傷を残す。物事の根本を解決せずして、形だけまとめるなら、後々、アメリカの世界戦略へ少なからぬ影響を残すと思います。



 靖国問題の根底にあるのは、日本の右傾化ではなく、数十年以上蓄積された中国共産党のプロパガンダ、国民の過剰な被害者意識です。これを除かない限り、日中の火種はいつまでも耐えないでしょう。
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カーチス教授の慧眼 (山川草一郎)
2006-05-20 12:48:09
「日中友好はヤルタ史観の再検討から」というエントリーのコメント欄(2月19日)で、次のようなことを書いた。

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政治的には大国だが、経済・軍事的には弱小国だった中国が、経済・軍事面でも大国になろうとしている。冷戦の勝者である日本と摩擦を起こすのは当然です。



摩擦を回避するには、経済・軍事的には大国だが、政治的には弱小国だった日本が、政治的にも大国となることを、中国自身が受け入れる必要があります。



具体的には、日本政府が中国の経済発展と軍事力増強を「脅威」とみて邪魔しないこと。同時に中国政府も日本の国連安保理常任理事国入りを妨害しないこと。



中国が「ヤルタ史観」にこだわり続ける限り、中国は日本の頭を押さえつけようとするでしょう。



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そんなこともあり、米コロンビア大のジェラルド・カーチス教授が、5月20日付朝日新聞に寄せた論考を、我が意を得たりの思いで読んだ。曰く―。



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これ以上日中関係を悪くさせたくないのなら、中国はポスト小泉が靖国問題をもっと解決しやすいような環境をつくる必要がある。要するに、中国はジャパンバッシングをやめることだ。その代わり、日本の政府高官は中国脅威論を語らない。

 日中は歴史問題も含め、「大きな取引」を探るべきだ。

(靖国問題 日中共存へ「大きな取引」を)



=============================



教授の冷静な情勢分析と建設的な提言に、強く共感する。この朝日の記事が中国高官の目に止まることを願ってやまない。翻訳して米国の高官、有識者にコピーを配って歩きたいぐらいだ。

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Unknown (匿名希望)
2006-05-17 01:55:27
山川さんのエントリーの分析には全く同感です。とても面白く拝見させてもらってます。



将来、日本と中国の紛争は激しさを増すと思いますが、僕は、日本の将来を楽観視してます。

今の日本が心身ともに健康体であるからです。



ただし、一つだけ条件があります。

日中紛争にカタをつけるには、日本はもう一段、奮起し飛躍して、中国人を心底、唸らせる必要があります。



戦後60年、日本は奇跡の復興を遂げました。

でも、古代からの文明国、皇帝の国、中国から見れば、まだまだ足りないんでしょう。



我々の世代は、幕末・明治初期の思想家、横井小楠の言葉「何ぞ富国に止まらん 何ぞ強兵に止まらん 大義を四海に布かんのみ」の気概で、次の60年、着実に歩み続けるなら、共産党独裁の中国とは1周でなく2周の差がつく。



山川さんの仰るように、次の60年、米国を盟主としつつ、日本が時代を作るなら、常任理事国に固執し、アウトサイダーにとどまらざるを得ない中国とは、国際政治の上で確実に勝負がつくと思います。



 我々の世代の日本人が着実に歩み続けるなら、中国が日本を認めない限り、独裁国家・中国に未来はないと思います。
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ご意見どうも (山川草一郎)
2006-05-16 15:00:59
「ロシア、中国という海洋進出への野心を持つ巨大な大陸国家と渡り合うには、どうしても、太平洋に重しが必要で、現在、その重しとなっているのが米国」というご指摘は重要です。そこが冷戦後の基地問題の本質です。



正直、米国は国連安保理常任理事国である中国が、極東地域の安全保障上のトラブルメーカーになる可能性があることに手を焼いているはずです。中国が国連安保理の意思決定権を有している以上、台湾ごときの瑣末な問題で中国と対立するのは避けたいというのが本音でしょう。



米国は今後、極東地域での影響力低下を警戒しつつ、当該地域での過度のコミットメントを段階的に縮小していくでしょう。早い話が「中国の相手は面倒だから、日本にやらせておけ」ということです。現在の日中摩擦の背後に米中の潜在的対立構図が横たわっていることを忘れてはなりません。



日本が、撤退する米国の代わりに極東地域の「重し」になろうとすれば、日中間に摩擦が生じるのは必然です。日本は米国の代弁者として中国に苦言を言う立場を買って出ているのだから、米国の一部にみられる「アジアで孤立する日本」という評論は、現実への無理解に基づく言説であり、まったくもって腹立たしい。



米国との対立は避けたいという思惑は、中国側も同じで、中国の最近のジャパン・バッシング政策には、「米国との対立を回避しつつ、米国の身代わりとしての日本の影響力増加も阻止する」という二正面戦略の側面があります。



米軍再編に関して「米国の肩代わりをすれば、中国との関係が悪化する」として反対する意見があります。その通りです。そのリスクを承知で、肩代わりをするのです。安全保障上の危機は外交で回避するしかない。それが責任ある「普通の国家」というものです。



日中衝突のリスクを承知の上で、アジア太平洋の「重し」役を買って出るのだから、米国には本来、日本政府と国民に感謝してもらわなければならない。「中国との関係を修復しろ」などと日本に要求する米国政府高官がいたら、顔を拝みたいものです。



日本が安全保障上のリスクを覚悟しない限り、「重し」役は米国にお願いするしかない。しかし、匿名希望さんのおっしゃるように、米国に頼り過ぎる外交は、もっと危険だと思います。太平洋戦争前夜のルーズベルト政権、貿易摩擦の際のクリントン政権。米国は国際政治における自らの立場が弱い時ほど、中国に歩み寄ります。



そして中国はその弱みに付け込んで、日米を離間させようとするのです。中国は謀略上手です。裏でさまざまな手を打って、話を複雑にします。日本はどちらかというと謀略が苦手です。統一された戦略のもとに、複数の戦局を同時に対処する能力に乏しい。



「ひとつひとつの課題に精神誠意立ち向かえば、必ず道が開ける」という素朴な発想が日本流です。だから中国の謀略戦に巻き込まれたら、その時点で日本は「負け」なのです。



現実の社会にも人間関係を複雑にする天才がいますが、そうした人との対立を避け、「大人の対応」をすると、だいたい損をします。多少大げさに人前で喧嘩してみせて、「彼(彼女)とは対立関係にあります」とアピールしてみせるのが一番です。



周囲の人は、問題の彼(彼女)が裏で何かを囁いたとしても、そういう前提で割り引いて聞きますから、無用な混乱は避けることができるでしょう。謀略家を相手にするなら、敢えて「大人げない対応」を取るのは、被害を最小限に食い止める意味で実は効果的なのです。小泉首相はまさにそれを実践していると言えるでしょう。



話がそれましたが、米国の識者の一部にはそうした中国の謀略(日本に関する悪宣伝)に免疫のない人が意外と多いようです。だから日本は常に米国に裏切られる危険を意識しておかなくてはならない。



誤解を恐れずに言えば、従来の日米安保体制の下で、日本の「経済的繁栄」は、究極的には「対米対立」との二者択一であったと言えるでしょう。「対米追随」を批判するのは簡単です。実際、90年代、冷戦後の日本政府は米国との「是々非々」路線を模索しました。しかし、それは決定的な日米対立をもたらし、米国は江沢民の中国に接近する一方で、日本経済の金融センターをめちゃめちゃに破壊しました。



「なぜ堂々と米国の要求をはねつけないのか」と勇ましく政府を批判するのは簡単なことですが、交渉の究極的場面で、軍事的リスクを委託している相手に押し切られるのは、致し方ないことなのです。



では、日米安保条約を破棄し、国防軍を創設し、軍事的に独立すべきかどうか。そこは政策的判断ですが、その経済的、外交的リスクもまた計り知れず大きく、割りに合わない、と私は判断しています。



強い日本経済を復活させるには、門戸を開いて国際競争に耐える強い体力を身につけなくてはならない。それまでは、米国との決定的対立は避けたほうが賢明に違いない。協力は最小規模でも、首脳同士のパフォーマンスで「恩」は最大限にアピールしなくてはならない。



幸い、ここまではうまくいきました。問題は「これから先」です。米国な従順なだけで終わるのか、米国の意向に逆らわない範囲で、むしろ積極的に協力する外形を整えながら、着実に外交の自立性を高めていくか。



「長期的に見るなら、価値観がもっとも近い米国を盟主としつつも、米国に頼り過ぎないための外交的選択肢が日本に欲しい」。匿名希望さんのご意見に、私は全面的に賛同します。よろしければ、以前に書いた「手段としての日米同盟」というエントリーをご参照ください。
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Unknown (匿名希望)
2006-05-16 00:26:45
名を捨てて実をとれという逆説的な提案ですね。仰るとおりですね。納得です。

それぐらいの見切りがないと、日本は飛躍できないかもしれません。



ド素人ながら、地政学的観点から日本のことを考えて見ました。



ロシア、中国、米国は広大な領土、人口を持ち、国家自体の重しによって、常に大国たりえます。当然、どんな国際機関ができても、常任理事国になるでしょう。しかし、残念ながら日本は条件付です。地政学的に見ても大国ではない。



地政学的に見た日本の長所は、太平洋と言う広大な海への入り口を独占できる点。一方の短所は後背地に影響下における小国家群が存在しないため、欧州の3大国のような外交力を持てない点だと思います。



大陸で覇権を求めないという戦後平和主義を選択しつつ、ロシア、中国という海洋進出への野心を持つ巨大な大陸国家と渡り合うには、どうしても、太平洋に重しが必要です。



現在、その重しとなっているのが米国であることは周知の事実です。しかし、米国に頼りすぎるわけにもいかないのも周知の事実です。

将来、米国が太平洋戦争時のF・ルーズベルト大統領のように、中国と結んで日本を押さえる政策を取るなら、戦前の悲劇が訪れないとは限りません。



長期的に見るなら、価値観がもっとも近い米国を盟主としつつも、米国に頼り過ぎないための外交的選択肢が日本に欲しい。



その選択肢となりうるのが、山川さんの書かれている米国を盟主とした日米英豪の4国の同盟であると思います。インドも加わるならなお良いと思います。



とはいえ、長期的に見れば、日本と価値観を同じくし、重しとなるような国家が近隣に欲しい。そういう国家が育って欲しい。



超・長期的な展望ですが、インドネシアが日本に迫る規模の国になり、頼れる海軍力を持ってくれたら、面白いなと思います。

もし明治以来ずっとこんな国があったら。日本の外交ももう少し楽だったかも知れません。
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