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毎日が山のこと

最近の山歩きの記録はもちろん、作ってみた山行プラン、過去の山歩きの記録も順次掲載中です。

奥武蔵の展望台、丸山へ(2020年4月23日)

2025-02-15 13:47:01 | 奥武蔵・秩父の山

このところ芦ヶ久保に通っている。

今日も二子山に登ってきた。3週連続だ。

今回は、兵ノ沢から登って馬酔木尾根を下った。

変わり映えのしない投稿になってしまうので同じ芦ヶ久保の丸山のことを書いておこう。

 

芦ヶ久保の駅のすぐ北には、広い南斜面に農家が点在していてとてもいいところだ。

そのすぐ上には日向山635mがあり、山仲間とハイキングしたことがある。

そして、その奥には奥武蔵の展望台といわれる丸山960mもある。

 

この時は車でのんびりと出かけたので、芦ヶ久保についたのは11時をまわっていた。

国道から日向山へと登るとヤマザクラの木の向こうに武甲山が。

 

日向山の登山口にあたるところに無料の駐車場がある。ここに車をとめた。

もう11時半近い。

うらやましいように見晴らしのよいところに民家が点在する中を山へとむかう。

別荘風の建物もある。

 

足元にはスミレ。タチツボスミレだろう。

舗装道路が分岐しているところから山道に入った。

道路をそのまま行けば県民の森らしい。

 

山道に入ると山の神が祀ってあった。

針葉樹林の中の斜面を尾根をめざして少しづつあがっていく。

 

30分ほどで尾根に出ると駅の方からの道と合流した。

ここから広い尾根をのぼっていく。

 

大日如来の石碑と石仏があった。

 

 

森の中のような広い道を登っていく。

 

尾根道を20分ほど登っていくと舗装の道に出た。このあたりで標高850mくらいになる。

最初に歩いた道が県民の森などをへて登ってきているようだ。

横切ってそのまま尾根を登り続ける。

 

標高900mを越えたあたりに東屋があり、県民の森との分岐点になっている。

 

 

ミツバツツジらしい花が咲いて、遠くまで見通せるようになってきた。

いったん下って小さな鞍部をこえると最後ののぼりだ。

 

丸山山頂の立派な展望塔。

 

丸山は960m。正面に見えている武甲山は1304m。

 

秩父の街の向こうにはこれも秩父の名峰、両神山1723m。

 

4月も下旬に入っているので1000m近いところだけど足元にはスミレが咲いていた。

 

そのまま戻るのではつまらないので反対側の道をくだって、県民の森をあるいて戻ることにした。

 

日当たりのいいところではもう若葉が開き始めていた。

 

一方でヤマザクラが咲き残っている。

 

県民の森の道でカタクリを見つけた。

 

こちらはエイザンスミレ。

 

ここにもカタクリ。

 

県民の森の学習センター近くの広場に出た。

 

だれもいないが、整備されていて気持ちのいいところだ。

ここから斜面を登って尾根を越すと登ってきた道に合流する。

でも県民の森の道が歩きやすいのでそのまま歩いてみた。

道は、秩父札所の金昌寺にむかう登山道につながっていた。

その道をしばらく歩いてから斜面をくだって日向山と県民の森をつなぐ林道にでた。

 

林道を芦ヶ久保へと戻る。正面に武甲山が見えている。

 

そのあたりは、新緑とヤマザクラがまじってやわらかな色合いに染め上げられている。

 

この日は、春らしい薄曇りだったが、突然雲が切れて日差しが差し込んだ。

春の色合いが濃さをまして華やかになった。

これはありがたい。

 

見上げる山の斜面もヤマザクラをまじえた開き始めの若葉でほっこりするような色合いだ。

もう少し春が深まったら仲間を誘って芦ヶ久保から丸山を歩いてみよう。

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馬酔木尾根(仮称)から二子山へ(2025年2月7日)

2025-02-07 16:51:50 | 奥武蔵・秩父の山

またまた芦ヶ久保の二子山に出かけた。

前回出会った打田さんの教えにしたがって馬酔木尾根(仮称)から登ってみたのだ。

朝、目覚ましよりだいぶ早く目が覚めてしまったので、予定より1時間早く出かけた。

 

7時24分、芦ヶ久保に到着。

例の芦ヶ久保の氷柱祭りは朝が早いのでまだ始まっていない。

閉まっているチケット売り場のわきから西武線のトンネルに入ったらそこに大きなツララが。

天井から人の背丈ほどもあった。

 

最初の峠で尾根に入る。

 

しばらくは急登が続くが、木々の間から朝日を浴びた芦ヶ久保の南斜面がみえているので気分は明るい。

 

打田さんのいうとおり、馬酔木が多い。

それで打田さんはこの尾根を仮に馬酔木尾根と呼ぶことにしたといっていた。

 

峠から180mほどあがると最初のコブになる。

このあたりはスギ林だ。

 

コブの先、ゆるやかな尾根をしばらく進むとふたたび急登がはじまった。

そして大きな岩もあらわれた。

しかし、これは脇を難なく通過できる。

 

急登が終わってまたしばらく平らな尾根になったが、すぐにまた急登がはじまる。

 

770mのピーク、大平が近づくと雪がでてきた。

 

特に北東斜面には一面に雪が残っているが、多いところでも1cmほどでしかない。

 

そして770mピークの50m下くらいから伐採跡になって、谷の向かい側、丸山から秩父にかけての展望が開けた。

 

上の写真の左側を撮ったもので、日当たりのいい芦ヶ久保の集落が見えている。

 

少し登ってからふたたび秩父の方を少し望遠をかけて撮ってみた。

奥の山は群馬の榛名山のようだ。

 

反対側は、木々のあいだから武甲山。2週間前とちがって斜面に雪がついているので明るく浮かび上がっている。

 

8時50分、770mのピーク、大平に到着。

木にまかれた赤いテープには若菅山とも書いてあった。

 

ピークから5分ほどで兵ノ沢コースと合流した。

ここの道標にこの馬酔木尾根は「行きどまり」と書いてあるが、大平で降りる方向を間違えなければあとは迷うようなところはない。

 

頂上が近づいて日向にも雪が残るようになってきた。

しかし、例のロープの急登の場所も登山道には土が顔を出しているので特に心配はなかった。

 

9時50分、駅から1時間25分で雌岳山頂に到着。

 

次の雄岳山頂の三角点。

 

三角点の奥にあるビューポイントに移動して休憩。

 

武甲山。

 

両神山を限界までアップにしてみた。

 

山頂の雪はこんなぐあい。ここも人が歩いたところは土が顔をのぞかせている。

まだ時間は早いが、朝食も早かったのでまたカップラーメンでも食べようと支度したら、ザックの中のポーチに箸もスプーンも入っていない。

そんなぁ。ポーチには入れてあったはずなんだけど・・・・

とぼやいてみても入っていないものは入っていない。

あきらめて大福とチョコ菓子、羊羹をたべておしまいにした。

 

最後に秩父盆地と両神山の展望を写真におさめ、10時6分下山開始。

 

帰りは兵ノ沢をくだった。

水場の小滝が10時53分。

 

そばの岩の表面に氷がついていた。

 

兵ノ沢を右岸にわかって峠へとむかう。

 

出発点の峠についた。11時10分。この峠を出発して3時間半だ。

 

電車を待つ間に、道の駅でかきあげそばを食べ、道の駅で土産を買った。

さて、試してみた馬酔木尾根は急登が多いが、ピークの手前の大展望がなかなか気分がよかった。

3月になれば氷柱まつりが終わり、浅間神社コースも登れるようになるが、浅間神社コースを歩いたのは昔のことで覚えていないので比較しようがない。

 

最後に馬酔木尾根を地図で示しておく。この尾根はまた歩いてもいいと思った。

それにここは駅からすぐに登れて、ある程度高度もあってトレーニングには最適なことがわかった。

その意味でもまたこよう。

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奥武蔵(新柵山~ブナ峠~飯盛峠~大築山)周回コースを歩く(2021年3月17日)

2025-02-05 16:23:09 | 奥武蔵・秩父の山

(古い投稿に手を加えて再度投稿します)

少し前に、奥武蔵の秩父往還と四寸道をつかった周回コースを紹介したことがあるが、今回はそのコースに隣接した新柵山や日向根集落のある尾根をたどり、ブナ峠、飯盛峠をへて大築山のある尾根へと周回するコースを歩いてみた。

これといった名のあるピークがあるわけでもなく、ただ周回コースが組めるという理由だけで選んだようなものだ。

 

出発点は、奥畑農民センターのとなりにあるときがわ町市民農園駐車場。広い駐車場で無料。

駐車場から少しもどったところに全長禅寺入口という立派な石碑が立っている。

その道をのぼり、すぐに右手に農家の入口の道があってその先右側が山の擁壁になる。

その擁壁にある急な坂道が登山道入口だ。9時50分登山開始。

 

まずは太いモミの木が数本。しばらく急登が続き、道の中央が雨水でえぐられていて歩きづらい。

少しゆるやかになると杉林で杉落ち葉や小枝がたくさん落ちている。木漏れ日がきれいだ。

その先でまたジグザグの急登になり、赤いツバキの花が落ちていた。

 

小枝が少なくなったと思ったらヒノキ林に変わっていた。

そして右手の北斜面が落葉樹林になってくると頂上は近い。

 

10時47分。新柵山頂上はのっぺりした感じのところで展望はなし。

 

しばらく同じような標高の道を歩き、次第に下り道になって峠になる。

ここから新柵山の南斜面にある多武峰神社へとくだることができるようだ。

少し登り返し、ゆるやかなアップダウンを繰り返す。長岩や光岩などの看板がある。

そこから次第にくだりになって人里の匂いがしてきた。

 

新柵山から30分。

そこは日向根集落の最上部にあたり、稲荷の祠の脇に「越沢稲荷の大杉」と呼ばれる杉の大木がたっていた。

 

民家の屋根も見え、早咲きの桜が満開だった。

 

ここからは椚平からあがってきてブナ峠へとむかう林道を歩くことになる。

 

これもときがわ町の巨樹のひとつである「砥石のヒノキ」の案内看板があった。その看板の示す方向へと歩く。

この林道の周囲は民有地らしい。オフロードバイクが民地を荒らしたらしくて「バイク通行禁止」の表示がしてあった。

しばらくヒノキ林の中の林道を登っていく。

 

分岐があって道は右へと折れる。その先が一部落葉樹林になっていたのでその中の倒木に腰をおろして昼食にした。

そこから600mほどで道に車止めが設置され、左手に林道が分岐していた。ブナ峠からきた車はここから下ることになるようだ。

 

さらに700mほどあるくと「砥石のヒノキ」があった。やはり脇に祠があった。

 

その少し先には「ふるさと伝説おそよの墓」というものもあった。伝説の中身は知らないが、地蔵様らしい石仏がたっていた。

 

このあたりで林道を走っている女性に声をかけられた。トレランの練習のようだ。

どこから登ってどこに行くのかと聞くので、地図で周回コースを説明したら、よくこんなに歩けますね、すごい、といわれた。

すごいというのは私の方で、山道を走るなんて私には考えられない。

 

林道の正面に833mのピークが見えてきて道は左にのぼりながら回り込んでいく。ブナ峠だ。

 

漢字ではブナはいろいろあるが、ここでは「木」偏に「義」と書いてある。

 

この峠にある石田波郷の句碑には「山毛欅」の字が使ってあった。

ブナ峠からは奥武蔵グリーンラインの舗装道路と山道を交互にたどる。

 

816mの飯盛山には電波関係の建物があった。そこを下ると飯盛峠だ。

 

ここで奥武蔵グリーンラインから別れ、大築山や以前に歩いた秩父往還方向に向う。

道はこの峠の標識の裏からくだっていた。手作りの案内があった。

 

このあたり道が何本もあって錯綜している。間違えないように尾根通しの道をえらんだ。

 

上の写真の尾根道以外にも、右手の斜面にも山道が走っており、さらにその下には舗装道路もある。

 

赤い木肌がめだつアカマツの木があった。そのすぐ先で別の道と合流していた。

山道はいったん舗装の道路に出てしまうが、その先で左手の山道へと入る。

その小さなピークの上で秩父往還の野末張(のすばり)展望台への道と分かれて大築山へと向う。

 

少し歩くと広々とした林になって「馬場」という標識がたっていた。

たしかに広いヒノキ林だが、なぜ馬場と呼ばれているのかは不明。

 

途中麦原へとくだる道が右にわかれていたが、崩壊があって通れないと書いてあった。

その先で左手尾根のほうへ登り道もわかれていた。わたしは水平の道を直進した。

 

硯水という表示があった。湧水でもあるのかと探してみたがそれらしいものは見当たらない。

硯水の少し先で右手へと尾根伝いに下る道が分岐していた。

私は左へと大築山手前の峠へとむかう。

 

峠は麦原から椚平をむすぶ峠道と尾根道の交差点だ。

椚平方向の道は歩きやすそうな道だった。

 

大築山へとむかうと直ぐに椚平を見渡せる展望スポットがあった。

今日は向こうに見える尾根を右から左へと歩いたのだ。

 

南向きのゆるやかな斜面に集落が広がっている。その最上部が大杉のあった日向根だ。

 

展望スポットの先が急な登りになって、最後はかなり急なところを登る。

そこが大築山だった。

 

大築山は戦国時代の大築城のあとだそうだ。

 

山城らしく急な尾根を登る。

人工的な切岸とは思えないが自然地形を利用しているのだろう。

 

山頂部は削平されている。一部から出発点方向が展望できた。

見えている谷の奥に慈光寺がある。この城から慈光寺を攻めたと書いてあったが、確かに絶好のポイントだと思われる。

 

向こうに見えている山が最初に登った新柵山だ。右の尾根から登って左へと進んだのだ。

もうすぐこの周回も終わりになる。

 

城跡らしい何段かの削平あとと堀の跡も見られた。大築山をはなれとなりの小築山へ。

広い頂上部からゆるやかにくだった先のちょっとした高まりがこれからくだる破線道の出発点だ。

本来の登山道は西平・大附へとむかって続いており、破線道へとむかう踏み跡は見当たらない。

ただ山道をそのままたどると破線道の倍の距離を歩かねばならない。

 

14時32分、意を決して上の写真の地点から踏み込んでいった。

地形的にははっきりした尾根だったが潅木や倒木が多くて踏み跡は見当たらない。

でも少しくだると間伐をしたところがあり、間伐材が輪切りにされて横たわっていた。作業の人が入っているのだ。

そのまま尾根を下り続けると藪にぶちあたってしまったが、右手の斜面に赤いリボンがある。

 

そこをくだるとようやく古い作業道に出ることができた。

沢には崩れかけではあるが橋もかかっていた。

 

かすかだった山道はほかの道とあわさってはっきり太くなり、ようやく行く手に家が見えてきて里に飛び出した。

 

破線道に踏み込んで40分弱で里に出ることができたが、このルートは下の方の斜面がかなり急であり、しかも藪がひどい。

道なりに歩いても1時間あまりで下れそうなので、あまりショートカットの意味はないかもしれない。

 

この日歩いたのは目立ったピークのない地味なコースだが、自分なりの周回コースをつくれて楽しい一日であった。

 

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大展望の秩父破風山へ(2025年2月1日)

2025-02-04 08:18:20 | 奥武蔵・秩父の山

2月1日、秩父の皆野町にある破風山(はっぷさん)に出かけた。

この日は、箱根の金時山に行く予定だった。

でも神奈川方面は、この日は曇りの予報。富士山が見えない金時山ではつまらない。

前日にあれこれ調べて、ここに決めたのだ。

 

8時に出発。でも土曜日とあって関越道が渋滞し、目的地に着いたのは10時半をはるかにまわってしまった。

 

山麓にある満願の湯の少し奥に町営の駐車場があり、トイレも設置されている。

10時50分、遅い出発。

 

駐車場から林道を山上集落である風戸へと登る。

途中にロウバイが咲いていた。長瀞の宝登山のロウバイもそろそろ見頃だろう。

 

20分ほど歩くと道のわきに大きな岩が。

 

この岩の表面には光沢があるので鏡肌と呼ばれ、その光沢は断層による摩擦でできたと考えられている。

 

そのあたりが風戸地区の最上部だ。

 

こうした山上集落には必ずのように朽ちかけた廃屋がある。

まわりの畑は雑草が伸びて荒れ放題だ。

ここからいよいよ山道へとはいった。

 

山道は、杉林だったり、落葉樹林になったりと変化してなかなか楽しい。

 

落葉樹林になると明るくなり、枝越しに周囲の山が見えて気分がいい。

途中尾根状のところで大渕登山口からの道と合流。

 

出発してちょうど1時間で猿岩に到着。

どこがサルなのかわからないけど、写真に写っていない部分も含めると岩全体ではかなり大きなものだ。

 

その岩の裏側は垂直に切り立った崖になっていた。

 

尾根が広がってきて広場状になってきた。

 

その広場の斜面の上部には大きな東屋がたっていて、女性グループが休憩していた。

頂上は近いので、ここでは休まず通過。

 

山頂近くの稜線は両側が切り立って狭くなってきた。

そのあたりは馬酔木のトンネルになっていた。

 

12時8分、山頂に到着。駐車場から1時間20分だ。

すでに大勢が休んでいた。

 

破風山626.5m。山頂標識の前には三角点もある。

 

正面には秩父盆地とその向こうに秩父の象徴、武甲山。

その左には武川岳と先日登った二子山。

 

こちらは盆地の皆野町方向のながめ。

蓑山やその向こうに大霧山などが見える。

 

こちらは山頂から西を見たもの。

両神山と小鹿野の二子山。

両神山の左手からは、奥秩父の稜線が連なっており、その手前に三峰神社のある尾根や熊倉山などが確認できた。

 

山頂から北をみるとこれは城峰山。

山中の民家は、皆野町の門平や立沢あたりだ。

皆野町営バスで西門平から城峯山に登ったこともある。

皆野町は、住民の足として町営バスを維持している。

となりの吉田町は秩父市と合併したとたんバス路線が大幅に縮小された。

皆町町営バスを応援したい。

 

山頂にいた若い人にたのんで記念撮影。

暖かい日差しと大展望を楽しみながら、のんびり休憩し、40分後に山頂をあとにした。

 

山頂近くにある東屋へとくだる。

 

そこから落ち葉に埋まった広場のようなところを通り、登ってきた道をくだる。

 

下りは快調で、十数分で大渕登山口のルートとの分岐点へ。

 

私が前に一人で来た時には、水潜寺から札立峠をへて山頂へ。

下りはこの大渕への道を使って皆野駅まで歩いた。

 

風戸へと戻ってきた。

 

上の写真の廃屋の下にコンクリートとタイルの五右衛門風呂が放置されていた。

道端だけどコンクリートの基礎もあるのでもともとここに据えてあったように見える。

水はどうやって? 道端で裸になるの? 疑問は尽きない(笑)

 

ここにはヒカゲツツジの群落があるようだ。4月中旬から5月初めころだろう。

 

土蔵についた家紋。竹にすずめとかあるけど、これは竹に麦わら帽子?

 

2時ちょうどに駐車場に戻る。

山頂から1時間10分だった。

帰りには、道の駅みなのによってきのこと里芋を買った。

 

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小川町側から笠山へ(2020年1月17日)

2025-01-31 09:28:24 | 奥武蔵・秩父の山

5年前の2020年1月に小川町の笠山に登った。

笠山はさいたま市からも三角形の特徴のある姿が確認できる。

この時は、小川町の側から笠山神社への昔の参道をたどって登ってみた。

 

小川町駅からバスに乗り、9時半に切通しでおりて蛇行している槻川にそって笠山へとむかう。

谷の正面に三角形の笠山がよく見える。

 

谷を30分ほどさかのぼっていくと、右手に分かれ道があらわれ、そこに笠山歩道と書いた手作り看板があった。

看板にしたがって右の道にはいる。

この道は古くから笠山の山頂にある笠山神社への参道だったらしい。

 

 

古い石碑もあったが、字はとても読めない。

 

すぐに山道となったが、山仕事のために林道として広げたらしくて昔の道ではない。

 

少し奥まで行くと枯れ枝がたまり、下草も伸びている。

あまり人が歩いていない感じだ。

 

下草をかき分けるように歩くところもあったが、途中に鳥居や祠もあった。

あまり人が歩いていないけど、手作りの道標などもあって迷うようなことはない。

登山道としての復活をもくろんだ人がいたのだろうが、あまり利用されていない感じだ。

たぶん車で入れる舗装された道が別にあるからだろう。

 

尾根筋にそった道にでるとぐんと歩きやすくなった。

 

尾根の道をだどっていくと舗装の道に出た。

東秩父村の萩平と小川町の栗山を結ぶ道だ。

車でこれるのだから歩いて登る私のようなアホは少ないのだ。

この道を歩いて栗山に向かう。

 

 

10時55分、道は南斜面に点々と民家が広がる栗山の上部に出る。

栗山集落の向こうにはめざす笠山と隣の堂平山が見えて。

このあたりで標高300mくらいだ。

山里だけに冬の夜は冷え込むだろうが、昼間は陽光をたっぷりとあびる南斜面だ。

 

でも畑は茶色。もちろん冬だからだろうが、最近は山畑は作っていないところが多い。

 

栗山集落の最上部の屋敷に小川町指定の記念物「福島家の大マキ」があった。

栗山でも一番奥にあたるので古くから土地の有力者の屋敷があったのだろう。

 

大マキのちょっと先には、この地区の観光公衆トイレがあった。

まだ新しくきれいなトイレだ。

 

途中から舗装の道から林道にはいる。

この道も舗装してあった。

そして、笠山の登山道の入り口には鳥居があり、その前には未舗装だけど駐車スペースも設置されていた。

 

鳥居をくぐって笠山にむかう。

「バイク侵入禁止」の看板が鳥居の根方に置いてあった。

オフロードバイクで入る人があるようだ。

 

少しあがると神社の建物があった。

笠山神社の里宮だろう。

そこからあまり急ではない斜面をあがっていく。

次第に落葉樹もまじるようになってきた。

 

道が左にトラバース気味になって尾根にむかって登っていく。

 

笠山から北東にのびる尾根にのった。

その尾根を登っていく。

 

葉を落とした木々のあいだから栗山の集落が見えてきた。

 

山頂が近づくと古い崩れかけた石の階段があらわれた。

これは山頂にある笠山神社の参道だろう。

でも石が崩れかけていてしかも急なので、そのまま山道をたどって山頂へとまわりこむ。

 

かなり展望が開けてきた。

 

12時12分、ようやく山頂に到着。

 

笠山神社上社。

 

山頂にも樹木はあるが、まばらな部分からかなり広範囲に見渡せる。

これは雪をかぶった浅間山。手前に御荷鉾山も見えている。

 

こちらは上越国境の山々。手前の黒い三角は子持山だろう。

神社の場所は風が通って寒かったので、秩父側に移動。

日当たりの場所を選んで休憩した。

 

笠山のピークは、堂平山から北に伸びてくる稜線から少し東に飛び出している。

神社をあとに主稜線へと移動。

 

その主稜線上に笠山の標識がたっている。

写真はそのあたりから北関東をみたもの。

実際は神社のあるピークの方が少し高いのだからここに笠山の標識をたてるのはどうなのかと思うけど。

 

それはさておき、南にすすんで堂平山との間にある笠山峠へとくだった。

 

13時16分、笠山峠からは西へと東秩父村の白石へと下る。

 

一度林道に出てまた山道をくだるとまた林道にであう。

そのあたりは樹木のあいだに竹がたくさん生えていた。

ここからは林道を歩いて、バス終点の白石車庫をめざす。

 

歩いてきた林道と白石峠にむかう道との合流点。

 

そのあたりからようやく人里らしくなってきた。

 

白石の里にでると、道端には石の地蔵がまつられていた。

 

さて、バス停の白石車庫についてみると、昨年の豪雨による道路崩壊でバスはかなり先の皆谷(かいや)折り返しと書いてある。

ありゃあ、まいったなぁ。

しかたがないので皆谷までてくてく歩く。

 

バス停白石車庫からしばらく歩いた白石の山里風景。

 

石の地蔵さんに白い前掛けとみかんが二つ。

 

白石地区の北のはずれにあるお寺。

大雨のせいかわからないが、大きな倒木の除去作業をしていた。

 

ここが道路崩壊地点。

乗用車は通行可能だが、バスは無理ということか。

濁流が道路の下をえぐってしまったのだ。

崩壊地点はほかにもあったが、通行不能という程度ではなかった。

白石車庫から皆谷まで約3km。

最後は急ぎ足になったが、皆谷のバス停で計画していたバスに乗ることができた。

2019年の大雨の被害のあとは、その後奥武蔵の山を歩いたとき、あちこちの沢で見ることになった。

 

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