帯広市より南に位置する中札内村では、「北の大地のビエンナーレ」というアートイベントが開催される。イベント会場である道の駅中札内カントリープラザと同じ敷地に、「豆資料館・ビーンズ邸」が在る。元々は「馬鈴薯原原種農場事務所棟」として帯広市の幸福町に建設されたものだが、2005年に「とかち田園空間博物館」として再利用するため移築修復された。
角先生の「道東の建築探訪」には載っていないため、形状や仕上材がオリジナルの材料と近いものなのか気になるところだ。内外部共にとても綺麗に仕上がっていた。
「豆資料館・ビーンズ邸/旧馬鈴薯原原種農場事務所棟」
設計者:? 竣工:1952年(移築修復2005年) 中札内村大通南7-14
旭川から札幌に向かう途中に、滝川という街が有る。その滝川市内に酒造会社の倉庫として1970年まで使用された、木骨石造のコンバージョン建築「太郎吉蔵」が建っている。現在は、アートやイベントスペースとして利用されているのだが、この蔵の改修設計を行ったのは、中村好文氏である。角先生が解説文を寄稿された「再生名建築 時を越えるデザインⅠ」に、中村氏のテキストも載っているそうだ。まだ入手していない為、内容を確認していないのだが。
肝心なのは内部であるが、残念ながら訪れた当日はイベントなども行われていなかった。
インターネットの記事で、改修の経緯を確認することが出来る。建築主である五十嵐太郎吉氏の孫で世界的彫刻家の五十嵐威暢氏が、改修を行ったのだが、メンバーには前述の中村好文氏の他に、照明デザイン東海林弘靖氏、ランドスケープ斉藤浩二氏、記録冊子デザイン原研哉氏と、そうそうたる方々が名を連ねており、改修予算は約3400万円だったとのこと。上の写真のオブジェ的な換気塔や、トップの写真に有る石のベンチは五十嵐氏の作品である。
管理棟?には様々なイベントのチラシが貼ってあった。
しかしながら、やはり内部を見なければ始まらない。滝川市ではアート関係の活動が盛んに行われているので、次はしっかりと何かのイベントに合わせて訪ねたいと思う。
「太郎吉蔵」
改修設計:中村好文 改修:2004年(竣工1926年) 北海道滝川市栄町2-8-9
滝川市指定文化財
毛綱毅曠氏は2001年に、この「白糠町立茶路小学校・茶路中学校」の完成を見ずに他界された。この建築が氏の遺作となった。penkou師匠と一緒に、反住器に毛綱氏のお母さんとお姉さんを訪ねた際、お姉さんはこの遺作が好きだとおっしゃっていた。
釧路市のアートマップによると、正面の二つの大きな丸窓は、フクロウの目がモチーフとのことである。その目の部分がRCである。その他s造の柱や、木造の小屋組などが外部から見て取れる混構造である。
この建築が計画された頃から、公共建築物でも木質材料を使う方向性が強くなってきたと思う。
周りはとても自然豊かな環境である。
現在新築で、ポストモダンの雰囲気を残すこのような建築を見ることは、殆んど無くなってしまったが、たまに訪ねてみると沢山の刺激を受ける。
「白糠町立茶路小学校・茶路中学校」
設計者:毛綱毅曠 竣工:2002年 北海道白糠郡白糠町マカヨ1−1
このブログを始めて間もなくの2006年に、一度冬の写真を載せたことがある。毛綱毅曠氏設計「北海道釧路湖陵高校・同窓会ギャラリー」 である。釧路市で配布されている、毛綱氏の建築を紹介したパンフレットでは、トップの写真とは反対側から見たイラストが描かれているので、そちらが正面なのかもしれないが、訪ねた今夏は丁度夏休みということもあり、何かの建築工事か改修工事が行われていて、敷地内に入れる雰囲気ではなかった。それで、敷地外の道路からの撮影となった。
外壁から飛び出たバットレス?は、あたかも古代の船のオールのようだ。
この通路はさしずめ選ばれた動物がノアの方舟に乗り込む為の桟橋か。
「北海道釧路湖陵高校・同窓会ギャラリー」
設計者:毛綱毅曠 竣工:1996年 釧路市緑が岡3-1-31
北海道初の隈研吾氏設計建築が2011年道東の大樹町に建った。ここはかつて「大樹ファーム」だった牧場跡地で、現在は「公益財団法人トステム建材産業振興財団」が所有する共同研究施設「メム メドウズ」となっている。
そこへ第一号の寒冷地実験住宅として、隈研吾氏が「メーム(Même)」を設計し建築した。この「メーム(Même)」は北海道古来の住宅をモチーフに、光を透過する白い膜材をダブルスキン構造として、壁と床を仕上げているとのこと。ダブルスキンによる断熱や、地熱を利用した蓄熱式床暖房などで、温熱環境の変化を、また地震発生時のデータ計測など長期的データ収集が可能なのだそうである。
内部に入ることは出来なかったが、外装材などを直に触ってきた。
特別な素材ではなく、直ぐに入手出来そうなフッ素樹脂の膜材で、壁も屋根も覆われていた。
光の透過性は随分大きいようで、恐らく内部空間の照度にも大きく影響しているだろうと思われる。この建築で得られたデータは、インターネットによりオンタイムで東大の各研究機関に送られるそうだ。
ところで、北海道の中でもこの辺りは、冬もの凄く寒い地域なのである。冬に一泊して、この建築の内部環境を確認してみたい。(ような、ちょっと恐いような・・・。)
「メーム(Même)」
設計者:隈研吾 竣工:2011年 北海道広尾郡大樹町字芽武158-1
「葦笛洞」という名前は、昭和二十六年にこの住宅建築を建てた施主が付けたそうである。敷地に群生する葦と、聞こえてくる蒸気機関車の汽笛が、その由来である。この建築が建つ土地は水が集まる窪地で、現在も池には葦が生い茂り、鴨が雛を孵して水面に可愛い姿を現す。現在カフェとして使われているが、戦後6年目の年に建てられた住宅建築で、移築はしていないそうである。古民家カフェと言うにはそんなに古いものではないが、昭和に建てられた建築の雰囲気を楽しむこtが出来る。小樽市と札幌市の境、小樽市の銭函という場所に在って国道5号線沿いに建つが、車を運転していると気付くことは無いかと思う。
菱葺きの屋根と、煉瓦造りの集合煙突は、現在の札幌近郊でも注意して探さなければ、なかなか見つからない。札幌では、この頃に建てられた住宅は、もうあまり残っていない。
羽目板と塗り壁の雰囲気が良い。このような外壁も、最近はなかなか見ることが出来ない。
ガラス引き戸の玄関は、欄間付きだ。
玄関に入ると下駄箱上に棟札が飾られていた。改修工事の際にでも、取り外されたのだろうか。
内部は土足で入るのをためらうくらいであるが、流石にカフェ店舗部分の板の間は、張替えられたものだと思う。
当時としては結構な金額をかけた住宅だったのではないだろうか。細部の納まりを見ていると、あっと言う間に時間が過ぎた。
「葦笛洞」
設計者:? 竣工:1951年 小樽市銭函2-30-3
小樽市は道内でも歴史的建築物が多く残る街である。しかし、それら歴史的建築物を維持補修するための、市の予算は極めて少ないようだ。PRESS CAFÉが入っている「旧渋澤倉庫」のオーナーからもそのような話を伺ったことがある。小樽市の歴史的建造物に指定された建築を、上手く利用している好例がある。「(旧)岡川薬局/Café White」は建築家・クリエイティブディレクターの福島慶介氏が2009年に建物を購入し、2010年から営業を開始した建築で、Caféの他にイベントスペースやギャラリー、宿泊施設としても使われている。
屋根形状は四方が折れ屋根形状のマンサード屋根である。薬局時代の店舗部分は天井がとても高く、現在はその空間を利用して2階に渡るカフェスペースとしている。
カフェスペースは建築家であるオーナーのデザインが秀逸である。白を基調とした空間は吹き抜けを中心として構成されていて、実際の床面積よりとても広く感じる。吹き抜け部2階は壁面を利用するように客席が配置されている。まるで、小樽に多く残る歴史的銀行建築の、縮小版のようだ。
パントンチェアやイームズのロッキングチェアも白で統一されている。
Café Whiteの名の通りである。
テレビで紹介され、訪れた日には多くの客で賑わっていた。PRESS CAFÉもそうだが、歴史的建築物が用途を変えてでも大切に使い続けられることは、とても良いことである。日本の経済はもう長い期間厳しいことになっている。このように多くの歴史的建築物の保存が、民間の企業や個人の力に頼っている現状は、何とかならないかと思う。
「(旧)岡川薬局/Café White」
設計者:? 竣工:1930年 小樽市若松1-1-7
小樽市指定歴史的建造物
小樽市は昔から運河のイメージが強い街であったが、1983年から埋め立て工事が始まり、現在は半分の幅となってしまった。しかし、「PRESS CAFE/旧渋澤倉庫」が建つ、北運河部分は当時のままの状態を保っている。この倉庫は3つのブロックから成る建築であるが、運河から見る正面右の倉庫が一番最初に建てられた部分で、1895年の竣工である。その後左側部分が建てられ、その二つを繋ぐように真ん中の大きな倉庫が建てられた。PRESS CAFEはその一番古い部分を使用している。
本日もこの歴史的建築物で、美味しいコーヒーをいただいてきた。窓両側の旗は英国をイメージしたマークでとても恰好良い。
今日もエントランス前の空間にバンデンプラプリンセスが停まっている。
英国車の似合う雰囲気が良い。いつ訪ねてもほっとする。
中に入ると、マスターの渋い笑顔とMG midgetが迎えてくれる。壁に飾ったLOTUSのハンドルはコーティナのものだ。
本日、札幌は夏日だであったが、この木骨石造の建築内部は思いの外、涼しい。勿論クーラーなどは無い。
ただ、厨房内は修行の場だそうな。現在は換気扇を増設したため、以前ほどではないとのことだが、やはり相当暑くなるそうである。
小屋組みが面白い。トラスは用いられていないが、完璧な和小屋組ではない。ちょっと変わった金物を使ったりしていて面白い。
木質を強く感じる内装が、とても落ち着く。メニューもバラエティに富むので、是非味わってほしい。基本はカレー、パスタ、スイーツである。勿論、どれも皆美味しい。
「PRESS CAFE/旧渋澤倉庫」
設計者:? 竣工:1895年(PRESS CAFEの部分)~1910年代 小樽市色内3丁目3-20
「小樽市指定歴史的建造物」
本日、penkou師匠の密命(って、今堂々と書いてますが)を帯びて、小樽へ出動してきました。その使命とは・・・「北の建築家、倉本龍彦氏についてリポートせよ!」
早速、行ってきましたよ、小樽に。もうこの建築の前を何十回通ったことでしょう。(百回以上?)「手造りガラスの店/旧小樽運河工藝館」です。2011年5月に小樽運河工藝館は閉店してしまいましたが、現在は別店舗が使用しています。良かった、良かった。
この建築の竣工は1983年ですから、ポストモダン時代の建築です。灯台のような望楼が特徴的ですね。レンガ色の部分は、レンガでもタイルでもなく、塗装です。
コンクリートの打放しそのままの部分とのコントラストが面白いです。
さて、取り敢えず小樽の倉本建築を1件確認し、その後は当然プレスカフェへ。美味しいコーヒーとチーズケーキをいただきました。
現在、カフェのエントランス前にはバン・プラが停っております。値段は付いていないので、売り物ではないかも・・・。
「手造りガラスの店/旧小樽運河工藝館」
設計者:倉本龍彦 竣工:1983年 北海道小樽市色内2丁目1番19号
第1回小樽市都市景観賞(1988年)
アトリエワンの建築を記事にするのは初めてである。もう何年も前に、塚本由晴氏の講演会を聴きに行った。環境工学にも力を入れて設計なさっている印象を受けたのを覚えている。
この「モカハウス」は1階が店舗、上階が共同住宅である。ネット検索して平面図、断面図を見ると、このファサードの写真よりも遥かに面白い設計だと分かる。
因みにこの写真は、道路からでは良いアングルを得られなかった為、わざわざ東中野駅のプラットフォームまで行って撮影したものである。
「モカハウス」
設計者:アトリエワン 竣工:2000年 東京都中野区1-56-6
こちらの建築も、在京の建築学生なら一度は訪ねてみたいものの一つだと思う。「GAギャラリー」では様々な企画展も行われるし、出版物を眺めているだけでも時間を忘れてしまうだろう。この日も明らかに建築学生といった感じの若い人が、写真撮影を行っていた。何だかとても迫力のある、壁式RC造建築だ。打ち放しの外壁の汚れ具合がまたその迫力に拍車をかけている。個人的には「汚いなあ」と思ったが、これもこの建築が歩んできた歴史と言おうか。
これくらいの方が、若い建築学生は喜ぶかもしれないとも思った。これからも数々の展覧会が行われ、多くの学生さんや建築に関わる人達が訪れるのだろう。
「GAギャラリー」
設計者:鈴木恂 竣工:1983年 東京都渋谷区千駄ヶ谷 3-12-14
これまで歴史的建築物である能楽堂を、いくつか見た。しかし実際に常時、演者が能や狂言を演じている、現代に建てられた能楽堂建築に入ったことは無い。一度はこの「国立能楽堂」のような建築で、能や狂言を堪能したいものだ。この日もツアー客の方々がエントランスに集合していた。海外のオペラ劇場の様に座席毎にモニターが設けられていて、日本語や英語の字幕が表示されるそうだ。
正面ではなく、横の入口には資料展示室や講義室、研修場などの入口が有り、単なる劇場ではなく様々な機能を持った建築である。資料展示室はなんと入場無料。能、狂言を観て資料展示室も見る。そんなゆとりあるスケジュールで上京したい。無理かな・・・。
「国立能楽堂」
設計者:大江宏 竣工:1983年 東京都渋谷区千駄ヶ谷4丁目18-1
この建築もポストモダンの系譜と言える。正確にはモダニズムがずっと続いているのだと思う。以前、六角鬼丈氏設計の「東京武道館」近くに住んでいた。勤めていたゼネコンの寮が在ったのである。東京武道館は凄いデザインだなと思っていた。この「杉並区役所阿佐ヶ谷出張所+杉並区「 知る区ロード」休憩所はなのオアシス」は東京武道館よりも後の竣工だが、まだまだ大人しいデザインではないし、竣工後もう20年近く経っているが子供達の元気な声で賑わっていた。活気が有って、長く利用されることは何よりである。ポストモダンのちょっと変わったデザインが、子供達の心に残ってくれれば更に嬉しい。
さてところで、実はトップの写真に写っている左隣の建築は、吉村順三氏の「阿佐ヶ谷の家」だ。流石に個人住宅なので、正面の写真などは掲載を控えたいと思う。木の陰に隠れているし、まあ写ってしまったということで・・・。勿論吉村建築の雰囲気は、大変よく醸し出されていた。
「杉並区役所阿佐ヶ谷出張所+杉並区「 知る区ロード」休憩所はなのオアシス」
設計者:六角鬼丈 竣工:1993年 東京都杉並区阿佐谷北2-18-17
何だか凄いことになっている。1988年の竣工であるから、丁度ポストモダンや野武士建築家の方々の勢いが凄かった頃だと思う。私も建築学生になろうとしていた頃だ。こういう建築を設計しなければいけないと思っていた。凄い時代だったなあ・・・、と思う。
この「HAMLET(ハムレット)」は集合住宅ということだが、小口側には店舗の看板も掲げてあった。イメージはシートで覆われた建築。最上部の穴は風を逃がす為のものなのだそうだ。
竣工後、四半世紀が経過した訳だが、このようなシートを多用した建築のメンテナンスは、とても大変そうだ。実際はどうなのだろう。
「HAMLET(ハムレット)」
設計者:山本理顕設計工場 竣工:1988年 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-20-8
こちら「代々木フォレストビル」も、「西新宿フォレストビル」同様、坂倉建築研究所による設計で目を引く外装材を使用している。竣工はこちらの方が5年ほど先である。青く輝くタイルと、やはり青系に反射するガラスとで、この辺りでは目立った存在である。
この建築の周囲を歩いてみると分かるが、この建築の形状は見る方向によって、大きく変化する。鋭く見えたり、屏風のようであったり、ボリュームを感じたり様々であった。
「代々木フォレストビル」
設計者:坂倉建築研究所 竣工:1987年 東京都渋谷区千駄ヶ谷5-18-20