東京駅が長い改修工事を終えたということで、早速見に行った。話第になった、空中権売買による費用捻の成果を見ることが出来たのだが、とても綺麗に復元されていた。内部の写真も載せたいと思う。
左右のドーム内部、天井の装飾が、これまたとても綺麗であった。
駅構内には、資料展示箇所もいくつか有って、オリジナルの赤レンガを見ることも出来る。
当日は、沢山の人々が、あちこちで写真撮影を行っていた。「東京駅が再び『名所』となったのだな」などと思いながら、自分も沢山シャッターを切った。
「東京駅」
設計者:辰野金吾 竣工:1914年 東京都千代田区丸の内1丁目
国の重要文化財
この建築を一目見て、一時期流行したリチャード・ロジャースなどに代表される“ハイテク建築”っぽいなあと感じた。1992年の竣工であるから、丁度このように金属の素材がよく使われていた頃だと思う。下の写真で、ちょっと分かり辛いかもしれないが、左側壁面にはガラスが用いられている。
坂倉建築研究所の設計であるが、当然その時代の波に乗ったものも創るということだ。当たり前だが・・・。
「西新宿フォレストビル」
設計者:坂倉建築研究所 竣工:1992年 東京都新宿区西新宿4-32-12
自分は千駄ヶ谷という土地に、馴染み深いものがある。ゼネコンの現場監督1年目にお世話になった所長が少林寺拳法四段の猛者で、その所長に連れられ少林寺拳法千駄ヶ谷道院に通うことになったからだ。千駄ヶ谷道院にはUターン帰省するまで通い続けた。しかし稽古は仕事が終わった後からであるから、百回以上も千駄ヶ谷という土地を訪れたのに、明るい昼間にこうして建築を見たのは今回が初めてだった。
千駄ヶ谷という土地でまっ先に思いついたのは「東京体育館」である。改修中ということは知っていたが、訪ねてみることにした。案の定、仮囲いでしっかりと覆われていたが、体育館の屋根部分は見える。また、今年の4月1日には完成予定であることも書かれており、期待感が膨らんできた。どのような改修が施されたのだろう。
中に一度も入っていないというのは失敗だった。改修前後の比較を行いたかったのだが・・・。日比谷図書館もそうだが、モダニズム建築でしっかりと改修工事を受けることができたものは、幸せである。いつかそう遠くないうちに、また訪ねてみたいと思う。
「東京体育館」
設計者:槇文彦 竣工:1964年 東京都渋谷区千駄ヶ谷1丁目17−1
この建築が工事着工する前に、遺跡の調査が行われていた。その調査用のテントには三井建設と印刷してあったので、当時建築学生の4年生で三井建設に就職内定していた自分は、勝手に「ああ、調査後には東京国際フォーラムの建設に、三井建設も関わるのだろうな。」と思い込んでいた。しかし、着工後物凄く多い数のJVの中に三井建設の名称は無かった。施主の名称に三菱地所と有ったので、「何だそうか・・・」と、これまた勝手に納得したのである。
竣工時には当然社会人となっていたのだが、確か一級建築士の受験申込に近くまで来た祭、現場事務所に帰る前にゆっくりと見学したのを覚えている。ガラスの巨大な壁が印象的だった。近くには「有楽町マリオン」も在る為、この辺りの建築群に対するイメージがどうしても〝ガラスの巨大建築”として焼きついている。内部もゆっくり歩いたが、斜めの動線を上に行ったり下に行ったりした印象であった。今回は内部に入っていないが、もし入ったらイメージは変わっていただろうか。
「東京国際フォーラム」
設計者:ラファエル・ヴィニオリ 竣工1996年 東京都千代田区丸の内三丁目5-1
乾久美子氏の「日比谷花壇日比谷公園店」を見た。開店前に訪ねた為、まだロールスクリーンが降りており、開放的な内部を見ることが出来ず残念であったが、外装の素材やその使い方など女流建築家らしく、柔らかい感じで良かった。トップの写真では、後ろに見える村野藤吾氏の「日生劇場」と同化してしまった感じである。反対側から見ると以下の写真の通り。
ネット検索して、スクリーンが上がった写真を見て頂くと、この建築の魅力がよく分かる。販売する植物を主役とし花々を引き立たせる、脇役に徹した建築なのだ。しかも格好良い。
乾久美子さんには、あかりコンペの審査員をして頂き、的確な御講評を頂いた。実は、あの照明器具には『裏コンセプト』が有ったのだが、それをあっさりと見抜かれてしまい、「流石だなあ」と舌を巻いた次第である。
「日比谷花壇日比谷公園店」
設計者:乾久美子 竣工:2009年 東京都千代田区日比谷公園1-1
えーと、風邪ひきました。かなりキツイやつです。ちょっと、まともにキーボードを叩けそうにありませんので、富良野の街の風景なんぞをUPいたします。街外れの住宅街にちょっと変わった建築を発見!その名も・・・
ロータス文化学園!
そう、ロータスは最早文化なのです!あー早く雪、溶けないかなー。(冬になったばかりですが。)
えーと・・・、寝ます。メリークリスマス!
倉本聰さんの脚本、寺尾聰さん、嵐の二宮さん出演のテレビドラマ「優しい時間」に使われた喫茶店「森の時計」は、実際に富良野の山中に建っている。山中と言っても富良野プリンスホテル敷地内に在るのだが。2005年、ドラマの為に建築され、その後はずっと営業し続けている。夏の休日などは、物凄い客数なのだそうだ。この喫茶店のウリは、ドラマ同様に自分でコーヒー豆を挽き、それをドリップしてもらうのである。
訪れた初冬の日には、客数は少ない方であったが、それでも待っている人が気になり、早目に出てきてしまった。夏はもう、皆一生懸命に豆を挽いて、一生懸命に熱いコーヒーを飲み、汗を掻きながら坂道を登って帰路につくのである。その坂道の勾配がどれくらいかと言うと・・・
これくらいである。道はしっかりと?整備されていて、この笹薮の中を登るわけではないが。
うっすらと初雪が降った笹薮を借景として、ゆっくりとコーヒーを頂く。なんとも贅沢な時間だ。後ろに待っている大勢のお客さんが居なければ・・・。
現在、北海道は本格的な雪のシーズンに突入し、トップの写真のような風景ではなくなっている。富良野で建築探訪を行った日は、旭川で初雪の降った日だった。
富良野市内に「渡部医院」という洋風建築が建っている。大正12年完成の建築で、現在も営業されている綺麗な洋館だ。角先生の著書によると、入口上部のバルコニーは撤去されたようだが、それ以外は大きな改修工事も行われていないようで、このような洋館が綺麗に使われ続けているのは嬉しい限りであった。病気になったら中に入れるが・・・。
「渡部医院」
設計者:? 竣工:1923年 富良野市本町1-10
m様、penkou師匠、登別の方々に御心配くださり有難うございます。北海道では冬に何か有ると、生命の危機を感じると再認識いたしました。今朝も雪かきから一日が始まり、いよいよ冬本番となりました。
さて、この建築は「YAMADORI」という焼肉レストランであるが、旧名称は「河村合名酒造」で、酒蔵建築であった。富良野市街地にも石造や煉瓦造の建築がいくつか残っていて、このレストランに隣接する民家も、雰囲気ある煉瓦造建築である。
民家であるから詳しい写真は掲載出来ないが、住み心地はどのようなものだろうかと興味を引かれる。軟石のレストランの方は、当然入れるのだが富良野牛の焼肉レストランということで、入るのを躊躇ってしまった。財布が「寒い寒い」と主張してきたものだから・・・。雪も降っていて、実際に寒かった。
「YAMADORI/河村合名酒造」
設計者:? 竣工:1911年 富良野市朝日町4-22
角先生の「旭川と道北」の建築探訪にも記載されている「富良野市中央公民館八幡丘分館/旧富良野市立八幡丘小学校」を見た。実は富良野市内から、麓郷という場所へ向かう道すがら偶然見つけたのだが。この辺りは本当に田舎路なので、住所が記載されていても地元民でなければ、それが何処なのか皆目見当がつかない。発見出来てラッキーだった。
今回は「北の国から」や「やさしい時間」、「昨日、悲別で」など倉本聰さん脚本のドラマに縁のある建築を沢山観たのだが、実はこの建築もそうだ。純君や蛍ちゃんが通う小学校として使用された。しっかりとメンテナンスされて現在も綺麗に使われているが、竣工は1931年とのこと。屋根が3段階に折れているのでギャンブレルと言って良いか分からぬが、北海道らしい建築だと感じた。
「富良野市中央公民館八幡丘分館/旧富良野市立八幡丘小学校」
設計者:? 竣工:1931年 富良野市八幡丘
前回の記事より、また随分と日が経ってしまった。かろうじて1ヶ月を過ぎることはなかったが・・・。「これではいけない・・・」と反省することしきりである。
前回、岩見沢駅の新駅舎の写真をUPした。今回は、隣接した敷地に建つ「岩見沢レールセンター/旧北海道炭礦汽船鉄道岩見沢工場」の写真をUPする。この建築は、日本建築学会の「建築学的に貴重な全国2000棟の建物」の1棟に選ばれているが、現在も現役で稼働するレールの加工工場だ。外観はレンガ造で、屋根部分にトラスが組まれている。以下の写真に見えるペディメント部分の五稜星は、北炭のシンボルマークだそうである。札幌ビールなど五稜星をシンボルのモチーフに使用する例は、北海道内では多いと思う。
現役の工場であるから普段は内部見学出来ないが、この日は鉄道関係のトークイベントが行われており、内部にも入ることが出来た。流石にイベントの風景を撮影するのは気が引け、ステージと反対側を撮影した。以下の写真がそであるが、本当はこの反対側に、現役の機械群が沢山設置されている。
建築年は不明であるが、1982年(明治25年)に開通した岩見沢・室蘭線の車両製造、修理の為に建てられたとのことだ。外壁のレンガの色が、柱部分では濃くなっている。その理由を調べてみたいと思っている。(が、現在時間が無い。泣)
「岩見沢レールセンター/旧北海道炭礦汽船鉄道岩見沢工場」
設計者:? 竣工:?年 岩見沢市有明町中央
今日まで北海道の空知にある岩見沢市の「岩見沢駅」で、様々な催しが行われていた。「岩見沢駅舎」はコンペで西村浩氏が勝ち、設計された建築である。2010年には日本建築学会賞を受賞しているしその他様々な賞も受賞されていて、北海道内で注目されている作品だ。内部外部にレンガをふんだんに使用しており、これは嘗て岩見沢駅近辺に多くのレンガ造建築物が在ったことと関連付けたものだという。この新駅舎の前に建っていた1933年建築の先代駅舎は木造の歴史的建築物であったが、漏電で2000年に焼失してしまった。
駅内部の天井や柱はRCの打放しをそのまま見せているが、レンガと違和感が無く重さも感じさせないデザインである。
線路の上を渡る高架通路により北口へ行ける。その先に、今回様々な催しものが行われたレールセンターが建っているのだが、これは後日UPしたいと思う。嘗ての岩見沢駅周辺に数多く存在していたレンガ造の歴史的建築物である。
「岩見沢駅舎」
設計者:西村浩 竣工:2009年 岩見沢市有明町南1番地1
2009年グッドデザイン大賞
2010年日本建築学会賞
2010年BCS賞
penkou師匠のブログで構造家、木造構法研究家の増田一真氏について述べられていた。間伐材に関する事なのだが、秋田で見た大断面集成材建築「大館樹海ドーム」を思い出した。秋田では、伯父貴の同級生である八峰町町議会議員さんと、木材について随分熱く語り合ってきた。秋田はなんと言っても杉である。北海道では育たないので馴染みは薄いが、地元の人達にとって「秋田杉」は誇りなのだ。しかしやはり全国的に林業は衰退してきているので、ここでも「何とかしなければ」という言葉を沢山聞いた。集成材などに多く利用される北海道の松を、羨ましく思ったことも有ったという。当の北海道民(私)は「そんなでも無いのだけどなあ・・・」と思っているのだが。
大館樹海ドームは日本一大きな木造建築で、大断面集成材の代名詞のような建築だ。
中から見上げると「木造でもここまでやれるのだ」と感心する。秋田と言えば重たい雪が降る土地である。木の力を思い知った。
このドーム一つだけではなく、もっともっと発展させた様々な木造建築を見たいものだ。
「大館樹海ドーム」
設計者:伊東豊雄 竣工:1997年 大館市上代野字稲荷台1-1
1997年度芸術選奨文部大臣賞
1999年BCS賞
夏が終わり、すっかり肌寒い季節となった。今夏は東京や道南、秋田へも出掛けたので、久しぶりに記事を沢山書く事が出来た。しかし、探訪した建築もいよいよ底を突く。となるとやはり「困った時の小樽頼み」である。本日の建築は「旧塚本商店」だが、何だかお世辞にも綺麗な建築とは言えそうにない。この建築が何故、小樽市指定歴史的建造物に指定されているのかと言うと、大火の多かった小樽市に在って、防火構造の先駆として外壁をコンクリートで塗り固めているからである。開口部も防火戸なのだそうだ。
見た目は薄汚れた感じだが、建築は見かけによらないのである。
「旧塚本商店」
設計者:? 竣工:1920年 小樽市色内1丁目6-27
小樽市指定歴史的建造物
第一回小樽市都市景観賞
K君とのツーリング途中に立ち寄った江差の街中で、丁度お祭りに出くわした。10以上の山車が集結し、これから街中に繰り出すところであった。帰札後調べたところ、13もの山車が集まるらしい。これらの山車は普段、以下の写真のような蔵に収納されているようだ。蔵の中を見ることは、なかなか出来ないので幸運である。
内部には木の骨組みが組まれている。外壁は下見板張りであった。新しい蔵なので、基礎部分はRC造である。一見すると、土蔵プラス養生の羽目板かな?と思ったのだが面白い造りであった。