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**アカシアの木蔭で**

流れていく時間と逆らわずに流れていく自分を、ゆっくりペースで書いて行こうと思います

最期に出来ること

2005年03月01日 | 病棟
志津さんが、退院して三日目に救急車で戻ってきました。けれど、誰も驚きません。いつまで自宅で過ごせるか、一分一秒が重たい状況での退院だったからです。奥まった個室は、志津さんとご家族の為に用意が整っていました。

 志津さんは89歳。胃癌で全摘出術を受けましたが、再発。癌の広がりを見る血液検査では、基準値37のところを10000overと、すでに手の施しようがない状態です。食べ物は喉を通らず、わずかの水を含むのみ。点滴を500mL3日したら、腹水が800mL貯まります。基礎代謝分は 到底足りていません。幸いなことに、吐き気とお腹の張りの他に痛みは無く、家族は告知しない事を選びました。退院前に腹水を抜いて少し楽になった志津さんは、「もうすぐ春ですね。車椅子で花見に行きたいわぁ」と笑顔を見せましたが、家族も私たちも叶わぬ願いと知りつつ、「ほんとにね」と笑顔を作って返したのです。少しでも長く この状態が続きますように・・・。

 退院後は 朝点滴を持って先生が往診し、それが落ちきる頃にヘパ生(ヘパリン+生理食塩水)の注射器とアルコール綿を持って、看護婦が点滴を止めに伺います。ご自宅が近いので、白衣のまま駅を突っ切って駆け足です。先日伺った時は、「あ、大好きな看護婦さんが来てくれた!」と笑顔はありましたが、また貯まった腹水でお腹がパンパンになり 随分苦しそうでした。横になるのも辛い様です。おしっこも出ていません。「やっぱり最期まで家で見るのは つらいかもしれない・・・。」と 玄関先で家族も弱気になっていました。 「いつでも先生に相談してね」と話し、帰ってから院長とスタッフにも伝えていたのです。

 入院してすぐ、志津さんはぐんと悪くなりました。血圧は40~50台の触診のみ、声も出ずうつらうつらとしています。時折顔をしかめ、小さな声で背中やお尻の痛みを訴えます。もう肉のない骨ばかりの小さな体には、柔らかいベッドやクッションですら当たって痛いようです。 血圧が落ちてしまうかも知れないけれど、麻薬や鎮痛剤の座薬を使うように指示が出ました。部屋ではお孫さんがベッドに上がり、座った志津さんを後ろから抱え込むように人間座椅子になっています。薬がちっとも効かないようで、苦しい表情のまま。象のような浮腫んだ足がぴくぴくと痙攣しています。血中のカリが7.8もあるんだもの、いつ心臓の筋肉も痙攣するか分からない・・・。出来ることは・・・。
 情けないけれど 足をさすりました。家族ももう一方の足をさすり始めました。ただもくもくと30分、足の先からお尻にかけて。「・・・ああ、気持ちいい・・・ありがとう・・・わるいね・・・」か細く息を漏らすように 志津さんが言いました。( 悪くなんて ないよ。大好きな人のために何かさせてもらえるのは 幸せなことなんだから )  マッサージを家族と替わって病室を出ました。・・・泣きそうでした。

 その日の夜、志津さんは亡くなりました。苦しい表情は消え、一番綺麗に見えるようにと家族が用意したスーツを着せて送り出したそうです。天国に行く前に、桜、間に合うかな。咲き誇る桜を楽しんでから天国への階段、昇って下さいね。


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