井上史雄著『日本語ウォッチング』岩波新書(1998)
およそ四半世紀前の著書、筆者の専攻は社会言語学・方言学、執筆当時、50代半ばの研究者だった。
最終章の次の文章に違和感を覚えた。
「ことばは生き物ともいわれ、つねに変わる。(中略)現代の、目前で起きているとれとれの現象としての言語変化が、まず若い人に現れ、世代差として目に映っているのだ。」
違和感を覚えた箇所は「とれとれの現象」という言い方だった。
日本語話者であれば普通、「とる」という動詞を使うのであれば、「とれたての現象」という言い方をするのではないか。ただし、「とれたての野菜」とはいうけれど、「とれたての現象」という言い方は
日本語としては馴染まない言い方なのではないか、とも思われた。
「現代の、目前で起きている」新奇な言語現象を「とれとれの現象」という斬新な言い方で示したのは著者の意を酌めば表現性の強調なのだ、と捉え直すこともできる。
たとえば「萌える」という動詞を使った「萌え」よりも「萌え萌え」のほうがより強く意味を表出できるようになるのと同じ仕組みなのだと考えられる。