■まず日本語(カナ)表記について■
今回からは記事内部での表記を、〈ヒグズ・ボゾン〉と「普通の英語発音」に近づけることにする。その方が入力しやすいから。
■ヒグズ・ボゾンの発生条件についての「?」■
いろいろな解説記事では、ビッグバン直後にはヒグズ空間(ヒグズ・ボゾン素粒子が存在し作用する空間構造)は存在せず、そのとき存在した素粒子は、したがって質量を備えないので光速で飛び回っていた、と説明している。
それからしばらくして、ヒグズ空間構造が形成された。すると、素粒子はそれぞれの性質(構造)によってヒグズ・ボゾンと相互作用して質量を発現するようになり、運動速度は減殺されていき、素粒子は相互に接近し合い結合するようになる、というわけだ。
ところで、相対性宇宙論によれば、ビッグバンののち、宇宙空間は時間とともに膨張拡大していくという。
では、この膨張拡大過程のなかで、空間の大きさに比例してヒグズ・ボゾンの量も増大していったのだろうか。
もし、ヒグズ・ボゾンの量が一定ならば、宇宙空間の膨張とともに、ヒグズ・ボゾンの分布密度は急速に低下していくことになる。
しかし、現在でもこの宇宙空間に1立法センチメートルあたり1050個というような高密度で存在しているという仮説が正しいとすれば、ヒグズ・ボゾン粒子の量は宇宙の膨張拡大とともに増大してきた、ということになるだろう。
ということは、宇宙空間の拡大とヒグズ・ボゾンの量の変化とのあいだには、何らかの比例関係にあるということになるだろう。
そうなると、宇宙空間の膨張とヒグズ・ボゾンの存在量とのあいだに、どのような関係性があるのか?
同時に、そもそも〈宇宙空間の膨張拡大〉とは、いったいどういう事態を意味するのか、この難問がのしかかってくることになる。
■「宇宙空間」なるものについての「?」■
たとえば、「宇宙空間の外部」に光子の飛翔は可能なのか?
「外部」とは素粒子や熱、電磁波、力の作用などがない空間なのだが、光や素粒子、熱、電磁波は「外部」に「自由に」拡散できたのだろうか。光などは、宇宙の構造がないところを運動できるのだろうか。
つまり、素粒子が高速で飛び回るとすれば、ビッグバン後の重力中心から「外に向かって」光などの素粒子が飛翔拡散するとして、そういう素粒子や作用が到達する場所が中心から遠ざかることが「宇宙空間の膨張」ということなのだろうか。
それとも、この宇宙空間の外部には、内部と異なる構造が存在して、内部からの素粒子や力の作用を妨げているのだろうか。それとも、何の抵抗や障害もなく、内部の物質や力は外に向かって作用できるのだろうか。
これは、宇宙の基本性質についての、ごく素朴だが根源的な疑問だ。
そうだ(外部に自由に拡散できる)とすれば、宇宙空間は光の到達点の膨張という形で現象することになる。つまり、この宇宙は光の速度に比例して膨張拡大していることになる。
ただし、このイメイジは、宇宙空間の外部でも、光の速度は不変一定だという前提が成り立つとしてのことだが。
とはいえ、私たちが理論的に仮定し観測可能なのは、この宇宙の内部だけの事象だから、外部にとって「この宇宙の膨張」がどういう形をとるかは、そもそも問題となりえないのかもしれない。
■ヒグズ・ボゾンは宇宙の基本構造なのか■
さて、ヒグズ空間が生成してからこのかた、この粒子の存在密度・分布状態は一定だったのだろうか?
一定でないとすると、ビッグバンののち、どこの時点で観測したかによって、一般の素粒子とヒグズ・ボゾンとの相互作用の仕方には違いが生じてしまう。
ヒグズ空間の生成直後からずっと、前述の密度でヒグズ・ボゾンは存在分布してきたのだろうか。
この密度の相違があるとしたら、そのことによって素粒子の質量の発現=発生の仕方に変化はあるのか。
というふうに、ヒグズ・ボゾンの密度が一定(または密度の相違によっては、質量の変異はまったく生じないと仮定するか)だと仮定しないと、たぶん、ヒグズ理論は成り立たないのではなかろうか。
時間とともに質量の発現形態に変化が生じるとすると、問題はとてつもなく難しくなってしまう。というのも、1光年前の質量と現在とでは、素粒子の質量に変化が生じたとすれば、もはや共通の観測=分析尺度がなくなってしまうだろうからだ。少なくとも、私の頭脳ではもう追いつけない。
ところで、ヒグズ・ボゾンはものすごく高密度で存在分布しているということだが、このボゾンは運動しているのか、それとも動かないのか。
「素粒子にヒグズ・ボゾンがまとわりつく」という比喩的表現をそのまま理解すれば、ヒグズ・ボゾンはからみついた素粒子にくっついて動きそうなものとイメイジできるのだが。
それともボゾンは動かずに、ただ単に、通り過ぎる素粒子の運動を妨げる「不動の障害物」となっているのか。
不動の場合には、この宇宙空間のなかに不動の静態的構造を持ち込むことになるだろう。
それは、「膨張する宇宙」観とは両立しない。
逆にもしヒグズ・ボゾンが運動・流動しているとすると、その動きによって素粒子の運動や作用に変異は生じるのか。この問題を考える前提として、そもそも素粒子そのものの性質=構造に照応してヒグズ・ボゾンの絡みつき度合いが規定されるという見方を検討しなけれならない。
質量のあり方は、そもそも素粒子の性質=構造によって規定されていて、この質量の発現=発生の仕方をヒグズ・ボゾンとの相互作用が支配決定するということのようだ。
より多くのボゾンをからみつかせる性質をもった素粒子は質量が大きくなり、運動速度がそれだけ低下するということだ。たとえば、陽子は電子よりもはるかに大きな質量を発生する性質=構造をもつのだという。
それは、陽子の方が巨大だからそれだけボゾンによる抵抗=摩擦が大きい、というような単純な仕組みではないのだろう。
考え方としては、ヒグズ・ボゾンは素粒子の内部を素通りできるとすればどうだろう。ただし、「素通り」でも、素粒子の内部構造に応じて絡みつき運動を阻害する仕方が異なるようになっているとか。
というわけで、解説記事を読むたびに、疑問が増えていくことになっている。
今回からは記事内部での表記を、〈ヒグズ・ボゾン〉と「普通の英語発音」に近づけることにする。その方が入力しやすいから。
■ヒグズ・ボゾンの発生条件についての「?」■
いろいろな解説記事では、ビッグバン直後にはヒグズ空間(ヒグズ・ボゾン素粒子が存在し作用する空間構造)は存在せず、そのとき存在した素粒子は、したがって質量を備えないので光速で飛び回っていた、と説明している。
それからしばらくして、ヒグズ空間構造が形成された。すると、素粒子はそれぞれの性質(構造)によってヒグズ・ボゾンと相互作用して質量を発現するようになり、運動速度は減殺されていき、素粒子は相互に接近し合い結合するようになる、というわけだ。
ところで、相対性宇宙論によれば、ビッグバンののち、宇宙空間は時間とともに膨張拡大していくという。
では、この膨張拡大過程のなかで、空間の大きさに比例してヒグズ・ボゾンの量も増大していったのだろうか。
もし、ヒグズ・ボゾンの量が一定ならば、宇宙空間の膨張とともに、ヒグズ・ボゾンの分布密度は急速に低下していくことになる。
しかし、現在でもこの宇宙空間に1立法センチメートルあたり1050個というような高密度で存在しているという仮説が正しいとすれば、ヒグズ・ボゾン粒子の量は宇宙の膨張拡大とともに増大してきた、ということになるだろう。
ということは、宇宙空間の拡大とヒグズ・ボゾンの量の変化とのあいだには、何らかの比例関係にあるということになるだろう。
そうなると、宇宙空間の膨張とヒグズ・ボゾンの存在量とのあいだに、どのような関係性があるのか?
同時に、そもそも〈宇宙空間の膨張拡大〉とは、いったいどういう事態を意味するのか、この難問がのしかかってくることになる。
■「宇宙空間」なるものについての「?」■
たとえば、「宇宙空間の外部」に光子の飛翔は可能なのか?
「外部」とは素粒子や熱、電磁波、力の作用などがない空間なのだが、光や素粒子、熱、電磁波は「外部」に「自由に」拡散できたのだろうか。光などは、宇宙の構造がないところを運動できるのだろうか。
つまり、素粒子が高速で飛び回るとすれば、ビッグバン後の重力中心から「外に向かって」光などの素粒子が飛翔拡散するとして、そういう素粒子や作用が到達する場所が中心から遠ざかることが「宇宙空間の膨張」ということなのだろうか。
それとも、この宇宙空間の外部には、内部と異なる構造が存在して、内部からの素粒子や力の作用を妨げているのだろうか。それとも、何の抵抗や障害もなく、内部の物質や力は外に向かって作用できるのだろうか。
これは、宇宙の基本性質についての、ごく素朴だが根源的な疑問だ。
そうだ(外部に自由に拡散できる)とすれば、宇宙空間は光の到達点の膨張という形で現象することになる。つまり、この宇宙は光の速度に比例して膨張拡大していることになる。
ただし、このイメイジは、宇宙空間の外部でも、光の速度は不変一定だという前提が成り立つとしてのことだが。
とはいえ、私たちが理論的に仮定し観測可能なのは、この宇宙の内部だけの事象だから、外部にとって「この宇宙の膨張」がどういう形をとるかは、そもそも問題となりえないのかもしれない。
■ヒグズ・ボゾンは宇宙の基本構造なのか■
さて、ヒグズ空間が生成してからこのかた、この粒子の存在密度・分布状態は一定だったのだろうか?
一定でないとすると、ビッグバンののち、どこの時点で観測したかによって、一般の素粒子とヒグズ・ボゾンとの相互作用の仕方には違いが生じてしまう。
ヒグズ空間の生成直後からずっと、前述の密度でヒグズ・ボゾンは存在分布してきたのだろうか。
この密度の相違があるとしたら、そのことによって素粒子の質量の発現=発生の仕方に変化はあるのか。
というふうに、ヒグズ・ボゾンの密度が一定(または密度の相違によっては、質量の変異はまったく生じないと仮定するか)だと仮定しないと、たぶん、ヒグズ理論は成り立たないのではなかろうか。
時間とともに質量の発現形態に変化が生じるとすると、問題はとてつもなく難しくなってしまう。というのも、1光年前の質量と現在とでは、素粒子の質量に変化が生じたとすれば、もはや共通の観測=分析尺度がなくなってしまうだろうからだ。少なくとも、私の頭脳ではもう追いつけない。
ところで、ヒグズ・ボゾンはものすごく高密度で存在分布しているということだが、このボゾンは運動しているのか、それとも動かないのか。
「素粒子にヒグズ・ボゾンがまとわりつく」という比喩的表現をそのまま理解すれば、ヒグズ・ボゾンはからみついた素粒子にくっついて動きそうなものとイメイジできるのだが。
それともボゾンは動かずに、ただ単に、通り過ぎる素粒子の運動を妨げる「不動の障害物」となっているのか。
不動の場合には、この宇宙空間のなかに不動の静態的構造を持ち込むことになるだろう。
それは、「膨張する宇宙」観とは両立しない。
逆にもしヒグズ・ボゾンが運動・流動しているとすると、その動きによって素粒子の運動や作用に変異は生じるのか。この問題を考える前提として、そもそも素粒子そのものの性質=構造に照応してヒグズ・ボゾンの絡みつき度合いが規定されるという見方を検討しなけれならない。
質量のあり方は、そもそも素粒子の性質=構造によって規定されていて、この質量の発現=発生の仕方をヒグズ・ボゾンとの相互作用が支配決定するということのようだ。
より多くのボゾンをからみつかせる性質をもった素粒子は質量が大きくなり、運動速度がそれだけ低下するということだ。たとえば、陽子は電子よりもはるかに大きな質量を発生する性質=構造をもつのだという。
それは、陽子の方が巨大だからそれだけボゾンによる抵抗=摩擦が大きい、というような単純な仕組みではないのだろう。
考え方としては、ヒグズ・ボゾンは素粒子の内部を素通りできるとすればどうだろう。ただし、「素通り」でも、素粒子の内部構造に応じて絡みつき運動を阻害する仕方が異なるようになっているとか。
というわけで、解説記事を読むたびに、疑問が増えていくことになっている。