映画に 乾杯! / 知の彷徨者(さまよいびと)

名作映画に描かれている人物、物語、事件、時代背景などについて思いをめぐらせ、社会史的な視点で考察します。

野田政権の迷走  国会=内閣政治の暴走

2012-07-26 21:29:00 | 現代日本社会
■将来世代への禍根を山積みする政治は続く■

 野田首相は、消費税増徴の政策をぶち上げるにあたって、「将来世代にツケを回さないために!」という根拠=論法を振り回してきた。
 だが、日本の経済全体を組み換え、行財政システムの根本的組み換えをおこなわなければ、あるいはそれが無理なら消費税率を40%くらいに上げなければ、国家と地方政府合わせて1000兆円になる公的債務を返済する見込みは立たないはずだ。
 どうやったって、500年以内に公債を目に目る形で償還する道はない。これが経済と財政危機の現状である。

 こうして、どうやったって無理な債務返済のために、将来世代に禍根を残さないという口実で増税政策を強行する政権。だが、もっと明白に「将来世代に禍根を積み上げる」ことになる政策(意思決定)を堂々と押し通している。
 原子力発電(もっと正確に「核燃料発電」というべきだ)に関する決定だ。
 原発の稼働はどうしても、核燃料の燃え滓であるプルトニウムという恐ろしい核物質(放射線だけでなく化学的毒性が恐ろしく高い重金属で、核分裂による半減期は2万4000年)を確実に積み上げていく。
 ほんのわずかな量で、放射線以前に化学的毒性によって何百万人もの命を奪う。そのうえ、放射線によって、その数十倍の生命を破壊する。核兵器の原料である。7万年経ても、まだ8分の1以上が残るのだ。いったんつくり出したら、もはや人類史が続く限りなくならないわけだ。
 半減する期間に、原子核の崩壊つまり放射線の放出をずっと活発に続けるわけだ。

 今現在、世界中にある燃え滓プルトニウム総量は、人類とそのほかの生命を何千回も絶滅させられるほどの量になっているという。
 フクシマの原発事故を見て原子力発電をなくしていくという政治的決定をしたドイツは、すでに蓄積されたプルトニウム(燃え滓)のあつかいに苦悩し、当面解決の見込みが立たないという。これまで保管してきた地下坑道から地下水脈ないし帯水層への漏えいが発覚したことで、安全な保管方法の見込みが絶望視されている。

 核燃料発電を続けるということは、要するに将来世代の人類の生存にとって「禍根」どころではない災厄の原因を積み増していくということだ。
 もとより、政権は「原子力発電への依存率を将来、できる限り減らすという条件で」と言ってはいるが、再稼働の決め方から見て、信用ならない。

 化石燃料(CO2)の排出量を抑制するためという理由を出してもいる。だが、原発が放出する排熱の総量は、同じ電力を化石燃料で創出した場合の二酸化炭素の保温効果をはるかに超える量となることは、専門家の誰も公言しない。
 大気中や海水に捨てられる熱量は、ものすごい量になっている。二酸化炭素の保温効果よりも、ずっと直接に対気温と海水温を上昇させ続けているのに。


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