若き日、社会と歴史のリアルな認識にアプローチすべく苦悩し、模索した学問研究上の経験を、引き続いて回想する。社会学・社会科学・社会史から見た場合の方法論の彫琢の試みを。「矛盾」カテゴリーとか「歴史観」などについて語る。 . . . 本文を読む
20世紀後半から末にかけての、私の社会学・社会科学(社会史)研究の試行錯誤と模索を回想する。法理論の研究から始めて、やがて「社会=世界」のトータルな認識の必要性を痛感する。そして、その方法論を求めて浮遊・彷徨する。 . . . 本文を読む
中世晩期から近代に向かう歴史の実証的研究成果は、近代社会を認識するパラダイムを崩していった。それは、明治以降の日本のアカデミズムや教育のなかで土台=前提とされてきた歴史観や社会観、国家観の(右派から左派まで)見直し、組み直しを求めている。細部については、個別専門の研究者が歴史像や社会像の転換・組み換えを達成しているが、大きなパラダイムには手着かずのままだ。 . . . 本文を読む
いよいよ20世紀の「世紀末」を迎えた。日本は、世界通貨システム=世界金融の陥穽にはまって、「バブル」、すなわち名目経済の泡のような膨張と破裂・収縮を経験した。一方、ソ連・東欧では「社会主義レジーム」が崩壊した。これらは、人類社会にとって、現実に取りうる選択肢の幅が存外に狭いことを知らしめた。世界経済は、金融カジノが実物経済を振り回す様相を呈し始めた。 . . . 本文を読む
「20世紀後半」といえば、私の半生に重なる。その時間の流れのなかを漂ってきた私の眼から観た「世の中(世界情勢、日本の世相、社会心理、できごとなど)」の動きの断片を、気の向きままにつづってみる。 . . . 本文を読む