高樹のぶ子のSIAブログ
石灯籠
台風が去って、すこししのぎやすい・・と思ったのもつかの間、
今日はまた暑さがぶり返しています。
政局が一段と盛り上がっていますが、ちょっと一息ついて、こんな石灯籠など
いかがですか?
あるお料理屋で見つけて写真に撮って来たのですが、ほとんど崩れかかっています。
ちょっと珍しい姿をしているので、どこから来たものですか、と訊ねたけれど、
何しろ古いだけで・・と持ち主もご存じなかったです。
もしかして、隠れキリシタン?などと想像してみたのですが、その方面の知識も
なくて、残念。
灯籠はもちろん、中に火をともすためのモノですが、良く考えると、明かり取り
としてはあまり効率がヨロシクなさそうですね。だって、この中にロウソクや
油を入れても、周囲を照らす力はなさそうですし。
それ以上に、やはりガーデニングオブジェとして、日本の美を体現させたの
だと思います。
であれば、やはり庭の王者である松とか梅などに似合うのが当然なわけで。
それにこの灯籠を見て思ったのは、植物は生き生きと枝を伸ばしているのが美しい
けれど、灯籠は逆に、古びて表面なども風雨で傷んでいるのが風情があります。
その対照の妙が日本の庭を美しくしていますよね。
これがツルツルの御影石の灯籠だったら、興ざめです。
墓石もそんな気がしています。
高級な黒御影なんかで、「さあ、立てましたよ~」という感じは、立てた人には
自慢かも知れないけれど、どうも、ご先祖さままでが、成金趣味みたいな気が
してしまい・・
亡くなった人を偲ぶ気にならないのは、ひねくれ者でしょうか。
自分がどんなお墓に入りたいか・・と自問するに、そんな高級なお墓ではないし、
石の下に埋められるのも、なんだかね・・
出来れば、樹木葬がいいですね。
一年に一度花咲く樹。その下で、お弁当などみんなで食べて頂けるとうれしいです。
というのも、今回最後のサイア訪問で、インドネシアのバリ島を舞台に書いた
「芳香日記」という短編は在る意味、樹木葬の小説なので。
石灯籠が、樹木に化けました。
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以前、樹木葬にしてくれと言ったら親はポカーンとしていました。やってくれそうにないので従姉妹に頼んだら、書類に遺しておきなさいと怒られました。
桜がいいなあ。
樹木葬、本気で検討中のひとりです。関東エリアで早く出来てほしいのですが。
立派なお墓は誰の満足のためにつくるのか。
どちらも、「私はそこにいません」と言われそうですが。
みな、土に帰る。その後の世界は・・
今日は、自殺予防デー。
前回につづき夫婦で参加。家内も嬉しそうです。
党首は決まっていますから、先生は落胆されているか、そうでもないか。
SIA-DAYの雰囲気にも影響するからここは菅氏に頑張ってもらわないかんかな?!
せっかくの樹木葬の話題をきなくさい方向に持っていっちゃ叱られますね。
18日はよろしくお願いします。
今日はどんなことが書いてあるのか、
ブログの更新をいつも楽しみにしています。
お仕事頑張って下さいね!
(先生、このような、NYという、現代の大都会に、
日本の灯篭、それも、このような渋いのの写真ありがとう!)
昨夜は、「コレがアメリカ、NYの厳しさ、なんだなあ~。とにもかくにも『超』個人主義!」みたいなことにモロに
遭遇して疲れ果てた翌朝、の、この灯篭、でした~。
(わたしのこころにも、にぶいけど、淡い素敵な、日本的な?繊細な灯火が灯ったよう~)
お墓、ねえ~。
今では日本でも、郵便受けみたいな納骨堂出てるみたい
ですね~。
こちらで2年前、脳腫瘍で亡くなった友達の遺灰
(こちらは全部焼き尽くすそうで、骨も残らず、遺灰)は、
去年の7月、軽井沢の教会の納骨堂(ご主人曰く、郵便受け
のような?)に納められたそうですが~。
ちなみに、アリゾナでかれこれ、7年前に亡くなった義母
の遺灰はいまだどこにも埋められておりません~。
郵便受け状?の納骨堂に納めるにも、それなりの
料金、その後の管理が要るからとかなんとか言って
(私の夫とその弟が)宙ぶらりんです。
(ちなみにうちにあるのは、義母の遺灰だけ。
夫は長男なのに?!変でしょ?!)
義母がシアトルからアリゾナに越す、と聞いたとき、
「じゃあ、姑も亡くなる時は、その死体はアリゾナの
砂漠で、死んでそのままひからびてるような、野牛の骨
みたいに(ジョージア・オキーフの絵のイメージ?)砂漠
の砂として風化されちゃうとか~?」などと思ったもの
でしたが~。
(砂葬?!)
あー、バリ島でインスピレーションを受けた、SIA最後のショートストーリー、楽しみです~。
又「ねっとり」した風が吹いてくるのでしょうか~。
(間違いは即直すよう、努めなくては?!)
うちにあるのは、義母の「遺灰」でなくて、「遺髪」
でした~。
(弟は義母の遺灰を持っていますが。義母の夫、わたしの夫の継父も)
「いくらなんでも私はなにも、義母を偲ぶものがないよ~。
せめて、焼く前に遺髪を少し取っておいて欲しい」、とリクエストしたんです。
姑の遺髪をリクエストする嫁、なんてのも珍しいですかね?
お墓、といえば、(こんな話題も永遠に終わらないですよね~?!笑)先生の芥川賞受賞作、「光抱く友よ」があらためて
気になった(以前からそのタイトルはあちこちで耳にして
いて、気になっていたのでしたが~)のは、
「母が重くてたまらない。墓守娘の嘆き」、という、心理カウンセラーさんの著者に紹介されていた時、でした~。
「家」の究極の象徴?「お墓」~、、。
(その本はお墓を守る長女、とか、女の一人っ子と、その母との葛藤が骨子、でしたが)
その著者は、「光抱く~」の不良少女、松尾と、その母の母子逆転関係(AC?)「共依存」の場面がすごく印象に残っていたようです。
(拝読してみると、わたしには、その場面より、やはり小説のテーマである、女子高生の友情、その破綻?が鮮烈に印象に残り、読後も、しばらく、余韻が続いたのでしたが)
しかし、先日、「マイマイ新子」の映画拝見して、
「あ~、これが松尾の母が、酔いどれてた桜並木だったんじゃないかなあ?」と思いました~。
(新子ちゃんのBFのおとうさんが追っかけていた女性の
働いてた歓楽街は、松尾の母も繰り出していたところ?)
ところで、時々、ミュージアムの、特定の画家の回顧展を見て思うのですが、画家が「XXの時代」みたいなのがあるように、作家さんにもそのようなことがあるのではないか?、と~。
先生は、今、「アジアの時代」なのでしょうか~?
ちなみに、今、MOMAではマティスのXX年~XX年展、というのをやっていますが~。
画家が画風が変わるように、作家さんも「文風」?が変わるものなのでしょうかね~。
生意気言ってすいません~。
そんな部屋がいくつもできてしまい、一つの部屋にそろそろ退屈すると、もう一つの部屋に移動します。
「新子の部屋」「恋愛小説の部屋」「アジアの部屋」「音楽の部屋」それにまだ未完成ながら「古典の部屋」を付け加えたいな~~~
逆言文一致運動でもやりますか(笑)
からーん、ころーん、と駒下駄をならす美しい幽霊。恋憑かれ死んだ若い男と女の幽霊を、本家の明では、陰の穢れた世界に住む者として、懲らしめ九幽の獄に閉じこめて終わりますが、伝え受けた日本では、世俗の業にまみれた伴蔵夫婦と対比され、命を落としても貫いた純粋な恋として、浮き彫りにされています。若者の、一途で、切なくも崇美な恋心。
ひとたび思い焦がれた魂は、人の子の母であり、教養深い六条御息所の理性ですら、やすやすと振りほどき遊離してしまう。それをもののあはれとした美意識にも連なって。。。
今も誰かが胸を焦がして眠れぬ夜を過ごしていることでしょう。苦しくも、甘美なり。でもどうぞ、お身体には障りませんように。
墓石。
平和で、満たされた人生は、従容と自然に還っていける墓を望むだろう。
でも、非業の、あるいは、大義や国家に殉じた死には、朽ちることのない碑を建て、忘れないでいたい。
願わくは、朽ちることのない碑が無い世であってほしい。
私勉強不足(?)で高樹のぶ子さんを知りませんでした。日経新聞はとっていたのですが、連載されていた「甘苦上海」は読んでませんでした。妹の大学の先輩ということも最近知りました。それが最近ゲスト出演されてNHKのラジオ楽市カフェを聞いて好奇心ムラムラ。どんな人だろうとインターネットでしらべたり、著作を読んだり。SIAは毎日チェックしたり。
「甘苦上海」の最後の方は涙、涙で読めない状態。
以上前置き
樹木葬で思い出したのが、福岡県にある実家のお墓。辺春谷を見下ろすような山のテッペンにあります。
子どもの足ではそこまで行くのが大変。毎年5月3日はいとこ達が集まり、母親達に連れられてまるで遠足か山登り気分でお墓参りにいきました。お墓の周りには木も植えられていて気に登ったりして一日遊びました。昭和20年代後半のこと。田舎ではまだサンドイッチなんて珍しい時代。おばさんがつくってくれたサンドイッチ、祖母が作ったのりまき等々、いとこがみんなでつついて食べたのを思い出しました。
どうしてお盆ではなく5月3日だったのかなあと今不思議に思います。
紀州藩と交渉した屋敷辺りの、
鞆の浦の鞆港に鎮座している石灯篭は、
港の灯台の役割をしていたと思います。
庭に置く石灯篭は港や海を連想させるのでしょう。
明るい砂の掃き目も海の波の連想でしたね。
我が家の庭にもセメント製の石灯篭が鎮座してましたが、稚拙なのでリフォーム時に残材と一緒に廃棄させました。
石灯篭にもいろんな石の種類が有り、記念樹木にもかなりの種類が有ります。
で高樹さんは樹木葬にされるのなら、
どんな木にされたいのでしょうか?(笑)
今のうちに決めてないとお参りする時に丁度好いからと、
都市ガスの香りの花の、榊なんか植えられかねませんよ?(笑)
お弁当を食べる季節としてはできるだけ暖かい、四月中旬以降の花期の遅い山桜が好いでしょう。
でも彼岸桜や拳や木蓮の季節は寒いですが、
春の彼岸参りには丁度好いです。
秋のお彼岸に未だ咲いてるのは百日紅くらいでしょうか。
山桜系にも沢山の品種が有り、
資料を集めたり観察に花見に行ったりと、
選ぶ作業を楽しめると思います。
墓石に限らず石にはそれぞれの種類に好い趣が有り、
いろんな使い方も有りその加工技術や、
施工技術にも深いうんちくが有ります。
この日本を必ずや新しい希望のある国に導いていって欲しい!