高樹のぶ子のSIAブログ
水の中の影は誰?
皆さんこんにちは。
今日は前回のブログに書いた友人のご主人の葬儀で、一日家を留守にします。故人は60歳過ぎかと思っていましたが、まだ59歳だったそうです。
私たち、親を見送る年齢とは思いますが、伴侶はまだまだ先のことだと思っていました。
心が重いです。
水の中から手招きしている人影・・・
実はカメラを構えた私自身です。
台湾のランユイ島の海岸は、火山岩が折り重なっています。
岩の間に入り込んだ水の透明な美しさといったら・・・
瑠璃色に輝く水底の小石たちを撮っているつもりが、いつのまにか自分の影を撮っていました。
微風がきて、水面にさざなみが立つと、私の影も揺らぎます。
かき消される直前の、一瞬のシャッターチャンスでした。
ちょっと自慢の一枚です。
水面の私がカタチを失ったとき、私のカラダもぐらりと頼りなく揺れました。
ゆるぎなく立っているためには、自分を映す「何か」が必要なのだと思います。
「何か」に映る自分を確かめながら、生きているのです。
伴侶を失うとは、その「何か」が突然消えるということなんだと思います。
高樹のぶ子
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カメラ、ご自分で撮影されるんですね。
デジカメですか?
最近、キムタクが宣伝している、ニコンのデジカメを
購入しました。こういう素敵な瞬間を刻みたいものです。
つい2年くらい前までは、写真に写るのがキライでしたが、
(写真映りが悪い・・・)
しかし、周りの大好きな人たちの写真を眺めることが多くなってくるとやっぱり、生きた証として「何かに」写っておくことも必要だと思うようになりました。
私の父は、35年間毎日欠かさず日記をつけています。
そうやって家族の「何か」を写してくれているのでしょう。
愛を感じますね。
それを聞いた時、「影」という言葉の奥深さを知ったような気がしました。
高樹さんの今回のメッセージを読んでふとそんなことを思い出しました。
自分の「影」を映し出す人を大切にしたいと思います。
「万葉」「光」「影」という言葉を見て、
急に筆が使いたくなり・・・
「ゆるぎなく 立っているためには 自分を映す何かが必要」
というブログの言葉を、毛筆で和紙に書きとめました。
ランユイ島の海の底の写真、素敵ですね。
人影が映り、さざ波とともに消えるというのも面白い・・・。
ふと、人生もそんなものなのかなぁと思いました。
今日のブログには、まるで一篇の小説のような趣や深みがあったように思います。
高樹先生や御親族の皆様の悲しみが早くいえますように・・。
他の人もそうかもしれませんが、私自身も「いつもゆらぐ自分」を感じ、「自分自身の弱さ」を認識します。
その揺らぎを感じるとき、たまたま、同じ感性、考え方、感覚に巡り合うとき、「自分は自分である」ことを再確認することができる、つまり、「揺るぎの弱体化」を図ることができるように感じます。
それはそうと、長女が短期交換留学を終え、次の土曜日にオスロから戻ってくることになり、久し振りに賑やかな我が家が再現しそうです。
申し訳ありませんが、「長女の帰国」の記事をトラックバックさせていただきました。
Written by T. Satoh on 28th June, 2007