高樹のぶ子のSIAブログ
TVドキュメンタリーSIA・・マレーシア編がUP
マレーシアの旅の番組が、このブログにアップされました。
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すでに上海編の準備に入っていて、マレーシアへの旅が昔のように感じられますが、あらためてブログで見ていると、あの暑かった日々や、市場の喧騒が、懐かしく思い出されます。
マラッカの夕陽も美しかった。
写真や文章では伝わらないものがもあります。
テレビ映像として、皆様と共有できると嬉しいです。
感想をお待ちしています。
高樹のぶ子
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音声は消してありますが、「市場の喧騒」等は五感で捉えることができるように思われます。
また、地域柄「暑さも」感じられ、今年の日本の酷暑を思い出すような感じです。
北イタリアからフランスにかけての地域の、食文化(トリュフに関わる文化)に関する記事をひとつトラックバックさせて頂きました。
もっとも私のような一般庶民にとり、「高嶺の花」で、手が届くことはないとは思いますが。。。
「巨木の旅」ご苦労様でした。
どのようなエッセイに仕立てあがるのか、楽しみですね。
このショートストーリー欄で紹介されている「天の穴」を読ませて頂き、「不思議な感覚」を味わいました。
登場人物は、二人、実態的には一人で、二人目は「影のような存在」の少年。それと台風という要素を組み合わせ。
「台風の目」を通して地上から見える想像の世界、「天空の星の風景」の描写がいいと思いました(実はシンガポール出張時空き時間に読ませて頂きましたが)。
しかし、記憶する限りにおいて、ショートストーリーとはいえ、「登場人物がたった二人、しかも『光』と『影』のような二人の登場人物」で構成される「天の穴」のような作品は初めてで、シンプルな中に「不思議な読後感」を感じさせるもののようです。。。
他のショートストーリーについても、時間を見て目を通して見ます。
By T.S. on 15th Nov., 2007
自宅ののPC見ることができるようでしたら、音声も聞かせてもらい、感想を述べることになると思います。。。
自宅のPCで一度トライしてみましたが、そのときには映像を見ることができませんでした。
PC能力の問題かもしれません。
By T.S. on 15th Nov., 2007
スイスは、ご存知のように、ドイツ語圏、フランス語圏、イタリア語圏、ロマンシュ語圏の4つに別れ、スイスはこれらの語圏の紛争を解決するために、国民投票を中心とする直接民主制を生み出しています。スイス国民の国民投票へのこだわりは大変なものです。
マレーシアもマレー系住民、中国系住民、インド系住民とに別れていて、その人口構成がほぼスイスに似ているところが面白いと思いました。
スイスではドイツ語が優勢とはいえ、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語を国語とすることをはっきり憲法でうたっています。
映像によればマレーシア政府は、ブミ・プトラつまりマレー人優遇政策によって、将来は、マレーシア語一つに統一するようなことを言っていましたが、これはちょっと危ない感じです。
しかし未来は、ヨーロッパがEUの道を歩んできたように、アジアは、AUつまりアジア連合の道をめざす(そのためには、何が何でもアメリカに一旦アジアから、つまり日本から退いてもらうしかないのですが)以外に道はないとおもいますので、そのことを考えると、マレーシアの現在のすがたは、我々には、いい模範を提供しているように思われます。
というわけで、マレーシアの今後の歩みは、注目に値するのではないでしょうか。
第一の映像の中でバドゥ・ケイブとかいうヒンズー教の寺院が出てきましたが、あれが僕には大変興味深かったですね。
長い階段を登った果てに巨大な洞窟があって、そしてその奥の天井が空に突き抜けて、頭上から太陽の光が、太い柱となってさしこんでいましたね。
あれは、僕に言わせると、母の子宮の中の暗喩となります。長い階段は、産道で、太陽の光は母の胎内です。僕の想定によれば、なんぴとも人間である限り、もし母の胎内まで遡れるとすれば、そこではこの世のものとも思えない光に包まれることになります。そしてその光とは何か・・・
僕は、あらゆる宗教の根源は、ここに発すると思っています。そして芸術のおける美の根源も。問題は、このことを如何に証明するするかです。
この「ドキュメンタリーSIA」を観ながら、アフガニスタンを含む中東のことが頭にありました。自爆テロにより、幼い子の目がつぶれ、体中に破片が突き刺さっている映像が浮かんできました。
取材されたマレーシアの一家族。
「宗教が違っていても相手を理解すれば大きな障害はない」
「ことばや宗教は大きな障害ではない」
という会話がありましたが。
一方で、イスラム教は信仰の違う者の結婚は認めていない、と。
マレー系(66%)・中国系(26%)・インド系(8%)の棲み分け。対立せず、喧嘩せず生きることが彼らの利益になる、ことを学んでいる、という件。
アフガニスタンを含む中東世界で、互いが戦争によらず、テロ行為によらずにやっていかれる道が、ないのだろうか、と。
女性建築家・ナディサ・ラディンさんが、「女性が遅れているとしたら、それは宗教ではなく、文化の違いだと思う」と、おっしゃっていましたね。このあたり、実態をもっと深めてみたいと思いました。それは、現実なのか彼女の理想なのか。
文学と宗教は切り離せないものでも、宗教教義のある部分を戦争や政治に都合よく利用している面がありはしないか。神の為に自爆する宗教? 粘り強い対話を選ぶことに耐えられず、殺戮による解決を急いでいないか。
これらについて、「SIA」から汲み取ることが出来る知恵があるのなら、そのことに注視したい。
ああ、今、平和の使者がほしい!
人間は与えられた環境の中で生命を維持するに過ぎない、あるいは、維持できるにすぎない存在。。。
人類が、この「地球的自然という環境」がなかりせば、生命を維持できないように。。。
マレーシアの「圧倒的な自然」の前に、「それぞれの民族が自らの言葉、宗教、生活習慣を頑固に守りながら、闘うより棲み分け、共存の道を模索させている」との見方はその通りかもしれませんね。。。
しかし「大同小異」ということを、異なる宗教間においても考える必要があるのかもしれません。。。
By T.S. on 17th Nov., 2007