(この写真と、話の中に出てくる牧場は
一切関係ありません)
去る、6月28日に、渋谷クラブクアトロで
パール兄弟の30周年記念ライブに
出演させて頂きました
大恩ある、大好きなパール兄弟のみなさんの
記念のイベントに、少しでも
お役に立てていれば
嬉しいと思っています
メイクも
PSY・S当時、ずっとやってもらっていた
Yayoiちゃんで
PSY・Sをサポートしてくれていた
キーボードの小泉さんも来てくれて
なんだか同窓会の様で
自分にも歴史ありだなぁ、なんて思いました
パール兄弟の中心人物的な存在の
ヴォーカルで作詞家でMCの
サエキけんぞうさんが
提供してくれたPSY・Sの曲を
数曲歌いました
「レモンの勇気」を歌った時
この曲にまつわる
エピソードをブログに書きますので
と伝えました
ちょっとだけ遅くなりましたが
書きます
PSY・Sが解散してからしばらくして
のことだったと
記憶します
ある人からお便りを頂きました
感謝のお便りでした
その人は男性
ご両親らと牧場を経営していらっしゃって
競走馬を育てていらっしゃいました
それ以外の馬や牛も育てて
いらっしゃったのかどうか
それはわかりません
で、バブル経済が盛んなりし頃
(あの頃のことを思い返すと
本当にクレイジーだったと思います:CHAKA)
普段から、何千万、何億という単位で
やりとりされる競走馬
その値段もさらに上がりましたが
でも、バブルはあくまでもバブル
はじけてしまう時が来て
馬も、超好景気の時ほど売れなくなり
そのあおりを受けた、その方の牧場も
億という単位の借金が残ってしまったそうです
で
「いよいよ、明日、この最後の馬を手放して
牧場も人の手にわたるんだなぁ」という日に
馬たちには何の罪もなく、同じように一生懸命
世話をしていたのだそうです
馬の世話が一段落して
そのまま、寝転んで、いつものようにラジオを
聞いていたら、とても力強い声が流れてきて
その方は、とてもいいと思ったそうです
それが、私の歌った「レモンの勇気」だとのこと
曲をじっと聞いて、終わった後で
ラジオパーソナリティーが曲を紹介
その曲が
PSY・Sというグループの「レモンの勇気」
というのだと知ってくれたみたいです
彼は、その曲をとてもいいと思ってくれ
いつも、つらいことがあったら
その曲を聞いて
ご家族のみなさんで団結して
一生懸命働いたんだそうです
そして私に手紙をくれました
「来月、ほぼ、借金が全部返せる
目処が立ちました。あなたの力強い声を聞いて
いつも、元気をもらって、がんばりました
ありがとうございます」
というような内容だったと思います
私は特にPSY・Sでデビューしてからは
いろんな人から、お手紙やお葉書を
ラジオ番組にはファックスなどを頂きました
ネットが普及してからメールです
今でもたまに頂きます
いろいろな内容のものがあります
その中で、
その人のようなお手紙は
自分の心の中にいつまでも覚えています
歌が好きで、プロになっただけ
お仕事一生懸命やっただけ
といえば、それだけのこと
だけど
その自分の好きなこと
自分が一生懸命やったこと
が、全然知らない人なのに
誰かに届き、誰かの人生の
応援歌として、役に立ったのなら
それは、本当に素晴らしいことで
音楽の使命を果たしています
その方は
私の歌がなくとも
きっと素晴らしい人で
ちゃんと、ご家族みなさんで
元気に、一生懸命、真面目に
借金は返済されたと思います
絶対そうです
でも、その時に
私の歌が、そばにいられたなら
そして、ちょっとでも
その人を励ませたなら
私が歌手になった目的を
素晴らしく果たしています
お手紙を頂き
本当に嬉しく感動し
涙が出ました
その人と私は一生涯
直接お会いすることはないかもしれない
どちらかというとその可能性の方が
高いでしょう
それでも、きっと
どこかで、繋がっているのですね
言葉重ねても重ねても
その感動は、表せません
歌手に生まれたこと
心からよかったと思った瞬間です
どうか、これからもお元気で
と、お祈りしています
一切関係ありません)
去る、6月28日に、渋谷クラブクアトロで
パール兄弟の30周年記念ライブに
出演させて頂きました
大恩ある、大好きなパール兄弟のみなさんの
記念のイベントに、少しでも
お役に立てていれば
嬉しいと思っています
メイクも
PSY・S当時、ずっとやってもらっていた
Yayoiちゃんで
PSY・Sをサポートしてくれていた
キーボードの小泉さんも来てくれて
なんだか同窓会の様で
自分にも歴史ありだなぁ、なんて思いました
パール兄弟の中心人物的な存在の
ヴォーカルで作詞家でMCの
サエキけんぞうさんが
提供してくれたPSY・Sの曲を
数曲歌いました
「レモンの勇気」を歌った時
この曲にまつわる
エピソードをブログに書きますので
と伝えました
ちょっとだけ遅くなりましたが
書きます
PSY・Sが解散してからしばらくして
のことだったと
記憶します
ある人からお便りを頂きました
感謝のお便りでした
その人は男性
ご両親らと牧場を経営していらっしゃって
競走馬を育てていらっしゃいました
それ以外の馬や牛も育てて
いらっしゃったのかどうか
それはわかりません
で、バブル経済が盛んなりし頃
(あの頃のことを思い返すと
本当にクレイジーだったと思います:CHAKA)
普段から、何千万、何億という単位で
やりとりされる競走馬
その値段もさらに上がりましたが
でも、バブルはあくまでもバブル
はじけてしまう時が来て
馬も、超好景気の時ほど売れなくなり
そのあおりを受けた、その方の牧場も
億という単位の借金が残ってしまったそうです
で
「いよいよ、明日、この最後の馬を手放して
牧場も人の手にわたるんだなぁ」という日に
馬たちには何の罪もなく、同じように一生懸命
世話をしていたのだそうです
馬の世話が一段落して
そのまま、寝転んで、いつものようにラジオを
聞いていたら、とても力強い声が流れてきて
その方は、とてもいいと思ったそうです
それが、私の歌った「レモンの勇気」だとのこと
曲をじっと聞いて、終わった後で
ラジオパーソナリティーが曲を紹介
その曲が
PSY・Sというグループの「レモンの勇気」
というのだと知ってくれたみたいです
彼は、その曲をとてもいいと思ってくれ
いつも、つらいことがあったら
その曲を聞いて
ご家族のみなさんで団結して
一生懸命働いたんだそうです
そして私に手紙をくれました
「来月、ほぼ、借金が全部返せる
目処が立ちました。あなたの力強い声を聞いて
いつも、元気をもらって、がんばりました
ありがとうございます」
というような内容だったと思います
私は特にPSY・Sでデビューしてからは
いろんな人から、お手紙やお葉書を
ラジオ番組にはファックスなどを頂きました
ネットが普及してからメールです
今でもたまに頂きます
いろいろな内容のものがあります
その中で、
その人のようなお手紙は
自分の心の中にいつまでも覚えています
歌が好きで、プロになっただけ
お仕事一生懸命やっただけ
といえば、それだけのこと
だけど
その自分の好きなこと
自分が一生懸命やったこと
が、全然知らない人なのに
誰かに届き、誰かの人生の
応援歌として、役に立ったのなら
それは、本当に素晴らしいことで
音楽の使命を果たしています
その方は
私の歌がなくとも
きっと素晴らしい人で
ちゃんと、ご家族みなさんで
元気に、一生懸命、真面目に
借金は返済されたと思います
絶対そうです
でも、その時に
私の歌が、そばにいられたなら
そして、ちょっとでも
その人を励ませたなら
私が歌手になった目的を
素晴らしく果たしています
お手紙を頂き
本当に嬉しく感動し
涙が出ました
その人と私は一生涯
直接お会いすることはないかもしれない
どちらかというとその可能性の方が
高いでしょう
それでも、きっと
どこかで、繋がっているのですね
言葉重ねても重ねても
その感動は、表せません
歌手に生まれたこと
心からよかったと思った瞬間です
どうか、これからもお元気で
と、お祈りしています