猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 34 古浄瑠璃 よりまさ ④

2014年12月29日 11時56分26秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
よりまさ④

《道行き》
扨も其の後、源三位頼政は、宮を誘い奉り、大和路指して落ちらるる
通らせ給うは、どこどこぞ
新羅の社、伏し拝み(滋賀県大津市)
大関小関打ち過ぎて、東を見れば水海の(琵琶湖)
只、茫々として、波清く
西を、遥かに、眺むれば
峰の小松に訪れて、関山関寺、伏し拝み
行くも帰るも、逢坂の
一本薄(ひともとすすき)の陰よりも
筧(かけい)の水の絶え絶えに
久々井坂(不明)、神無しの(京都府山科区神無森町)
早や、醍醐にぞ差し掛かり(京都府伏見区醍醐)
木幡(こはた)の里をば伝い来て(京都府宇治市木幡)
宇治の里にぞ着き給う

 三井寺と宇治までは、僅か三里ぐらいの道のりでしたから、関所での休みも取りませんでしたが、高倉の宮は、その間に六回も落馬されました。昨夜、一睡もしていなかったからでした。そこで、高倉の宮を休める為に、平等院に御座を設けて、御休息していただくことになりました。一行が、平等院へと集結すると、猪早太は、平家の襲来に備えて、宇治橋の真ん中、三間余りの橋板を引き剥がすと、源氏の白旗を立てました。
 都の六波羅では、大将清盛が、一門を集めて、
「兵庫の守頼政は、高倉の宮に、謀反を勧め、南へと落ち行くとの知らせが入った。急いで追っかけ、討ち滅ぼせ。」
と号令を掛けました。平家の将軍は、左兵衛の尉知盛(とももり)、本三位の中将行盛(ゆきもり)、左中将重衡(しげひら)、薩摩の守忠度(ただのり)。侍大将には、越中の二郎兵衛、上総の五郎兵衛、飛騨の判官、前司の判官、上総の五郎、悪七兵衛景清。平家の軍勢、三万余騎が、宇治橋へと押し寄せました。しかし、橋板が剥がされていて、渡る事ができないまま、徒に時を費やしました。その時、平家方の侍で、下野の住人、年は十八の足利又三郎忠綱という者が、
「この川は、近江の国の水海(琵琶湖)から流れてくるのであるから、いくら待っても、水が引くという事は無い。こんな所で、ぐずぐずしていて、源氏の軍勢に襲撃されたら、一大事であるぞ。浪間を分けて、先陣せよ。」
と、大音上げて、川に駆けて飛び込めば、勇められた強者三百余騎が、一斉に川へと乗り入れました。白波を立てるその有様は、群れ居る叢鳥が一斉に飛び立ち、羽音をたてるが如くです。更に、忠綱は、
「この川は、流れが速く、乱杭もあるぞ。手強い川だから油断するな。水が逆巻く所あれば、岩が隠れていると思え。弱い馬を下流に回し、強い馬を川上に立てて守れ。流された者があれば、弓筈(弓の先)を延ばして助け上げよ。互い助け合い、力を合わせて渡り切れ。」
と、号令するのでし。そうして、この大川を、一騎も失わずに渡りきったのでした。これを見ていた平家の軍勢は、赤旗を差し上げて、鬨の声を上げました。忠綱は、対岸に上がると、大音声で呼ばわりました。
「只今、ここに進み出でたる強者を誰と思うか。下野の住人、足利又三郎忠綱であるぞ。年積もって十八才。宇治川の先陣は我なり。」
さて、源氏方からは、渡辺党の大将、木村の判官重次が、名乗って、
「天晴れ、大剛一の忠綱に、見参せん。」
と飛んで出ました。忠綱は、
「おお、互いに良い相手だ。さあ、来い。」
といって、馬上で互いに組み合うと、双方、両馬の間にどうと落ちるのでした。忠綱は判官重次を取り押さえると、判官の首を掻き切るのでした。そうして、敵味方入り乱れての合戦の火ぶたが切って落とされました。源氏の方から出てきた二人の法師は、
「園城寺(三井寺)に隠れ無き、筒井の浄妙明春(みょうしゅん)」
「同、一来法師(いちらいほうし)。寺門(三井寺)他門に憎まれて、その名を上げた悪僧だ。」
と名乗ると、東西南北縦横無尽に走り回り、手にした長刀を蜘蛛手結果(くもでかくなわ)十文字、八つ花形にぶん回して、ここを最期と奮戦しました。この二人が、切り伏せた平家方の軍兵は、380人。残りの軍勢を四方へ追っ散らして、ふと、我が身を見て見ると、夥しい傷で血だらけです。明春は、
「ええ、これ以上は、防ぎ様が無い。最早、これまでぞ。一来。」
と言うと、師弟主従は、南の方へと落ちて行くのでした。明春・一来法師の手柄を褒めない者はありませんでした。
つづく

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