猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 40 古浄瑠璃 清水の御本地①

2015年11月07日 19時05分50秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
 慶安四年(1651年)刊行のこの正本は、江戸七郎左衛門(杉山丹後掾)の作品である。この太夫は、薩摩太夫と並んで、江戸浄瑠璃の開祖と伝わっている。この正本を読んでみて
一番面白かったのは、一番最後の宣伝文句である。『この草紙、三遍読み奉れば、悪病、災難、免れ、富貴の身となる事、疑い無し』ここまで、言うのは、説経でも無かった様に思う。古浄瑠璃正本集第2(30)(安田文庫)より。
 ところで、ひとつ前の(29)は坂上田村麻呂を扱った「たむら」であった。(40)の「田村」と合わせて、期待して読み進めたが、残念なことに欠落が多く、話しを完結できないので、ここでの紹介は諦めた。尚、清水寺の縁起によると、この浄瑠璃のような話しは出ては来ないが、坂上田村麻呂が関わった話しがあるようである。

 清水の御本地①

 さて、清水寺の観音様の由来を、詳しく尋ねてみましょう。
 丹波の国の中里(京都府船井郡京丹波町中里)という所に、国広太夫という長者がおりました。宝が家中に満ちあふれて、何も不足な物はありませんでした。お子様は、48人いましたが、特に四男の国春が、菩提の道に入られたので、長者夫婦は、
「あの四郎は、親に孝行なだけでなく、菩提の道に入ったので、四郎に家督を譲って、後世を弔ってもらう。」
と、話し合うのでした。やがて、家の宝を全て、四郎国春に譲ってしまったので、兄弟は、不満百出です。兄弟の人々は、集まって、
「我等の親の宝物を、あの四郎が、全て取ってしまったぞ。きっと、親に讒奏をしたに違い無い。四郎国春を討ち殺してしまえ。」
と、罵り合うのでした。欲深い兄弟達は、
「では、早速、今夜、夜討ちを掛けよう。」
と、軍兵を繰り出して、国春の館を、取り囲むと、鬨の声を上げました。
 館の中は、突然のことに大混乱です。その中で、並河(なびか)の八郎秀直は、名乗り出でて、
「一体、何者だ。名の名乗れ。」
と呼ばわりました。兄弟の人々は、
「如何に、四郎。ようく聞け。よくも、親の前で、我々兄弟のことを讒奏したな。その遺恨を晴らす為に、攻めて来たが、兄弟のよしみによって、命だけは助けるぞ。降参して、何処へでも落ちて行け。」
と、言うのでした。国春は、これを聞いて、
「それでは、攻めて来たのは、兄弟の方々ですか。父国広殿が、私に、宝をお譲りになったのは、天の思し召しです。私が、讒奏したのではありません。なんという恐ろしい事でしょう。」
と、涙を流して訴えましたが、兄弟の人々は、容赦も無く攻め込んで来ました。なんと無残なことでしょう。国春殿の軍勢はあっという間に、壊滅してしまいました。敵わないと思った国春は、自害をしようとしましたが、踏み込んで来た敵兵に捕らえられてしまったのでした。国春殿の心の内の無念さは、申し上げようもありません。

つづく

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