猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 19 説経梵天国 ①

2013年04月04日 16時33分38秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

ケンブリッジ大学が所蔵している「山形屋新板」のこの正本は、元禄十年(1697年)

に再版されたものであるが、学者の推定では、その一回り前の貞享二年(1685年)

の鱗形屋の板であろうとのことである。太夫は不明であるが、天満八太夫系であろうと

推定されている。この「梵天国」は、かなり古くからあった物語であり、古活字版も残

されている。また、御伽草子本、奈良絵本、古浄瑠璃にも採用される程、人気を集めた

物語であったようである。

説経正本集第三(37)

ぼん天こく ①

 さて、およそ父母への孝行というものは、当世来世の二代に渡って、仏の御加護を受け

るものです。三千大千世界の導師である釈尊も、その昔は只の人であり、悟りを開くき

っかけすらなかったのです。しかし釈尊は、十九歳で、父母孝養の為に出家なされ、終

には、一乗妙典(法華経)の悟りに辿り着き、三千大千世界の導師となられたのでした。

これこそ、孝行ということの大切さを示すものです。

 日本での例を言うならば、国は、丹後の国。成相(なりあい)の観音(成相寺:京都

府宮津市)と、

切戸(きれど)の文殊(智恩寺:京都府宮津市)の由来を、詳しく尋ねますと、これも

その昔は、人間であったということです。

 人間であった頃の名前は、五條の中将高則(たかのり)と言い、父は、大臣高藤(たかふじ)

と言いました。この中将高則は、父の高藤が、清水の観世音に祈誓を懸けて授かった子

でありましたので、そのお姿に、仏の慈悲哀愍(じひあいみん)が宿り、三十二相を

供えておられました。詩歌管弦に至るまで、学び残した道は無く、人々は皆、中将殿を尊敬

して、大事にしたのでした。

 しかし、世の中の有為転変は、どうすることもできません。やがて、父も母も亡くな

ってしまい、悲しみに沈む毎日を過ごしていました。そこで、中将殿は、父母孝養の為に、

七つの伽藍を建立したのでした。七間四面の金堂には、諸仏薩埵を安置し、三間四面の

輪塔では、沢山の僧を招いて、転法輪(てんぽうりん)の供養をしました。さらに四十

九の楼閣、十二の欄干は珠玉で飾り上げ、五十の塔の高さは、雲に届くほどでした。さ

ながら、極楽浄土を見るようです。経典を千部も万部も奉納しましたが、それでも、ま

だ父母孝養には足らないと、自ら、水を汲み、香を焚き、花を供えて、日夜、御経を唱

え続けるのでした。

 ある時、中将殿は、十畳敷きの壇を構えると、十七日間、笛を奉納しました。その楽

の音のすばらしさは、言葉には表せません。伶人(れいじん)が笛を吹く時は、大河の

魚が天に昇り、天人に袖を翻して、十悪五逆の罪も消え、たちまちに九品蓮台に乗るこ

とができるという有り難さです。この笛の音は、梵天国にまでも届きました。

 突然、音楽が鳴り響き、異香が漂い、花が舞い下りました。そして、雲に乗った気高

い老人が、天下ったのでした。

「我は、梵天国の大王である。汝が、父母孝養の為に吹く笛の音は、大変殊勝である。

我には、一人の娘があり、その婿を捜していたが、この三千世界に、汝ほどの親孝行の

者はいない。我が娘を、十八日に、汝の妻に与える。」

と、約束をすると、梵天王は、雲に乗って、天へと帰って行きました。中将は、夢かと

も思いましたが、いよいよ御経を怠らず、山海の珍物を取り揃えて、その時を待ちました。

 時は、天長二年(825年)三月十八日。異香が漂い、花が降り下る中、雲の中から、

玉の御輿が現れて、五條の中将の館に入りました。降りてきたのは、輝くばかりに美し

い姫君です。二八の春、花盛りのそのお姿は、音にのみ聞く、毘沙門天の妹、吉祥天女

にも勝るばかりです。さて又、中将殿も、観世音のご方便により、嬋娟(せんけん)な

る眉墨は、例えれば蝉の羽。宛転(えんてん)たる相好は、円山に昇る月の如し、とい

ったところでしょうか。この美しいお二人の有様を、原文では、次のように書いています。

何れを、春の花とせん

何れを、秋の月とせん

更にだに、呉竹の

飾れる衣(きぬ)の羽衣に

自ら成せる顔(かんばせ)は

春の風のさらさらと

降りかかりたる花の雪

としは散りなん萩の花(?)

としは消えなん玉笹の(?)

霰、踏む足、ほたほたしく(たどたどしく)

心ならずも、幻(うつつ)かと

思い乱るる、玉葛

掛けてぞ、祈る誓いの末

天にあらば、比翼の鳥

地にあらば、連理の枝

偕老同穴の語らい

互いに、見えつ、見えられつつ

執愛恋慕と聞こえける

とにもかくにも、かの人々の

その有様、目出度さよとも

中々、申すばかりはなかりけり

つづく

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